伝説の調香師が挑戦するヴィーガン・フレグランスとは? 帰ってきたジャン=クロード・エレナ

独自の世界観をもつヴィーガン処方のフレグランスブランド、クヴォン・デ・ミニムが新たにディレクターとして迎えたのは、フレグランスをアートの域にまで高めた伝説の調香師ジャン=クロード・エレナ。エルメスの専属調香師を退いて以降、本格的なコレクションを初めて手がけるというニュースは業界を瞬く間に駆け抜けた。自身が語る、新しいコレクション誕生の経緯やそこに込めた思いとは?

伝説の調香師が挑戦するヴィーガン・フレグの画像_1
クヴォン・デ・ミニム(ミニム修道院)で植物について学び、ルイ14世から植物学者に任命されて、世界を旅したルイ・フュイエ。その動物スケッチから着想を得て。 1 花々の上を舞う優美な蝶を、パウダリーなフローラルノートで表現。シンギュラー オーデパルファム リサンドラ 2 直感力に優れ、神出鬼没の雌オオカミはグルマンアンバーの香りに。同 アッタイ 3 草原を駆けるエレガントなアンテロープはフルーティフローラルの香調で。同 サイガ 4 鋭い眼光を放ち、力強く魅惑的なワシはスパイシーでウッディに。同 エリアカ 5 官能的な雌ライオンにはセンシュアルなアンバーウッドの香りが似合う。同 ヌビカ (100㎖)各¥11,600/クヴォン・デ・ミニムジャポン

ひと目惚れのようなものが生んだ新しいパートナーシップ

100%ヴィーガン処方にこだわった個性豊かなフレグランスで、「ほかにない香り」を求める人たちの心を捉えた“クヴォン・デ・ミニム”。その新しいコレクション“シンギュラー オーデパルファム”を、監修という立場で完成に導いたのは、調香界の巨匠、ジャン=クロード・エレナだ。エルメスの専属調香師を退任して以来、新しいフレグランスを手がけていなかった彼と、クヴォン・デ・ミニムを結びつけたのはどのような成り行きだったのか、ジャン=クロードに聞いた。

「エルメスを辞めたとき、70歳にもなったことだし調香の仕事も辞めてもいいと思っていたんだ。ところが少したったら、問題が発生。なんと調香がしたくてたまらなくなった(笑)。そんなとき、クヴォン・デ・ミニムのゼネラルマネージャー、マリー=キャロライン・ルノーから電話をもらったんだ」

南フランスの小さな村に住むジャン=クロードを訪ねた彼女は、「クヴォン・デ・ミニムのために香りを創ってほしい」と切り出したのだという。

「私は3つの条件を提示した。ひとつめはマーケットリサーチの結果や、トレンドに合わせたクリエーションはしないこと、ふたつめはどんな香りを創るかは、白紙からすべて私に委ねること、そして3つめは、コレクションとしてたくさんの香りを一挙に出したいのなら、私ひとりではできないけれど、ほかの調香師とのコラボレーションなら可能、ということ。彼女はすべて自由にしていいと言ってくれたし、クヴォン・デ・ミニムの人たちは和気あいあいとして、いい雰囲気で仕事をしているのがわかったので、この仕事を引き受けることにした。話し合いを重ねるより、私は出会ったときの直感、『この人のために仕事をしたい』という、どこかマジカルな感覚を大切にしているので」

今回のコレクションは、世界中を旅した植物学者、ルイ・フュイエが描いたスケッチの中の動物がテーマ。

「たくさんのスケッチの中から、その個性に強い訴求力がある5つの動物を選んだ。このクリエーションは、いわば動物の個性と香りを結びつける、ゲームみたいなものだったといえる」

ヴィーガン処方ということで、その制約による調香上の難しさといったことはなかったのだろうか。

「使えないのは動物性の原料。でもそれはフレグランスにおいて、さほど難しいことじゃない。動物性香料のムスクやアンバーは合成のものがあるし、化学的に合成した素材であっても、最後に分解されて自然に還ればOKだからね。植物の中にも、動物臭を放つものもある。ただ、ムスクの合成香料には乾燥させた昆虫のフンを使っている場合があり、それはヴィーガンでは使えない。制約はむしろ、香りづくりを面白くしてくれるよ」

若い才能を育てながら最高の香りを創り上げるという試み

このシンギュラー オーデパルファムの5種の香りを創るにあたり、彼はまず3つの香料会社に、それらの動物にふさわしい香りのサンプルの調香を依頼した。たくさんの提案があった中から、イメージにいちばん近い香りを生み出した4人の若手調香師を選びだした。

「その後は彼らと、一対一のコミュニケーションを積み重ねて香りを創り上げていった。マーケティングによる市場に合わせた製品づくりとは、まったく違うアプローチでね。彼らが送ってくるサンプルが、どんな原料でどのように調香されたものか、私にはすぐにわかるんだけれど、その中でこれは入れすぎであるとか、これは思いきって抜くべきだとか、パリと南仏で何カ月もメールをやり取りしたよ。彼らの能力を伸ばすことが大事なので、私にとっては今までの仕事のやり方とは違ったものになった。これは技術者と技術者のコミュニケーションの結果。彼らの感性を尊重しながら進めるのは、自分で好きに創るのとは違うので、面白い体験だったね」

実績のある調香師は知識があるけれど、自信もあるからぶつかることもある。そうなったときには相手を動かすためのエネルギーが必要になるけれど、若手にはしなやかな感性がある。ただ知識と経験が足りないので、それは教えればいいだけだ、と語る。

「最後には最高のものを出さなくちゃいけないからね。そうしないと、あれがジャン=クロード・エレナが選んだ香りかと言われて、私も一緒につぶれてしまうんだから」

そう笑ったジャン=クロード。完成した5つの香りは、やはり彼らしく、極めて研ぎ澄まされたミニマムなコンポジションによるものだ。

伝えたいメッセージを語れるのはミニマムな香り

「私は別に、成分数が少ないほどいいと思っているわけじゃない。ただ、これは繰り返し言っていることなんだけど、『その香りにどんなストーリーを語らせたいのか、自分で理解して創っているかどうか』がいちばん大事。たくさんの原料を使いすぎると、メッセージが見えづらくなることがあるからね。ビッグメゾンが大量生産している香りは、あらゆる人に受け入れられようとした結果、まったく違うニュアンスの原料をたくさん詰め込んで、メッセージが多すぎると感じることがある。私には、ひとつで全員を魅了しようという意図はないし、今回はコレクションという形をとっているので、誰もが自分のキャラクターにぴったりのものを見つけられるはず。みなさんはただ好みや気分の赴くまま、その中のひとつを選んでくれればいいんだ」

最後に私たちは、彼に「記憶に残る人生最初の香りとは?」と聞いてみた。きっとポエティックな答えが返ってくるのだろう、と思いながら。

「少し湿気たビスケットの香り。昔、山にあった別荘のキッチンの、棚の上のほうにビスケットの缶がしまわれていて、それを椅子に上ってこっそり盗み食いしてたんだ。4歳の頃かな。いわば禁じられた香りだね」

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profile
1947年、南仏のグラース生まれ。多くのメゾンの名香を手がけた後、2004年から10年以上にわたりエルメスの専属調香師に。ミニマムな香りづくりで知られ、自身はそれを俳句にたとえることも。2019年、クヴォン・デ・ミニムのオルファクティブ ディレクター就任。

SOURCE:SPUR 2020年1月号「帰ってきたジャン=クロード・エレナ」
photography: Kevin Chan text: Kaori Tatsumi

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