革新的な調理法は、世界から飢餓をなくすことができるのか

 エルヴェ・ティスは使い古した革の鞄に、たくさんのガラス瓶をぐちゃぐちゃに詰めて持ち歩く。その中身が世界最大の難問のひとつを解決する答えだと、彼は信じているのだ。パリにある彼の研究室では、彼はフランスの国宝的存在として扱われている(ティスは1988年に分子ガストロノミーという学問分野を物理学者のニコラス・クルティらと共同で立ち上げ、現在は、フランス農学アカデミーの由緒ある食部門の長を務めている)。ティスは、彼の手品のタネがいっぱい詰まった鞄を持って、コペンハーゲンやリスボンにある最高峰の料理学校を訪ねてきた。また、香港やケベックでの晩餐会に出席したり、ソウルやブエノスアイレスに彼が創設中の研究所を訪ねるときも、この鞄と一緒だ。


自家製の食事 ティスが先駆者として提唱するノート・バイ・ノート調理法(NbN) では、栄養素は果物や野菜から抽出できる。そんな栄養素から、 安くて、運搬可能で、ヘルシーなまったく新しい食物供給が生み出されるのだ。 PHOTOGRAPH BY FRANÇOIS COQUEREL

 ティスの壮大な構想は、この世から飢餓を完全に葬り去ることだ。彼はこの目標を、新しい経済改革などによってではなく、彼がノート・バイ・ノート料理、略してNbNと呼ぶ、分子調理法という料理の改革を通して成し遂げようとしている。分子調理法とはすなわち、食物を解体し、高度な 錬金術のような手法で個々の食感や味や化合物に分解していくこと。分解されたそれらは多くの場合、泡やゼリー状やその他の物質で、ちょっと見ただけでは食べものには見えない。

この調理法は、英国にあるミシュランの三ツ星レストラン「ザ・ファット・ダック」のシェフ、ヘストン・ブルメンタールや、デンマークの二ツ星レストラン「ノーマ」のレネ・レゼピが実践しているような知性溢れる料理のコンセプト・アートと結びついている。だが、ティスの新しい料理への野望は非現実的なものではまったくない。実際、この60歳の化学者はいたずら好きでしわだらけ、ホグワーツ魔法学校のダンブルドア校長そのものだ。違いと言えば、長い髭がないことだけ。ティスが話すのを聞いていると、料理を研究する科学者と言うよりは、むしろ政治的急進派のようだ。「私は一般大衆のために働いているんだ」と彼は言う。「金持ちは大嫌いでね。NbNは料理人にとって新しい芸術であり、芸術は重要なものだ。だがいったい、われわれは人類の空腹を満たそうとしているのか、それとも、美食家に食べさせるものを作ってるだけなのか?」(続きを読む)

SOURCE:「FOOD MATTERS」By T JAPAN New York Times Style Magazine
BY AIMEE LEE BALL, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

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ティスの見るからに不思議な発明2 点。ピンク色をしたステーキの味がする一品。彼はこれを「ディラック」と呼ぶ。
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鮮やかな緑色のイル・フロッタント(カスタードクリームにメレンゲを浮かせたデザート)のような作品は 「ギブズ」と呼ばれている。
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ル・コルドンブルーのシェフたちが創作した芸術的な 「レモンのそよ風」。 ティスの料理法に従って作ったレモン味のゼリー。
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ティス、彼の研究室で
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エルヴェ・ティスは、どこへ行くにも30種類の化合物が入った鞄を持ち歩く。
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ル・コルドンブルーのシェフらがNbNの技術を駆使して作った、バジリコの葉緑素でできたムース。
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研究室で仕事中。
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