さよなら、岩波ホール

10年以上前のことだけれど、私はアナ・スイさんとパリのカフェにいた。ほかに、パリ在住のデザイナー夫妻と、どういうわけかアナと友人のアニタ・パレンバーグさんと5人でコーヒーを飲んでいた。ファッションウィーク中のひととき、「忙しいと思うけれど」と、アナはこの美術館や展覧会、アート展は行くべき、といつものように「観るべきリスト」を教えてくれた。それを聞きながら、デザイナーの夫である人が、こう言った。「まだどれも行ってないな。ほら、パリに住んでいれば、いつでも観られるでしょ」。

 

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その一言に対し、アナ・スイさんは静かに言った。「観るべき催しには、絶対に行っているの。むしろ、観ることを自分に課すようにしているわ。自分を刺激するものに触れておかないと、成長できないから」。こういう内容の発言をした。男性は気まずそうな表情になり、話題は別へと移っていった。

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アナのこの言葉が、時空を超えてブーメランのように舞い戻り、心に刺さるような出来事があった。岩波ホール閉館のニュースだ。岩波ホールとの出会いは「コルチャック先生」だった。重い作品だった。館内の掲示を見渡すと、1991年のところにパンフレットが掲示されている。31年前なのだと知って戦慄した。学生時代は、神保町まで地下鉄で遠征して映画を観た。「フィオナの海」「苺とチョコレート」、人生の親友のような作品に出会った。私たちの職場は神保町にある。数年後、社会人になったとき「岩波ホールが近い」と興奮した。こんなに素敵な映画館が目と鼻の先だなんて、本当についてる。毎月来ないわけがない。ぜったい通う。20代の自分はそう誓った。

 

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で、行かないんである。すぐそこだから。毎日通るから。いつでも行けるから。忙しいから。怠慢な心は、岩波ホールの存在を、私の日常から遠ざけた。30代では、たった数回、足を運んだ記憶しかない。恥ずかしい。パリのあの男性と私は、同じ穴の狢だったのだと今さら呆れている。

 

明日で岩波ホールは閉まってしまう。出会った名作と、改めて浮き彫りになった怠惰な自分の残像は、心に刻んでおかねばならない。慌てて5月は「メイド・イン・バングラデシュ」を観た。服飾業界の影に、胸が痛くなった。SPUR.JPでは、日本語字幕を手掛けた南出和余先生に取材しているのでぜひ、ぜひ読んでください。

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最後の上映作品は「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」。作品内の「長い旅に出よう」という言葉が、劇場と重なった。洞窟のシーンが、A6出口の岩壁と重なった。

 

同じ神保町にありながら軌道が交わらなかった怠け者の自分と、新しい景色を見せてくれる小さな宝箱のような場所。これを機に、言い訳がましい無精な性格とも決別できればいいのに。とか、ぼんやり妄想している。

 

ありがとう、そしてさようなら、岩波ホール。

 

 

 

 

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エディターIGARASHI

おしゃれスナップ、モデル連載コラム、美容専門誌などを経て現職。
趣味は相撲観戦、SPURおやつ部員。

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