ヴィンテージのプロに聞く! 目利きが語る「本当は教えたくない」ブランドPart1

時を経るからこそ価値が出る服がある。ヴィンテージを知り尽くした世界中のプロに今、最も市場で注目されているブランドをリサーチ。珠玉の名品が出揃った。

Part 1 プロ御用達! Quidam de Revel(キダム・ド・レヴェル)に聞くホット・トレンド

パリのヴィンテージ・ショールームが明かすポスト・コロナのムードはまさしく、ハッピー!

Quidam de Revel
フィリップ・アロスさん/エマニュエル・アロスさん

2001年、北マレ地区にヴィンテージ・ショップ「キダム・ド・レヴェル」をオープン。店舗をクローズし、プロ向けリースのみのショールームに転向したのは、15年ほど前。並行して定期的にオークションでコレクションの一部を販売。ジュエリーはアポイント制、またはオンラインで購入可。
http://www.quidamderevel.fr

JEAN BOUQUIN(ジャン・ブキャン)

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公私ともにブリジット・バルドー御用達のクチュリエであり、1960年代のサントロペ・ブームの中心となった、ジャン・ブキャン。ヒッピー・シックの先駆けとなった彼の代表作は、ペイズリープリントのクロップドトップスとマキシスカート。

PHILIPPE SALVET(フィリップ・サルヴェ)

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サントロペ・ブームを大衆化させた、フィリップ・サルヴェ。カラーブロック・フレアパンツは1970年代の大ヒット。

COUTURAMA X NINA RICCI(クチュラマ X ニナ リッチ)

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仏『ELLE』誌とクチュリエのコラボによる廉価ライン、クチュラマ。これは1968年ジェラール・ピパールによるニナ リッチ。

COUTURAMA X COURRÈGES(クチュラマ X クレージュ)

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『ELLE』誌によるクチュラマではクレージュともコラボ。1968年のサロペットドレス風デザインは、実はオールインワン。

LAURA(ソニア・リキエル)

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ソニア・リキエルの前身。1954年にソニア自身が夫とともに始めた伝説的なローラから、60年代のドレス3点。

HENRY À LA PENSÉE(アンリ・ア・ラ・ポンセ)

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パリのクチュール・メゾンとして名を馳せ、南仏にも出店したアンリ・ア・ラ・ポンセ。写真のドレスは60年代。

GUDULE(グュデュール)

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1960〜70年代にはフランス中にブティックを構え、ミニスカートの普及に一役買ったブランド、グュデュールのドレス。

JACQUES ESTEREL(ジャック・エステレル)

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1959年にブリジット・バルドーのウェディングドレスを手がけたことで有名な、ジャック・エステレルのスカート。

GIANNI BALDINI(ジャンニ・バルディーニ)

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イタリアンブランドも紹介。ウァルター・アルビーニによるジャンニ・バルディーニのレザープリントドレスは60年代末のもの。

ヴィンテージ・ショールーム その役割と重要性

ヴィンテージを貴重な参考資料とするデザイナーたちにとって、効率的なリサーチの力となり、かつインスピレーションにもなるのが、ヴィンテージ・ショールームだ。ミュージアムのごとく膨大な量の服や小物が整理、保管されたアーカイブスから、デザイナー側のテーマに合うものをセレクト。時には興味をそそりそうなものを提案し、レンタルするというシステムだ。その代表が、パリのフィリップ&エマニュエル・アロス夫妻による、キダム・ド・レヴェル。彼らはデザイナーたちの来たるシーズンについての話に耳を傾ける存在。だから自然とトレンドをいち早くつかむことになる。

「最近デザイナーたちが求めているのは、憂いのないハッピーなムードです。鮮やかな色使い、シンプルなシルエットに凝縮される、ストレートな美しさ」と語るフィリップ。エマニュエルが続ける。

「具体的には太陽、バカンス、特に1960から70年代のコート・ダ・ジュール。この時期、南仏ではモードが開花し、活気にあふれていましたから。まさに、今誰もが再発見したい空気感!」

60〜70年代の南仏ブーム、それは自由と陽気さの象徴

フランスでの戦後のモードの歴史をひもとくと、まず1950年代にはプレタポルテが始まり、洗練されたドレスが身近になった。モードの民主化とも捉えられる。この時期折しも、ブリジット・バルドーがデビューし、新しいファッション・アイコンが誕生した。そして1956年に彼女主演の映画『素直な悪女』の舞台となり、付加価値を一気に高めた地がサントロペだ。60年代に入ると、この街を中心にコート・ダ・ジュールにはスターや富裕層たちが押しかけ、自然とモードのブティックも次々とオープンした。

「当時のアイコニックなデザイナーを挙げるなら、映画の衣装から私服までバルドーのお抱えだったジャン・ブキャンと、彼女のウェディングドレスを手がけたジャック・エステレルでしょう。マリエにピンクのギンガムチェックを採用するなんて、サントロペならでは!」と、フィリップ。ブキャンは絶頂期を堪能して7年後にはメゾンをクローズ。エステレルは早くも1974年に他界したため、この2ブランドのタグを擁したピースは、今ではコレクターズ・アイテムだ。

「熱狂や興奮が渦巻くという点でサントロペに匹敵したのが、パリのサンジェルマン・デ・プレですね」と、エマニュエル。「ソニア・リキエルが『ローラ』出店にこの地区を選んだのは、偶然ではないでしょう。今はなき『ドラッグストア・サンジェルマン』の存在も忘れられません」。1965年以降、バーやキオスクを含めた24時間オープンのこの複合施設を中心に、サンジェルマンは若者の文化や思想の震源地に。「パリ5月革命(’68 年の大規模な学生運動)の前夜、自由への切望がふつふつとわき立ち始めていたんでしょう」。そして’68 年には、モード界でも革命が。仏『ELLE』誌の提案による「クチュラマ」だ。当時は珍しかったコラボレーションのおかげで、消費者はハイブランドに手が届き、クチュリエたちは客層を広げることができた。

ハッピーからヒッピーへ。加熱する、自由への渇望

さて、舞台を南仏に戻そう。パーティ、ビーチ、太陽、と楽しいことずくめの毎日。成功を夢見る若手デザイナーたちは、この地を目指した。当時はマーケティングという概念はなく、ちょっとした手づくりのアイテムを売る店がブランドに発展することも珍しくなかった。そんなひとりが、60年代末のフィリップ・サルヴェ。モロッコから仕入れた生地を手染めしたフレアパンツは飛ぶように売れた。そしてこの時期、世界的にスカート丈はミニからマキシへと移行しつつあった。ヒッピー・ブームだ。ただし、サントロペのヒッピーには特別な洗練さがあった。

「70年代に盛り上がった“ヒッピー・シック”の先駆けは、ほかでもないジャン・ブキャン。このスタイルに象徴される“自由”への熱も、ポスト・コロナにふさわしい」と、フィリップは考察する。

時代は巡る。でも単に繰り返されるのではない。キュレーションされたヴィンテージは、過去のモードがいかに未来へと発展していくかを予測するためのバロメーターとなる。

SOURCE:SPUR 2021年8月号「「『本当は教えたくない』ブランド」
photography: Chiara Santarelli text: Minako Norimatsu

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