音楽界をリードし続ける世界の歌姫、ビヨンセの注目ニュースと輝かしいキャリア

1997年、デスティニーズ・チャイルドとしてデビューすると、パワフルな歌唱力とキレのあるダンスで瞬く間に人気を集めたビヨンセ。(2005年に活動中止を発表)ソロ活動でさらに才能を開花させ、第52回グラミー賞では年間最優秀楽曲賞を含む6部門を受賞した。プライベートでは、2008年にジェイ・Zと極秘婚を挙げた。2012年1月に長女ブルー・アイビーを、2017年6月には長男サー・カーターと次女ルミの双子を出産した。

 

ビヨンセの注目ニュース

産後98kgから、コーチェラ出演するまでの道のり

2018年4月、双子を出産後初のステージとなった「コーチェラ・フェスティバル 2018」でヘッドライナーを務めたビヨンセ。Netflixで配信中の『HOMECOMING ビヨンセ・ライブ作品』で、その舞台裏から産後のダイエット法なども明かされ、血の滲むような努力が話題に。ストイックなダイエット法とは?

 

インスタグラム1投稿あたりの金額はハウマッチ?

ステージ同様、インスタグラムでも圧倒的な存在感を見せているビヨンセ。インスタグラム1投稿あたりの金額は約8,300万円だそう! 2017年には、マタニティフォトとともに双子の妊娠を報告。この写真は同年の最多「いいね!」を獲得し、インスタグラムの歴史に名を刻んだ。

 

デスティニーズ・チャイルド再結成の真相は?

ファンに惜しまれつつも、メンバーそれぞれがソロ活動に専念すべく、2005年に活動中止を発表したデスティーズ・チャイルド。ここへきて再結成の噂が浮上している。ビヨンセも前のめりだそうで、パンデミックの終息とともに復活コンサートが見られるかも⁉︎

 

ビヨンセのプロフィール

アメリカ合衆国出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優として知られるビヨンセ。
Photo:Getty Images

1981年9月4日、アフリカ系アメリカ人の父マシュー・ノウルズと、ルイジアナ・クレオールの祖先(アメリカインディアン、フランス人の血を引く)を持つ母ティナとの間に、長女として生まれたビヨンセ。身長は169cm。妹のソランジュもアーティストとして活躍している。

 

ビヨンセの生い立ち

幼い頃から、ソウルミュージックやゴスペル、R&Bに夢中だったというビヨンセ。7歳からダンススクールに通い、最初にビヨンセの才能を見出したというダンス講師の勧めで、同スクールが主催していたタレントショーに出場。そのときビヨンセは、ステージでは別人になれることに気づき、自信をつけたという。ビヨンセが12歳の頃は、ティナが経営していた美容室で客に向けて歌っていたとか。

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早くも頭角を現したビヨンセを見た両親は、地元のヒューストンで7人組(すぐに6人組になる)のガールズ・グループ、ガールズ・タイムを結成させたが成功はしなかった。

鳴かず飛ばずのガールズ・タイムを見兼ねたマシューは、当時勤めていたゼロックス社を退職し、すべてのマネージメントを引き受けることに。ビヨンセをはじめとしたメンバーは10代の半ばになると、レッスンに専念するために学校を中退して(代りに家庭教師をつけたそう)、メジャーデビューに向けて地道な活動を続けた。ビヨンセたちはマシューの厳しい指導のもと、才能を磨いていき、聖歌隊員として教会でも歌っていたとか。

 

ビヨンセのキャリア

デスティニーズ・チャイルドとしてのキャリア

米人気女性グループのデスティニー・チャイルド。
Photo:Getty Images

ガールズ・タイムは、1996年にティナの提案でデスティニーズ・チャイルドに改名。4人組で活動していた頃、クリスティーナ・アギレラやTLCのツアーの前座も経験したという。初めての楽曲は、1997年に公開された映画『メン・イン・ブラック』のサウンドトラックに収録された『キリング・タイム』。これがデビューのきっかけとなり、1997年にデビューシングル『ノー・ノー・ノー パート2(feat.ワイクリフ・ジョン)』、1998年にデビューアルバム『デスティニーズ・チャイルド』をリリース。全米で人気グループへと成長していく。

マシューはマネージャー、ティナは衣装デザイン&専属スタイリストを兼任するも、家族経営を嫌ったメンバー(ラターヴィアとラトーヤ)がマシューを追い出そうとした。しかし逆に追い出されてしまい、ビヨンセとケリー以外のメンバーが脱退してしまった。

2000年2月、ミッシェル・ウィリアムズとファラが新メンバーとして加入するが、ファラは頻繁に遅刻や欠勤を繰り返していたため解雇。同年7月から3人編成となった。映画『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)の主題歌『インディペンデント・ウーマン パート1』が全米ビルボード・ホット100で11週連続1位となり、大ヒットを記録した。

2001年、『サヴァイヴァー』をリリースすると、400万枚以上のセールスを記録。この曲が収録された同名のサードアルバムはビヨンセ初の本格プロデュース作品と言われ、デスティニーズ・チャイルドのアルバムでは初となる全米1位を獲得。世界14か国でも1位を記録した。同年10月にクリスマス・アルバム『8デイズ・オブ・クリスマス』をリリース後、ソロ活動に注力するためという理由から活動休止を発表。

その後、2004年にはシングル『ルーズ・マイ・ブレス』をリリース、4枚目のアルバム『デスティニー・フルフィルド』を発表。

2005年4月から、日本で広島公演を皮切りに、ワールドツアー『デスティニー・フルフィルド…アンド・ラヴィン・イット』をスタート。しかし、同ツアー中の6月、スペインのバルセロナで行なわれたライヴ中に突然の解散を表明。9月のカナダ・バンクーバー公演を最後に解散した。同年11月にハリウッドで収録された、米テレビ番組『ジミー・キンメル・ライブ』でのパフォーマンスが最後の出演になった。ビヨンセとケリーは歌手&女優として、ミッシェルは舞台をメインにそれぞれソロ活動を続けていくと発表した。

解散後間もない2006年2月に、ヒューストンで開催されたNBAオールスターゲームで1日限定の再結成をし、話題に。国歌斉唱を披露した。

2013年1月、新曲『ニュークリア』を含めた、新しいコンピレーション・アルバム『ラヴソングス』をリリース。翌月には第47回スーパーボウルのハーフタイムショーでビヨンセが登場したが、ショーの中盤にはサプライズゲストとしてケリーとミッシェルが登場し、デスティニーズ・チャイルドのヒット曲を熱唱した。

2018年4月、ビヨンセが2週に亘りヘッドライナーを務めたコーチェラ・フェスティバル(その2週目)にケリーとミッシェルがステージに登場。デスティニーズ・チャイルドが1日限りで再結成が実現した。

 

デスティニーズ・チャイルドのアルバム一覧

リリース年/作品名

1998/デスティニーズ・チャイルド
1999/ライティングズ・オン・ザ・ウォール
2001/サヴァイヴァー
2001/8デイズ・オブ・クリスマス
2004/デスティニー・フルフィルド
2013/ラヴソングス

 

デスティニーズ・チャイルドのシングル一覧

リリース年/作品名

1997/ノー・ノー・ノー パート2(feat.ワイクリフ・ジョン)
1998/ウィズ・ミー パート1(feat.ジャーメイン・デュプリ)
1998/ゲット・オン・ザ・バス(feat.ティンバランド)
1999/ビルズ・ビルズ・ビルズ
1999/バガブー
2000/セイ・マイ・ネーム
2000/ジャンピン・ジャンピン
2000/インディペンデント・ウーマン パート1
2001/サヴァイヴァー
2001/ブーティリシャス
2001/エモーション
2002/ナスティー・ガール
2004/ルーズ・マイ・ブレス
2004/ソルジャー(feat.T.I. &リル・ウェイン)
2005/ガール
2005/ケーター・2・U
2005/スタンド・アップ・フォー・ラヴ

 

ソロ活動としてのキャリア

2013年2月に出演した第47回スーパーボウルのハーフタイムショーのステージにて熱唱するビヨンセ。
Photo:Getty Images

2003年6月、ソロデビューアルバム『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』をリリースしたビヨンセ。ジェイ・Zをフィーチャリングしたファーストシングル『クレイジー・イン・ラヴ』 は、8週連続ビルボード・ホット100で1位を記録し、大ヒット曲となった。『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』はアメリカ、イギリス、カナダでポップアルバムチャートとR&Bアルバムチャートで1位を記録。アメリカで約400万枚、全世界では1,100万枚以上のセールスを記録した。シングルとアルバムが同時にアメリカとイギリスでポップチャート1位を記録するのは1983年以来、女性では初の功績となった。続く『ベイビー・ボーイ』は9週連続でビルボード・ホット100で1位を獲得、『ミー、マイセルフ・アンド・アイ』、『ノーティ・ガール』はビルボード・ホット100で最高4位と3位を記録した。

5枚目のシングル『ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー』は、第46回グラミー賞で最優秀R&Bパフォーマンス賞のデュオ・オア・グループ・ウィズ・ボーカル部門に輝いた。同時にビヨンセは、『デンジャラスリィ・イン・ラヴ 2』で最優秀女性R&Bボーカルパフォーマンス賞、『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』で最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞を含む5部門のグラミー賞を受賞した。

2004年2月に開催された第38回スーパーボウルでは、アメリカ国歌を熱唱したビヨンセ。当時のインタビューでは、「アメリカの黒人女性はいまだに白人女性以上に努力しないと成功できない」と語り、メイクやスタイリストなどステージに必要なものはすべて自分で用意しなければならなかったことや、リハーサルが他のアーティストよりも多く、自分の実力が試されている気分になったが、口を挟まなかったことなどを赤裸々に語った。

2006年9月4日、25歳の誕生日にセカンドアルバム『ビー・デイ』をリリース。シングルカットされた『デ・ジャ・ヴ(feat.ジェイ・Z)』、『リング・ジ・アラーム』、ビヨンセが主演を務めた映画『ドリームガールズ』のサウンドトラックである『リッスン』がヒット。『イレプレイスブル』については、10週に亘り、ビルボード・ホット100で1位を獲得した。この曲は、2007年ビルボードチャート・シングル部門で年間1位を記録。オーストラリア、ハンガリー、アイルランド、ニュージーランドでも1位に輝くなど、世界的にも大ヒットした。アルバム『ビー・デイ』は、第49回グラミー賞で最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞を受賞した。

2007年4月からは約8カ月に亘る初のワールドツアー『ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス』を東京ドームからスタートさせ、オーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカ、アフリカなど全96公演行われた。初のワールドツアーのバックバンドは全員女性だったそうで、日本人ピアニストの辻利恵もメンバーの一員として参加した。

2008年11月、サードアルバム『アイ・アム・・・サーシャ・フィアース』をリリース。初の2枚組で、自身をより深く素直に表現した静的な『アイ・アム』と、情熱的でセクシーなステージ上のビヨンセを表現した『サーシャ・フィアース』(サーシャは従姉妹・アンジーから名付けられた)で構成。シングルカットされた『イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ』、『シングル・レディース』がリリースされた。『シングル・レディース』は、ビルボードチャートで4週連続1位を獲得するヒットとなった。

2009年2月、『アイ・アム・・・サーシャ・フィアース』から『ヘイロー』、『ディーヴァ』をリリース。同年4月には、自身主演で製作総指揮も兼任したサスペンス映画『オブセッション 歪んだ愛の果て』が全米で公開された。続く、『エゴ』、『ブロークン・ハーテッド・ガール』、『スウィート・ドリームス』もシングルカットされた。

同年3月から始まったワールドツアー『アイ・アム・・・』では、北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、中東、南アメリカで公演し、翌年2010年2月までに全108公演が行われた。ステージにはジェイ・Zも登場し、ビヨンセは70着ものコスチュームを披露するなど、豪華なステージに。米『ビルボード』誌のコンサート興行収入ランキングで1位を獲得した。第52回グラミー賞では、年間最優秀楽曲賞などの6部門を受賞。女性アーティストでは史上最多受賞となり、歴代でも獲得数は3位タイという偉業を成し遂げた。その後、約9カ月に及ぶ活動休止を発表するとともに、ビヨンセのマネージメントを務めていたマシューから独立したことを正式に発表した。

2011年6月には、4枚目のアルバム『4』を発表。ビルボード200で初登場1位となるも、シングルカットされた『ラン・ザ・ワールドガールズ』はセールスが伸び悩んだ。

同年8月に開催されたMTVビデオ・ミュージック・アワードでのパフォーマンス直後に、衣装のブレザーのボタンを外してお腹を示し、妊娠を発表。また、『4』からのシングル『ラブ・オン・トップ』が2012年の3~4月にかけてビルボードR&Bチャートで、7週連続1位を獲得した。

2012年5月25~28日、出産後初のライブ『レヴェル・プレゼンツ:ビヨンセ・ライブ』をアトランティックシティで開催した。

2013年1月、バラク・オバマ米大統領の2度目となる就任式で、アメリカ国歌を披露した。2月には、第47回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。同月に行われた第55回グラミー賞では、『ラブ・オン・トップ』が最優秀トラディショナルR&Bパフォーマンス賞を受賞した。4月からは、翌年の2014年3月まで続いたワールドツアー『ザ・ミセス・カーター・ショー』をスタートさせた。同ツアーでは、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリアを回り、全132公演を敢行した。

2013年12月、5枚目となるアルバム『ビヨンセ』を全世界のiTunes Store限定でリリースした。事前の宣伝はなく、先行シングルもないという異例の状態でのサプライズリリースとなった。『ビヨンセ』は、アメリカでは発売から3日間で61万7000ダウンロードを売り上げ、ビルボードチャートで初登場1位を記録した。これでビヨンセは、デビューからアルバム連続5作品すべてが初登場1位を獲得した史上初の女性アーティストになった。61万7000ダウンロードは、彼女のキャリアにおいて史上最高の初動セールスとなった。また、全世界での売り上げは3日間で82万8000ダウンロードに達した。これは、iTunes Storeにおける史上最速セールスとなり、6日後には100万ダウンロードに上り、104カ国で1位を獲得した。

2014年1月には、第56回グラミー賞授賞式のオープニングパフォーマーとして、ジェイ・Zと共に、『ドランク・イン・ラヴ feat.ジェイ・Z』のパフォーマンスを披露した。

2016年2月、『フォーメーション』を発表。歌詞には、「黒人であることを誇りに感じている」と改めて表明した、メッセージ性の強い楽曲となった。翌日、第50回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。コールドプレイとブルーノ・マーズと共演し、『フォーメーション』も披露された。同年4月、前作に続き、予告なしに6枚目のアルバム『レモネード』を発表。ジェイ・Zがオーナーを務める音楽ストリーミングサービス、Tidalでの限定配信が開始された。世界各地のチャートで1位を獲得したほか、米『ローリングストーン』誌や英『カーディガン』誌などで「2016年最も素晴らしかったアルバム」に選ばれるなど、批評家からも圧倒的な支持を集めた。

2018年4月、双子を出産後初のステージとなるコーチェラ・フェスティバルで、ヘッドライナーを務めた。2週にわたって出演したビヨンセは、"ベーチェラ"という造語が誕生するほど世界中から注目され、完全復活を遂げた。

2020年7月、ビヨンセが監督、脚本、製作総指揮者を務めたビジュアル・アルバム『ブラック・イズ・キング』をDisney+で配信された。楽曲は、2019年に自身が声優を担当した実写版『ライオン・キング』の音楽をフィーチャーしたもの。黒人の文化や歴史を讃えるとともに、多様性や繋がりを描いたストーリーに仕上がっている。

 

ビヨンセのアルバム一覧

リリース年/作品名

2003/デンジャラスリィ・イン・ラヴ
2006/ビー・デイ
2008/アイ・アム・・・サーシャ・フィアース
2011/4
2013/ビヨンセ
2016/レモネード
2019/ホームカミング:ザ・ライヴ・アルバム
2019/ライオン・キング:ザ・ギフト
2020/ブラック・イズ・キング(Disney+で配信)

 

ビヨンセのシングル一覧

リリース年/作品名

2002/ワーク・イット・アウト
2003/ファイティング・テンプテーションズ(withミッシー・エリオット、MCライト、フリー
2003/クレイジー・イン・ラヴ(feat.ジェイ・Z)
2003/ベイビー・ボーイ(feat.ショーン・ポール)
2003/ミー、マイセルフ・アンド・アイ
2003/サマータイム(feat.P・ディディ
2004/ノーティ・ガール
2004/ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー(withルーサー・ヴァンドロス
2005/ウィッシング・オン・ア・スター
2005/チェック・オン・イット(feat.スリム・サグ
2006/デ・ジャ・ヴ(feat.ジェイ・Z)
2006/リング・ジ・アラーム
2006/イリプレイスブル
2007/リッスン
2007/ビューティフル・ライアー~華麗なる反撃(withシャキーラ)
2007/ゲット・ミー・バディード
2007/グリーン・ライト
2008/イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ
2008/シングル・レディース(プット・ア・リング・オン・イット)
2008/アット・ラスト
2009/ディーヴァ
2009/ヘイロー
2009/エゴ
2009/スウィート・ドリームス
2009/ブロークン・ハーテッド・ガール
2009/ビデオ・フォン
2010/ホワイ・ドント・ユー・ラヴ・ミー
2011/ラン・ザ・ワールド(ガールズ)
2011/ベスト・シング・アイ・ネヴァー・ハッド
2011/パーティー(feat.アンドレ・3000
2011/ラブ・オン・トップ
2011/カウントダウン
2012/エンド・オブ・タイム
2013/XO
2013/ドランク・イン・ラヴ(feat.ジェイ・Z)
2014/パーティション
2014/プリティ・ハーツ
2014/***フローレス(feat.チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)
2014/7/11
2014/リング・オフ
2016/フォーメーション
2016/ソーリー
2020/ブラック・パレード

 

女優としてのキャリア

映画出演一覧

公開年/作品名/役名

2001/カルメン:ア・ヒップ・ホペラ/
2002/オースティン・パワーズ ゴールドメンバー/フォクシー・クレオパトラ
2006/ピンクパンサー/ザニア
2006/ドリームガールズ/ディーナ・ジョーンズ
2009/オブセッション 歪んだ愛の果て/シャロン・チャールズ
2019/ライオン・キング(声の出演)/ナラ

 

ビヨンセの年収

2009年4月、米誌『パレード』が発表したセレブの年収によると、ビヨンセは8000万ドル(約88億円)を稼いだそう。ちなみに同年のジェイ・Zの収入は8200万ドル(約90億円)と言われ、夫妻の世帯年収は170億円を超えた。

2010年7月、米経済誌『フォーブス』が「最も稼いだ30歳未満のセレブ」を発表。ビヨンセは8700万ドル(約95億1700万円)を稼いで1位にランクイン。

2011年6月、米経済誌『フォーブス』が「最も稼いだ30歳未満のセレブ」を発表し、ビヨンセは3500万ドル(約38億円)を稼いだと言われ、8位にランクインした。

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ビヨンセの家族

2017年6月に、双子のサー・カーターとルミを出産したビヨンセ。
Photo:Instagram(@beyonce)

2008年4月、長年の恋人と噂されていたジェイ・Zと極秘結婚。友人や親族のみの結婚式を行う。左手の薬指には、ジェイ・Z、ティナ、そしてビヨンセの誕生日である「4」の数字「IV」のタトゥーを入れた。婚約をした日はジェイ・Zの誕生日だったそう。

2012年1月に長女ブルー・アイビーを出産。2日後にジェイ・Zが発表した楽曲『グローリー』の歌詞でビヨンセが過去に流産した経験を明かしている。

2017年6月には、双子の長男サー・カーターと次女ルミを出産した。生後1か月のときにインスタグラムに投稿した写真は、投稿からわずか2時間で、282万件以上の「いいね!」が付けられるほどの大きな反響を呼んだ。

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ジェイ・Zは歌詞を通じて浮気を反省

2016年2月にビヨンセがリリースしたアルバム『レモネード』に収録されている『ソーリー』に、ジェイ・Zの浮気を暴露するような歌詞があると報じられた。すると、2017年7月にジェイ・Zがリリースしたアルバム『4:44』の一曲『ファミリー・フュード』に、ジェイ・Zは「浮気を認めて反省している」という歌詞を盛り込み、話題を集めた。

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ビヨンセのビューティ

ビヨンセがコーチェラのステージで崩れなかったというメイク技を、メイクアップアーティストのサー・ジョンが明かした。
Photo:Getty Images

コーチェラ・フェスティバル 2018」の舞台裏を映したコンサート映画『HOMECOMING ビヨンセ・ライブ作品』では、壮絶なダイエットを実践していたビヨンセ。同ステージでは2時間に渡って全24曲を披露したが、その間にまったく崩れなかったというメイク技をメイクアップアーティストのサー・ジョンが明かした。その驚くべきテクニックとは?

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