弱冠25歳で英国を担う女王に! エリザベス2世の注目ニュースとロイヤルファッション

エリザベス2世は、弱冠25歳で、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンなどの女王になる。21歳のときにフィリップ王子と結婚し、長男チャールズ皇太子、長女アン王女を授かった。公務では、一番好きな色と言われるブルーをはじめ、パープル、ピンクなどのカラフルなスーツを着こなし、王室のファッションリーダーとしても一目置かれる存在。

 

エリザベス2世の注目ニュース

エリザベス2世のロイヤルファッション

ビビッドカラーからソフトなパステルカラーまで、カラフルなワンカラースタイルで着こなすエリザベス2世のロイヤルファッションをリサーチ。その日のスタイルに合わせる帽子、傘、スカーフ、グローブ、ブローチ、ジュエリーなどの小物使いにも注目!

 

気品漂う乗馬スタイルを披露

新型コロナウイルス感染拡大により、自主隔離生活を送っていたエリザベス2世。ロックダウン後初となる屋外写真が公開されると、年齢を感じさせない乗馬スタイルが注目を集めた。

 

ブローチに込めたメッセージとは?

新型コロナウイルスと闘う国民に対し、異例のテレビ演説を行ったエリザベス2世。胸元にはターコイズのブローチがつけられていたのだが、これには女王のある思いが込められていたよう。そのメッセージとは?

 

エリザベス2世のプロフィール

弱冠25歳で女王となったエリザベス2世。
Photo:Getty Images

1926年4月21日、ヨーク公アルバート王子(後のジョージ6世)とエリザベス妃(後のエリザベス王妃)の間に長女として出生したエリザベス2世。身長は163cm。父アルバート王子は、国王ジョージ5世とメアリー妃の次男で、母はスコットランド貴族の第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女である。エリザベス2世が4歳のときに、妹のマーガレット王女が誕生した。

 

エリザベス2世の生い立ち

出生約1か月後の5月29日に、バッキンガム宮殿内のプライベート・チャペルで、エリザベス王女の洗礼式が執り行われた。名前は、母エリザベスと父方の曽祖母アレクサンドラ、同じく父方の祖母メアリーが命名し、エリザベス・アレクサンドラ・メアリーとなった。家族からは“リリベット”の愛称で呼ばれていた。なかでも祖父のジョージ5世はエリザベス王女を溺愛しており、1929年に自身が大病を患ったときも、「エリザベス女王が定期的に見舞いにきてくれたことが、病気の回復を早めるのに一役買った」と発言したほど。

当時は、「結婚が保証される上流階級の女子には、教育は不必要」という時代であったが、メアリー王妃の方針により、姉妹そろって宮廷内で教育を受けていた。家庭教師のマリオン・クロフォードによって、歴史、言語、文学、音楽を中心に行われた。マリオンによる伝記には「エリザベス王女は、この頃から馬や犬などの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格であった」と記されている。また、後にエリザベス2世として即位した最初の首相となるウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベス王女に対して「驚くほど威厳があり沈思ができる子どもだった」と回想している。

 

エリザベス2世の王女時代

出生時に与えられた称号は、ヨーク公エリザベス王女殿下。伯父のエドワード王太子、父のヨーク公アルバート王子に次いで、王位継承順位は第3位であったエリザベス王女。

1936年1月、エリザベス王女の祖父ジョージ5世の崩御を受けて、エドワード王太子がエドワード8世が即位する。しかしエドワード8世はナチス・ドイツに親近感があるような態度をとった上、離婚経験があったアメリカ人女性のウォリス・シンプソンとの結婚を果たすために、同年12月に退位。これは世紀のスキャンダルと言われ、映画化もされている。

そして、エドワード8世の弟でエリザベス王女の父ヨーク公アルバート王子が即位して、国王ジョージ6世となる。これを受けて、王位継承順位が第1位となったエリザベス王女は、両親と妹とともにバッキンガム宮殿に移住し、エリザベス王女殿下の称号が与えられた。

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エリザベス王女と第二次世界大戦

1939年9月に勃発した第二次世界大戦では、ロンドンもドイツ空軍から空襲を受け、多くの子どもたちが疎開。エリザベス王女とマーガレット王女も、安全なカナダへと疎開させることを政府から提案されたが、母エリザベス王妃が「私の子どもたちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と述べて、これを拒否。結局、1939年のクリスマスまではスコットランドのバルモラル城で過ごしたが、その後はノーフォークのサンドリンガム御用邸に戦時住居として移転。1940年2月から5月まではウィンザー城のロイヤル・ロッジに滞在し、そのままウィンザー城へ移り住んだ。

ウィンザー城では、軍用衣類向けのニット生地を生成する毛糸を調達していた「クイーン・ウール・ファンド」を支援するために、王室職員の子女たちとともにクリスマスにパントマイムを上演したエリザベス王女。また、わずか14歳でBBCラジオ放送での初演説も行った。以後、次期王位継承者として少しずつ公務に携わるようになった。

1942年に近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長となり、大戦中も国民と共に後方支援にあたる。1943年、16歳のときに、単独での公務デビューを果たしたエリザベス王女は、名誉連隊長として近衛歩兵連隊のグレナディアガーズを訪問した。

1945年2月、英国女子国防軍に入隊。名誉第二准大尉として、軍用車両の整備や弾薬管理などに従事したほか、大型自動車の免許を取得し、軍用トラックの運転を行った。エリザベス王女は一般の学生たちと同等の訓練を受け、従軍する初めての女性王族となった。この経験をもとに、「自分の子どもたちにも宮廷で教育させるより、一般国民と同等の学校に通わせる」と決意したという。

第二次世界大戦でイギリスが勝利した2年後の1947年4月には、国王夫妻に付き添い初の外遊で南アフリカを訪問。外遊中に21歳の誕生日を迎えると、イギリス連邦に向けたラジオ演説で、「私の全生涯を、あなた方と、我々の全てが属する国家に捧げる決意であることを宣言する」と誓いをたてた。

 

エリザベス王女の結婚

1947年11月20日に執り行われた、エリザベス2世の結婚式。
Photo:Getty Images

将来の夫となるギリシャおよびデンマーク王子フィリップとは、1939年7月にダートマス海軍兵学校で出会い、エリザベス王女がひと目惚れをし、文通を始めた。

1947年7月9日に正式に婚約が発表されたが、婚約に至るまでの経緯は決して順風満帆とは言えなかった。その要因は、フィリップがギリシャから亡命した現役のイギリス海軍士官であり、資産を所有していなかったこと、外国生まれであることのほか、フィリップの姉がナチスとの関係を持ったドイツ系貴族と結婚していたことなどが挙げられる。

これに先立つ同年2月にフィリップは、ギリシャ正教会からイングランド国教会への改宗を行い、ギリシャおよびデンマーク王子の地位を放棄すると宣言。

そして、同年11月20日にウェストミンスター寺院にて、エリザベス王女とフィリップ王子の結婚式が執り行われた。エリザベス王女は、翌1948年11月14日に第一子の長男チャールズ王子を出産、1950年8月15日には第二子の長女アン王女を出産。1960年2月19日には第三子の次男アンドルー王子、1964年3月10日には第四子の三男エドワード王子を出産した。

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エリザベス2世の誕生

1953年6月2日、ウェストミンスター寺院にて、エリザベス2世の戴冠式が執り行われた。Photo:Getty Images
1953年6月2日、ウェストミンスター寺院にて、エリザベス2世の戴冠式が執り行われた。Photo:Getty Images

病弱だった父ジョージ6世の容態は1951年に悪化し、翌1952年2月6日の未明に冠状動脈血栓症により崩御した。このとき、エリザベス王女はフィリップ王子とともに、オーストラリアとニュージーランドを公式訪問していた。

これを受けて、エリザベス王女は女王に即位して「エリザベス2世女王」となり、同名の母エリザベス王妃は「エリザベス皇太后」となった。翌1953年6月2日にはウェストミンスター寺院で戴冠式が行われ、世界各国のメディアで中継された。日本の皇室からは、皇太子明仁親王(当時)が参列した。

2017年8月2日に、96歳となったフィリップ王配は公務から引退することを発表。また同年11月20日には、エリザベス2世とフィリップ王配の成婚70周年を迎えた。

 

エリザベス2世と競馬

(左から)14歳のエリザベス王女、10歳のマーガレット王女。Photo:Getty Images
(左から)14歳のエリザベス王女、10歳のマーガレット王女。Photo:Getty Images

エリザベス2世の功績のひとつが競馬。イギリス史上初めて、ジョッキークラブの決定に法的基盤を付与したのがエリザベス2世だった。この結果、ジョッキークラブに法的な根拠が認められることに。また、ニューマーケットに英国国立牧場を移したのもエリザベス2世。彼女は、両親の名を冠したレースキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの優勝馬オリオールのほか、4頭のクラシック競走優勝馬など、数々のステークス優勝馬を所有していた。

1954年と1957年には、イギリスのリーディングオーナー(所有馬の獲得賞金額首位)となった。在位中にこのタイトルを複数回獲得した君主は現在まででエリザベス2世のみだそう。

2013年6月、英王室が主催するロイヤルアスコットにおいて、所有馬のエスティメイトがゴールドカップで優勝し36年ぶりにG1を制覇した。

イギリスのクイーンエリザベス2世ステークス、アメリカ合衆国のクイーンエリザベス2世チャレンジカップステークス、日本のエリザベス女王杯、香港のクイーンエリザベス2世カップなど、エリザベス2世の名を冠した競馬レースが世界各地に存在している。

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エリザベス2世のエピソード

愛犬家

愛犬家として知られるエリザベス2世。
Photo:Getty Images

幼少時代に父ジョージ6世が「遊び相手に」とウェルシュ・コーギー・ペンブロークを与えたことから、現在も同じ犬種を飼っている。その他にもレトリーバーを飼っており、国内旅行には可能な限り同伴するそう。2012年のロンドンオリンピックでは、開会式のために制作された『幸福と栄光』という短編映画で、ジェームズ・ボンドに扮した俳優のダニエル・クレイグと共演したが、このときも愛犬たちが出演した。

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92歳でインスタグラム・デビュー

92歳のときに、インスタグラムを開設したエリザベス2世。記念すべき初投稿には、25万件以上もの「いいね!」が付けられ、新たなインフルエンサーとして世界中から注目された。

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1975年5月に初来日を果たす

1975年5月にフィリップ王配と初来日を果たし、当時の天皇をはじめ皇室とも交流を重ねた。5月7日に天皇主催の晩餐会に出席し、8日にはNHK(日本放送協会)を訪問、大河ドラマ『元禄太平記』の収録を見学したとか。9日には都心でパレードをして東京都民の歓迎に応えた。その後は京都御所や伊勢神宮を訪問し、12日に離日した。

 

ダイアナ元妃の死去後に王室がピンチに!?

1997年8月31日、エリザベス2世の長男チャールズ皇太子の前妻であったダイアナ元妃がパリで交通事故により死去。義母であったエリザベス2世を含む英王室の冷ややかな対応が世間から批判を浴びたことを受け、同年9月5日にテレビ放送を通して哀悼のメッセージを送った。そこではチャールズ皇太子との離婚以降、英王室から敬遠されていたダイアナ元妃の名誉回復を行い、王室の信頼回復に努めたと言われている。

 

妹、母と立て続けに死別を経験

エリザベス2世が在位半世紀を迎えた2002年には、2月9日に妹のマーガレット王女が逝去、3月30日には母のエリザベス皇太后が崩御と、肉親との死別が続いた。

 

33年ぶりにウィンブルドン選手権を観戦

2010年に33年ぶりとなるウィンブルドン選手権を観戦したエリザベス2世。
Photo:Action Images/アフロ

2010年6月24日、33年ぶりとなるウィンブルドン選手権を観戦したエリザベス女王。前回は、イギリスのバージニア・ウェード選手が女子シングルスを制した1977年大会とのこと。即位25周年を記念して観戦された。

 

アイルランド共和国を公式訪問

2011年5月17日、1911年の祖父ジョージ5世による訪問以来、100年ぶりにイギリスの君主としてアイルランド共和国を公式訪問した。1911年の当時はイギリスの植民地であったため、独立後としては初の訪問だった。

 

エリザベス2世のファッション

色とりどりのスーツを着用するエリザベス2世。
Photo:Getty Images

英王室きってのファッションリーダーとしても知られるエリザベス2世。公務では、一番好きな色と言われるブルーをはじめ、グリーン、パープル、ピンク、そしてオレンジなど色とりどりのスーツを着用するなど、並々ならぬこだわりを持っている。

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また、2018年には人生初のロンドン・ファッションウィークのフロントロウを体験したエリザベス2世。サプライズで訪れると、会場が騒然となった。

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エリザベス2世のビューティ

ネイル

エリザベス2世はエッシーのネイルポリッシュを長年愛用。
Photo:amanaimages

普段は手袋に包まれているエリザベス2世の手だが、その爪にはいつも同じ淡いピンクのネイルが施されているという。そのネイルに出合ったのは1989年。それ以来、約30年以上も同じブランドの同じ品番のネイルを愛用している。米ネイルブランドのエッシーによると、1989年にエリザベス2世御用達の美容師から「女王が身につけるただひとつのカラー」として、同ブランドのネイル「ballet slippers(和名:バレエシューズ)」を所望する手紙が来たのだそう。そのエピソードもあいまって、このネイルは現在でもエッシーを代表するアイコニックな名品として知られている。

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メイクアップはセルフ派

エリザベス2世専属ファッションアドバイザーを務めるアンジェラ・ケリーが、女王にまつわる書籍を出版。その書籍によると、毎朝自身で化粧をしているという。しかし、毎年恒例のクリスマスに行われるスピーチのときだけは、プロのメイクアップを雇っているとか。また、エレガントなスーツ姿からは想像できないが、古着のファッションも好むという。

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