ほんの少しですが、秋の気配。暑かった。蒸した。マスクが苦しかった。私の場合、今夏は石鹸の香りのフレグランスが連日登板しました。色で表現するなら透明、もしくは白のフレグランスから、そろそろ「暖色系」が恋しくなってきた8月下旬、体温を感じる香水への憧れに火をつけたのは、こちらの真っ赤なボトルです。
敬愛する「鼻」、フランシス・クルジャン氏のバカラ ルージュ 540といえば、バカラ社の創業250周年をセレブレートするために、2014年に生まれた作品。なぜ540という数字を冠しているか? それはクリスタルの製法に秘密があります。バカラのアイコニックな赤いクリスタルは、純度の高いK24の金粉を540℃で溶解すると、目に鮮やかなレッドに生まれ変わるのです。つまり、クリスタルが溶け出す摂氏にちなんで生まれたのは、炎を感じるドラマティックな香調。オリジナルの香りに、このたびクルジャンはさらにツイストを加えました。最新作は、エジプト産ジャスミンのアブソリュートやサフランが奏でる、厚みのあるウッディ・アンバリー・フローラル。一言で表現するなら、「ものすごく高貴で、エキゾチックな宮廷で恭しくお菓子をふるまわれたとしたら、きっとこんな感じ」。異国情緒にあふれたグルマンな香り立ちです。モロッコ産のビターアーモンドも配合されているので、低音部分には苦み走る落ち着いたパウダリーなトーンも。見知らぬ国への旅行がまだまだ遠い今、目にも麗しい深紅のボトルを片手に、うっとりした気分に浸る晩夏の夜。満喫しています。
同様の「うっとりグルマン系」で、燦然と光を放っているのがトム フォードです。ロスト チェリー。名前からして、甘酸っぱいですね。熟れたチェリー色のボトルからは、目がくらむほどの甘美な芳香が弾けます。ワンプッシュでもう、パンチ十分! ブラックチェリーとトルコ産のローズ、トンカビーン、ビターアーモンドが甘やかに溶け合い、極上のシロップになりました。言い換えるなら、禁断の杏仁豆腐! これに尽きますね。そして、油断できないのがトム フォードたる所以なのですがこの香り、怖いくらいクセになってしまうのです。ちょっと心が乾燥して尖っているとき、モードな杏仁豆腐をシュッとすると、心身にまろやかさが生まれます。
ちなみに、果肉の誘惑を中和したいときは、ムスク系のホワイト スエードとミックスするのもおしゃれです。白檀やオリバナムがきりっと輪郭を加えて、透明感をブースト。気分に応じて、色っぽさを調整する役割としても良い仕事をしてくれます。
色気香水ジャンルでも、ミステリアス度数でいえばこれ。和訳は「檻の中の調教師」。凄すぎる、この名前。なぜ堀の中なのか、なぜ捕らえられているのか? コロナ禍直前、まるで未来を予言するようにこの作品を構想したルタンス氏のセンスには、度肝を抜かれました。囚われの身に甘く、濃度の高いプルメリアが押し寄せてくる、その臨場感をまずは味わってみてほしいのです。そして、寄せては返すように追随するイランイランとアーモンド。グルマンだけれど、手を伸ばしてはいけないような危うさと、甘美な影がせめぎ合うフレグランスです。
どんなに平凡で色のない毎日だったとしても、こんなグルマン系フレグランスを身に付ければ、ほんのり官能性がトッピングされるような。ついでに妄想も駆り立ててくれるはずです。甘やかで色っぽい香水と一緒に、秋を始めてみませんか?