曖昧だから、いい。迷わず嗅いでほしい【ドルセー】の「接吻」の香り

キスをテーマにした香水はこれまで市場で数多く発売されていて、甘ったるかったり行き過ぎたグルマンだったり、はたまた逆張りに苦み走っていたり。試すたび「フーン……他人のソレはこういうことなのか」と感慨深いものがあるわけです。私的な部分を覗き込むような、甘美な背徳感。思いもよらない変化球が飛んでくると、創り手には一体どんな過去があったんだと勝手な心配が止まらなくなります（お節介）。

人気急上昇中のドルセーの新作が唇、すなわちキスを香りとして表現する難題に挑んだと聞いて、さぁどう来るか？ と期待に胸が躍ったのは言うまでもありません。しかも、調香師はメゾン初のコラボレーションとなる大物ドミニク・ロピオン様。

そもそもキスというテーマ自体、クリシェに陥りがち。愛情や情感、人間臭さに裏打ちされた普遍的な主題だけに、リスクも大きいと断言できます。陳腐な負け戦に終わった香水も、多々ありました。

正式な名前を、Sur tes lèvres. E.Q. と言います。英訳すれば、‘on your lips’、日本語名は「あなたの唇で」。EQは、誰かのイニシャルですね。ドルセーは、具体的にその人物が誰なのかは公表していません。

キスも将棋と同じなんですねぇ。序盤、中盤、終盤がある。序盤はピンクペッパーとアンブレットアブソリュート。カドが無く、温かくて可憐な幕開けです。中盤はジャスミンとアイリス。フルーティで、少しパウダリー、繊細だけれど芯の強さを感じます。ベースにパチュリオイルと、ウッディかつムスキーな合成香料のカシュメランとアンバーモア。色っぽくて優しい余韻が続きます。

白状すると、捉えどころが難しい香調でした。というのも、テーマに伴う官能性や生々しさはしっかりある。あるんです。肌や吐息を想起させる温かさがもわっと伝わってくるけれど、やがてそれは冷気や透明な空気に覆い尽くされる。爽やかで、ジェンダーの垣根を難なく飛び越える軽やかさも、兼ね備えている。初めてまとった日から、その曖昧な魅力の虜になってもう2週間、「中毒性」にちょっと驚いています。

秘密は、ハートノートのアイリスにあるようです。ロピオン氏はふたつの種類のアイリスの香料を採用しました。ひとつはアイリスパウダーを溶剤抽出して樹脂を生成させたアイリスレジノイド。カカオのような香ばしさがあります。もうひとつはフローラルでパウダリーなアイリスコンクリート。どちらも根茎を長時間かけて熟成させ、乾燥させたものを粉砕して得たアイリスパウダーに由来しています。

ロピオン氏のコメントはこうです。「このフレグランスを創るにあたって、唇を相手に委ねるという非常に特別な感覚、つまり、その行為の親密な官能性を思い起こさせたいと思いました。その結果がムスキーフローラルです。ジャスミンとアイリスの甘くエアリーな香りを組み合わせることで、アイリスの輝きを放つ部分を引き出すとともに、白い花の、丸みを帯びたセンシュアルで肉感的な面を表現したかったのです」。

どうです。こんな言葉を聞くと、ますますどんな香りか気になりますよね？

「指の間からこぼれ落ちたものや、捕まえ損ねたものが、いちばん美しい」。そんな概念をぼんやり心の中に抱いているのですが、半月、この香りと付き合って、改めて納得することとなりました。

長く寄り添っていきたい美しいフレグランスです。「愛」をセレブレートする歴史に根差したブランドと、天才調香師との出会いに、拍手を送りたい。

香りの説明はここまで。迷わず表参道の旗艦店に立ち寄って、気軽に香りを試してみてください。素敵なスタッフの皆さんが、難題に挑んで勝利したE.Q.のストーリーを、語ってくれるはずです。