アッシャー(45)は、2008年にスクーター・ブラウン(42)との共同事業レイモンド・ブラウン・メディア・グループを通じジャスティン・ビーバー(29)と契約を結んでいる。
先日スーパーボウルのハーフタイムショーでパフォーマンスし、世界中のファンを沸かせたシンガーのアッシャー(45)。米誌『People』のカバーストーリーに登場し、当時無名だった12歳のジャスティン・ビーバー(29)との契約をめぐり、同じくシンガーのジャスティン・ティンバーレイク(43)と対決したときのことを振り返った。
ジャスティン・ビーバー(以下、ビーバー)の長年のマネージャーとして知られるスクーター・ブラウン(42)は、12歳のジャスティンをYouTubeで発掘。
Ne-Yo(44)の楽曲を披露していたビーバーを見て、同じくオンラインプラットフォームからデビューして成功を収めているアッシャーとジャスティン・ティンバーレイク(以下、ティンバーレイク)にジャスティンを売り込んだ。すると二人とも興味を示し、ビーバーの「入札合戦」状態に。
当時についてアッシャーは、「人は頂点にいると、素晴らしいオファーを受けることがある。ジャスティン・ビーバーとの契約も、そのひとつだった。ビーバーをスクーターに紹介されたのは、僕のアルバム『コンフェッションズ』がリリースされた直後だったと思う」とコメント。
また、「僕はスクーターがNOと言えないようなオファーを提示した」「ジャスティン・ティンバーレイクとの、ちょっとした争奪戦が起きた」と付け加えた。
ビーバーを成功させる手伝いをすると、スクーターに約束したというアッシャー。「私が持っているあらゆる知恵をあなたに与え、あなたを成長させ、ビジネスマンとしての達成をサポートする」と説得したそう。
さらにアッシャーは、ビーバーとの契約に熱心だった理由を「ジャスティン・ビーバーは、この世に一人しか存在し得ない」と語り、唯一無二のカリスマ性をもつビーバーを絶対に手放したくないと思ったと明かした。
そんなアッシャーの熱い想いが伝わり、最終的にアッシャーとスクーターがレイモンド・ブラウン・メディア・グループを共同設立し、ビーバーと契約。
瞬く間にジャスティンはポップスターの座を掴み取り、スクーターは敏腕マネージャーとして知られるように。彼らの成功の手助けをしたアッシャーは、今でもビーバーの恩師、そして友人として交流が続いている。