レオナルド・ディカプリオ #2

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これでオスカーも決まりだな、と思わせたのが、レオナルド・ディカプリオのBAFTA(英国アカデミー賞)主演男優賞受賞。日本ではハリウッド外国人記者クラブが選ぶゴールデングローブ賞がアカデミー賞の前哨戦と思われているが、演技賞に関しては、SAG(映画俳優組合)で選ばれた人物の方が直結しているし、ゴールデングローブもBAFTAもSAGも手にしたとなると、圧倒的なワンサイドゲーム。ちょっとつまらなくなった?

初めてレオにインタビューしたのは、『タイタニック』での来日時。東京国際映画祭での舞台挨拶の彼を見ていたイランのアッバス・キアロスタミ監督(『友だちのうちはどこ?』他)が、「あの子、緊張しているよ。男の子は緊張すると無意識に自分の股間をいじってしまうんだ」と目ざとく発見。さすがに40男になった今は違うだろうけど。「俳優をやってれば、自分のナニを画面にさらすよりも辛いことがある」とは、そんなレオの名言です。

「僕、チキンレッグス(鶏の脚)で、それが劣等感なんだ」とは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』でパイロットを始めいろんなコスプレを披露してくれたレオ。確かに中年太りしてしまった現在も、脚だけは細い。初インタビューの時は、以前リバー・フェニックスをインタビューした際と同じ通訳の方が「彼女は、リバーに絶賛されたのよ」と伝えたら、途端に目がキラキラ。「ねえねえ、本物のリバーって、どういう人だった?」と聞かれたので、「アメリカの(第一次)湾岸戦争に対してちゃんと批判的だったり、自分の意見がハッキリしていた。『マイ・プライベート・アイダホ』でも、ドイツのヘルツォーク監督の『シュトロツェクの不思議な旅』を参考にしていたとも言ってたし」と教えると、「やっぱりね。そういう他の俳優と違う姿勢は感じていたよ!」だって。子役出身の先輩として、その仕事ぶりなどにも憧れていたのだろうな。

ヘルツォーク監督と並ぶニュージャーマン・シネマの雄ヴィム・ヴェンダース監督。デュッセルドルフ近郊出身の同監督は、「20年以上前、LAで家探しをしていたら、不動産屋でしょっちゅう、レオの母親と遭遇していたよ」という。実は、パパはイタリア系アメリカ人だけど、「母親はドイツ人さ」と言うレオに、「ドイツのどこ?」と尋ねたら、「○○X□!デュッセルドルフの近くだよ」と全然聞きとれない、物凄くいいドイツ語の発音で教えてくれた。子供の頃は「よく母親の実家に行っていた」とも。いつかはドイツ語での映画出演も?


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ジャーナリスト佐藤友紀

映画や舞台、ダンスに造詣が深く、独自の視点で鋭く切り込むインタビューに定評が。ジョニー・デップから指名されることも多々。