2020.03.16

いくつになっても輝く力 Part.3

川邉サチコさん/Sachiko Kawabe

いくつになっても輝く力 Part.3の画像_1
ドレス¥122,000・プルオーバー¥23,000/POSTELEGANT 眼鏡¥33,000/プロポデザイン(propo) ピアス¥29,000/ソワリー バングル¥16,000/ハルミ ショールーム(フォート) リング・ベルト/私物

大人がカッコいいと言われる文化をつくりたかったんです

 美しいシルバー・ヘアをふわりとまとめ、鮮やかな赤い口紅を引いて颯爽と現れた川邉サチコさん。60年代からヘア&メイクアップ・アーティストとして活躍し、現在はシニア女性を対象にしたサロンKAWABELABでビューティやファッションのアドバイスをしている彼女は、開口一番に「企画のテーマを頂いて、私の世代はドリーマーになり切れない世代だとつくづく思ったの」と、戸惑ったような表情で話す。

「私は戦中派なのですが、疎開先から東京に戻ってようやく夢が膨らみ始めた矢先の中学2年生のとき、病気にかかったんです。回復はしましたが、まず健康で、かつ平和でなければ夢を見ることはできないし、人生は進まないんですよね。そういう意味で私たちの世代は、いつ何が起きるかわからないという心構えができているから、大きな夢は持てないのかもしれない。その代わりに、小さな夢を一つひとつ実現させていく。しかもその夢を爆発させて、大きなものに転化するエネルギーを持っていた世代なんです」

同世代のクリエイターと日本の美意識を伝える

 興味深いことに、彼女は美容にまったく関心がなかったそうで、嫁いだ先がたまたま、日本の美容界の草分け的な老舗だった。「美容に関わらなくていいという約束でお嫁に行ったの。なのに、義理の母につき添ってパリに行き、著名なメイクアップ・アーティストのジャン・デストレが教える学校に通わされたんですよ。きっと計算ずくだったんでしょうね(笑)。舞台メイクアップと通常のメイクアップを教わって、それが面白くて興味を抱いたんです」。

 そして家業を手伝いながら、ヘア&メイクアップを手がけるようになった川邉さん。60年代半ばには、オートクチュールのメゾンが日本で開催したショーに起用され、70年代以降はアート・ディレクターの石岡瑛子、劇作家の寺山修司、デザイナーの三宅一生や山本寛斎といった面々とコラボ。まさに小さな夢を爆発させるエネルギーを持つクリエイターに寄り添い、日本の美意識を海外に伝えることにも尽力した。

「パリで学んだ私は、最初はフランスへの憧れを抱いていました。でもイヴ・サンローランの自宅を訪れた際、外国を追いかける必要はないと気づかされる出来事があったんです。彼はいろんなカルチャーを折衷して部屋を飾っていて、そこには日本の甲冑も飾られていたんですよね。それを見て衝撃を受けて、日本文化を見極めなければと痛感しました。その後寛斎さんがロンドンで初めて行なったショーでは、歌舞伎をテーマにして、メイクアップも白塗りにしたり日本髪のテクニックを入れたりしたんです。そういった試みを通じて、日本に対する意識が変わり始めたんですよね」

 その山本寛斎が手がけた衣装を着て、デヴィッド・ボウイが’73年に日本で初ライブを行なったときもメイクアップを担当。日本の技術を活かして額に月を描き、一緒にアイコニックなイメージをつくり上げた。「『アラジン・セイン』のジャケットで、彼は稲妻のメイクアップをしていますが、その代わりに月をモチーフにして、日本的なメイクアップをと頼まれたんです。そこで、映画や演劇用の特殊な刺青の素材で満月を描きオイルを塗り、金箔をのせたの。興味津々で見ていたデヴィッドはエナジー全開のパワフルなステージでした。一生さんなんかも同じで、アーティストはそんなふうにすぐに反応するから楽しい。“あなたじゃなきゃダメ”と言ってくれる人が周りにいたことも、長く続けられた理由かもしれません」

高齢者をキラキラさせる新しい夢に向かって

 そんな川邉さんに転機が訪れたのは、50代になってから。母の介護を通じて年齢を重ねることの難しさを実感し、「高齢者をきれいにしたい」と新たな夢を温め始める。

「街で高齢者が遠慮して目立たないようにしているのを見るのも嫌で、もっと自信を持ってほしかったんです。まだ着物文化が主流の頃、おばあちゃんたちがちょっと小粋な格好をしていて、“ああいうお年寄りになりたい”と思った時期があったのね。KAWABE LABをつくるときも、お年寄りが若い人に素敵だと思われる文化をつくれたらと思いました。20年かかりましたが、ようやく高齢者がキラキラし始めて、一つの夢がかなったのかな」

 次なる夢はといえば、「一度挫折した書道と中国画に改めて挑戦するとか、その程度ですね」と控えめに語る彼女。最近はどうやら夢を見ることより、お手本を提示して、夢を与えることに関心があるようだ。

「ここにきて若い人にメッセージを残していくことを意識しています。自分が見られなかった夢を、次の世代に与える立場になったのかな、と。“夢なんかない”と言っていても、本当はみなさんやりたいことがあるはず。なんでもやってみないとわからないから、冒険心を持ってほしいですね」

川邉サチコ/かわべ さちこ1938年東京都生まれ。60年代以降、ヘア&メイクアップ・アーティストとしてファッションや広告など幅広い分野で活躍。’95年に娘の川邉ちがやと、KAWABE LABをオープン。著書に『カッコよく年をとりなさい』(ハルメク)、『HAPPY AGEING これからの私に合うおしゃれ』(日本文芸社・川邉ちがや共著)がある。

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