「メメントモリ・ジャーニー」 #12

自由に生きるために、死をお守りに。

 それでは、「旅と死についてのエッセイ」と聞いた人は、通常はどんな内容を期待するだろうか。わたしがこの本に書いたことは、おもに以下の3つのカテゴリーに大別できる。

1.旅先で心に浮かぶ、人生や故郷、家族や友人への思い
2.西アフリカ・ガーナで自分のためのオーダーメイド棺桶を作りたいと思い立ってから、お金を集めて実際にガーナに行き、棺桶を日本に持って帰ってくるまでのお話
3.東京に住むひとり暮らしの30代勤労女性が古いマンションを購入し、リノベーションを施して住まいを手にいれるまでの記録

これを分かりやすさ度合いで自己採点してみると、

1.まあまあ分かる
2.だいぶ分からない
3.「旅と死」はどこへ……?

 という感じになる。だが、あくまでわたしの中では、これらの要素はがっちりと絡みあい、いつか訪れる死の瞬間を前にどこに行くのか、何を目指すのかーーという「メメントモリ・ジャーニー」を構成している。

世の中には、たくさんの素晴らしい本があります。ずっしり重い素晴らしさもあれば、軽い素晴らしさもある。けれど、いちばん難しいのは、その「良さ」がいったい何なのか説明しにくい、パッと見でわかりづらい本の素晴らしさを紹介することです。
仕事を放棄するようで申し訳ないですが、この本について、私は本当は無粋な説明なんか一行だってしたくない。ただ、まるごと飲み干すように読んでほしい。だって、この本は、「パッと見わかりやすい」ことを拒否することも、テーマとなっている本だからです。

例えば、あなたの人柄や人生について、「あなたってこうだよね」「あなたっていつもこんなだよね」と、たいして親しくもない人に言われるとイラッとしませんか? 親しい人に言い当てられたら嬉しかったりするのに、そうでもない人に自分のことを型にはめられると、表情が凍りついてしまう。たったそれだけのことで。でも、そういう「たったそれだけのこと」が積み重なって、私たちの気力を削ぎ、結果として自由を奪い取っていくのだと、私は考えています。

メレ山メレ子さんという人は、最初は旅行について書いたブログで有名になり、その後は昆虫好きな人として『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)という本を出されたり、「昆虫大学」というイベントを手掛けられたりしている人で、つまりどういう人なのかというと、好きなことをしている人だとしか説明ができない人です。
はたから見れば、休みがあれば旅をし、可能な限りいろんなものを見て回り、見たいものもはっきりしているメレ子さんは、はなから自由でバイタリティのある人のように見えるのですが、最初から自由な人などそうそういるはずもなく、メレ子さんにはメレ子さんなりにめんどくささや億劫さもありつつ、でもそうしているのだということが本書の中からは伝わってきます。

この本がどういう本なのかというと、まずメレ子さんが行った旅先で感じたものごとの記録があり、そこには旅先でいきなり人生の決断をし始める奴や急激にスピり始める奴へのdisもあり、また、旅人の気楽さで見てしまっていいものか、そこに根付いて暮らしている人たちに対して自分が失礼なことをしているのではないか、という自問自答などもあり、遠くに来て味わう解放や、逆に遠くに来ても逃れられない自分自身が浮き彫りになったりすることが、本当にうまいうまいとぐいぐい読めてしまう文章で繊細かつ率直に描かれており、そうした旅、および日常を経てからの「棺桶が欲しい」「家を買いたい」という流れにつながっていく本です。

旅と死の本、といえば、それは確かにそうなのですが、ここで描かれているものは、生きている間に人は何とどうつながっていくのか、どうすれば自由で快適なつながりを持てるのか、そのつながりを持った人のために、自分は何ができるのか、その人たちと何を分かち合えるのか、ということでもあると私は思います。

「何の本なの?」と訊かれても、旅の本だとも、棺桶を作りに行く本だとも答えたくはなくて、ただ、これは、生きることの本質に触れたものすごく貴重な、宝物のような本なのだと説明したいです。できればこの宝物の存在を、わけのわからないまま、ごくりと飲み干して、複雑な味わいを受け入れてくれる人がたくさんいますように。

「メメントモリ・ジャーニー」(メレ山メレ子/亜紀書房)

雨宮まみプロフィール画像
雨宮まみ

ライター。『女子をこじらせて』(ポット出版)で書籍デビュー。以後、エッセ イを中心にカルチャー系の分野でも執筆。近著に『東京を生きる』(大和書 房)、『自信のない部屋へようこそ』(ワニブックス)がある。

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