苦しんでいる人の姿を見るのは、なぜこんなに面白いのだろう!
今日できる仕事を明日にのばすな。これはそういうにがい思いをした多忙な人間がようやくたどりつく心境である。そういう気持になったとたんに多忙の人は忙中おのずから閑あり、と達観することができるようになる。ひまな人は永久にそういう真理を実感しないで結局はいつもあくせくしていなくてはならない。仕事はのばせばいくらでものびる。しかし、それでは、死という締切りまでにでき上がる原稿はほとんどなくなってしまう。(外山滋比古)
この原稿を書いているいま、まさに〆切に遅れている。いや、いつも遅れているわけではない。調子のいいときなどは数回分先に渡すなどということもある。
では、なぜこの本を買ったかというと、それは「私以上にひどい〆切破りをしている文豪たちの姿を見て安心したい」という、うすぎたない算段があったから……。何の言い逃れもできない。いや、しません。すみません。
もちろん、予想され得る〆切に関するエピソードは山盛りだった。どうしても書けない、浮かばないと悶々としまくる作家の描写のリアルなこと、そしてそれを待つ側の編集者の落ち着かなさ、売れっ子の作家に人を人とも思わぬ対応をされ、思わずブチ切れて、死んだときには「ざまあみろ!」と声に出して言ってしまった、などというエピソードも出てくる。
そして、いまに至るまで続く「〆切を守る作家がいい作家か VS. 〆切を破るぐらいのほうが大作家っぽく見えるのではないか」問題も、何人もが書いている。
読む前は、人が〆切にてんてこまいな姿を読めば面白おかしい気分になれるのではないかと思ったし、実際に爆笑してしまう箇所も多い。しかし、読んでいてぞっとしたのは、「〆切」という名の下に集められたこれらの原稿の中にもやはり、面白いものと面白くないものがあるという厳然たる事実である。シリアスに書いているか、笑い話っぽく書いているか、という問題じゃなく、純粋に読み物として面白いか面白くないか、だ。それは、〆切を守っているか、破っているか、どちらかの側のほうがどちらかの側より面白い、というふうに単純な結論にはならない。
しかし、ここに出てくる原稿には、圧倒的な人間味がある。弱音を吐きまくる作家、言い訳にならないような言い訳をくどくどとまくしたてる作家、「今夜、やる。今夜こそやる。……」と言いつつやらない作家(田山花袋先生……!)、書かない作家に業を煮やして「じゃ、ぼくが書きますよ」と書いちゃった編集者時代の嵐山光三郎先生、そもそも、〆切があるから人は原稿を書くのではないか、いや〆切なんかに縛られてそれでも文学と言えるのか、などなど「もうそっち側に突っ込んでいっても一枚も進まないんだから早く原稿をやったほうがいいのでは……」と言いたくなるような話まで出てくる始末である。
〆切をめぐる愉快な攻防戦を期待して読んだら、それに十分に応えてくれたばかりか、数々の作家の、ときには悲鳴のような、ときには優しい胸の内が開かれた文章が読めてしまい、思いのほか、ぐっとくる読み物になっていた。〆切に苦しむ方も、そうでない方も楽しめる本だと請けあいたいです。
「〆切本」(左右社)
ライター。『女子をこじらせて』(ポット出版)で書籍デビュー。以後、エッセ イを中心にカルチャー系の分野でも執筆。近著に『東京を生きる』(大和書 房)、『自信のない部屋へようこそ』(ワニブックス)がある。