『ジュリアン』は、一部の方には観るのを勧められません。それはドメスティック・バイオレンスやストーカーなどの被害に遭ったことがある人。そのときの恐怖が鮮明にフラッシュバックするんじゃないか、と思うからです。それほどこの映画は、母親と子どもが追い詰められるさまをリアルに、克明に描いている。11歳のジュリアン(トーマス・ジオリア)は離婚した母と暮らしながら、共同親権を持つ父と隔週で面会しています。ただ、母もジュリアンもそれについては多くを語らない。語りたがらない。でも、彼らの表情はいつも緊張しています。母の携帯番号や住所を知らせまいとするジュリアンと、執拗に聞きだそうとする父親のやり取りは、見ているだけで息が詰まるほど。それはどんどんエスカレートしていきます。
一方、父親がなぜそうなったのか、家族の背景もわかってくる。とはいえそこに共感はありません。いくら彼が「愛されたい」と思っていても、男性の所有欲や暴力は何にも繋がらない、というメッセージがあるから。さらに、怯えた人が相手のちょっとした動きやまわりの音に敏感になっているのを強調するため、さまざまな音が大きく聞こえてくる演出も冴えています。ジュリアンの耳には、車のインジケーターの音や時計の音がカチコチと鳴り、不安を煽る。そしてその「音」は、衝撃のクライマックスへとつながっていくのです。
こんなふうに社会派のドラマを個人的視点から体験すると、いろんなことがわかってくる。私は子どもの頃感じた家族のなかの緊張感を思いだしました。あの感覚はある意味、自分が大人になったときの視点を形成していると思うのですが、ジュリアンのような子どもにとって、そのトラウマはいかに大きなことか。ある短期間についてのドラマながら、何世代にもわたる影響を考えさせられました。
『ジュリアン』
監督/グザヴィエ ・ルグラン
出演/レア・ドリュッケール、ドゥニ・メノーシェ、トーマス・ジオリア
1月25日、シネマカリテ・ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次公開
本誌で映画のレビューを手がける。ライター、エディター、翻訳もこなす。趣味は散歩と、猫と遊ぶこと、フットボールを見ること。