韓国版『ジョゼと虎と魚たち』で、「別れ」について考えました

Original Film © 2003
Original Film © 2003 "Josee, the Tiger and the Fish" Film Partners. All Rights Reserved. © 2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

韓国版映画『ジョゼと虎と魚たち』を観ました。田辺聖子の短編小説に始まり、2003年の池脇千鶴の主演作、昨年のアニメ版と、それぞれに魅力的な「ジョゼ」というヒロイン像がある。今回ハン・ジミンが演じたジョゼは狭い家の中に閉じこもっていても、本の世界やインターネットで心を解放します。そこはアップデートされたところ。でも頑固でとっつきにくいけれど愛したくなるのは同じ。インターネットを使った演出では、ちょっと驚くような、泣き出したくなるような逸話も加わっている。ただそういう変化はあっても、この不器用なラブストーリーは何がこんなに変わらずに響くんだろう……と考えてしまいました。

ひとつ思い当たるのは、恋の終わりや別れも、季節が来ては去っていくようなものとしてとらえられているところ。ある意味ジョゼや、彼女を愛するヨンソク(ナム・ジュヒョク)にとって別れは本人の限界であり、諦めでもあるのですが、それが普通のラブストーリーのように殊更ネガティヴには描かれていない。その時の二人には一緒にいることが必要でも、いつかそうでなくなる――それだって自然なこと、ハッピーなことかもしれない、という視点に惹かれるのだと思います。新しい『ジョゼ~』ではそこがとても優しく、でも意外な形で描かれている。沁みるように悲しく美しいラストでした。

これまでの恋愛ものやラブコメとは違う形で「別れ」が描かれているという点では、Netflixシリーズ『セックス・エデュケーション』シーズン3も思い出しました。あのドラマはセックスに関するさまざまなトピックを盛り込みつつ、シーズン1で性や恋愛の多様性を、シーズン2では「性的同意」の大切さをテーマとして取り上げていました。そしてシーズン3ではコミカルに、かつシリアスに、リレーションシップに踏み込んでいる。その結果いくつかの関係は終わってしまいますが、そこにポジティヴな感覚が残るのです。感情的にはつらく苦くても、自立し、成長するためには必要な別れだった――と。そんなメッセージがまさにエデュケーショナル。全然テイストの違う二作品ですが、その姿勢には恋愛に対する本当の誠実さがあるんじゃないかな、と思います。

ジョゼと虎と魚たち
監督/キム・ジョングァン
出演/ハン・ジミン、ナム・ジュヒョク
10月29日、キノシネマほか、全国順次公開

『セックス・エデュケーション』シーズン3
クリエイター/ローリー・ナン
出演/エイサ・バターフィールド、エマ・マッキー、ジリアン・アンダーソン
Netflixにて独占配信中

映画ライター 萩原麻理プロフィール画像
映画ライター 萩原麻理

本誌で映画のレビューを手がける。ライター、エディター、翻訳もこなす。趣味は散歩と、猫と遊ぶこと、フットボールを見ること。

 

FEATURE