インドネシアのスカルノ元大統領夫人にして「東洋の真珠」とうたわれた美貌の持ち主で、タレントとしても活躍し世界各国で体当たりロケを敢行、自伝的漫画は大ヒットという、超人的な活躍を見せるデヴィ夫人。
傘寿(80歳)というお年にも驚きですが、生ける伝説であるデヴィ夫人のこれまでの軌跡をまとめた「傘寿記念 デヴィ・スカルノ展 わたくしが歩んだ80年」が松屋銀座で開催されました(3月10日から18日まで)。
初日の朝にはデヴィ夫人ご本人とお友達の神田うの氏も登場。朝早くからフォーマルドレス姿でメイクもヘアも完璧に決まっているデヴィ夫人に圧倒されました。ヘアはボリュームがあり、肌にはハリが……展示されている数十年前の写真と、ほとんど変わっていないアンチエイジングぶりもすごいです。
最初、テレビ用の撮影をしていたのが聞こえてきましたが、「NYの自宅に置いてあったものを一泊三日で取りに行ったの」という夫人の発言に「傘寿で一泊で行かれたんですか? NYは時差がキツいし絶対ムリ」と神田うの氏も驚いていました。
インタビュアーに「今年挑戦したいことは?」と聞かれた夫人は「いろんなことをしてみたいけど、わたくしがやりたいことはみんなイモトさんがやっているから……」と話されていました。今一番見てみたい光景は、「カナダの森林で、産卵のために紅鱒が川を上っていくのを上流で待ち構えている熊が手でパシッとやってパクっと食べるところ」だそうです。「わたくしは怖いものはございません。あ、でも『誤解』と『頭の少しおかしい方』は怖いですね」と不敵な笑みを浮かべるデヴィ夫人。
その後のマスコミの囲み取材では、コロナウィルスの危機について話をふられ、「わたくしはどんな病気もはね返すんです。病気したことはありません。病気する時間がなかったんです。子どもの頃から学びっ放し、働きっ放しですから……」と、生きる伝説ぶりをかいま見せました。病気になるヒマがなかったのと同様に、老けるヒマもなかった、というのがアンチエイジングの秘けつでしょうか。「薬も飲んだことがありません。周りの人に病院に行けと言われて行くんですけど、たくさん薬が出るのですが……。死神が来てもハイヒールで蹴っ飛ばします!」と、強すぎるデヴィ夫人。絶対敵にしてはいけないタイプです。
今回の新型ウィルスに関しては、「こんなことが世の中に起きてしまうなんて。次の日に何が起きるのかわからない。皆はじめての経験ですから。政治家を責めるのは簡単ですが、個人個人が自分で気をつけるべきだと思います」と、デヴィ夫人の言葉はいつも率直でまっとうです。ただ、幼い頃戦争を経験したデヴィ夫人ですら、今の状況は予測がつかないということなので、危機感が高まりました。
「日本の今の方たちは戦争を知らない。敗戦したみじめな中、誰もが生き抜かなければならない戦いをわたくしは知っております。逆境に負けない勇気がわいてきました。わたくしの人生から学んでいただけるものがあれば学んでいただきたいです」
とのことで、今の人類に降り掛かっている試練に立ち向かう気力もわいてきそうな展示です。神田うの氏も「デヴィ夫人はホープ。いつも励まされて勇気をもらっています」としきりに言っていました。
「今の日本の方はわたくしのことをテレビでしか知らないと思うんです。波乱万丈な人生をどう戦ってきたか、どう生き抜いてきたかをご覧になってご自分の人生の糧にしていただければと思っています」と、デヴィ夫人は展示に来る人に向けておっしゃっていました。
展示されているものの中には、いつかこんな展示をする日が来ることを想像してデヴィ夫人が子どもの頃から茶箱5つに保管していた大量の手紙や写真もあります。スカルノ大統領からのラブレターもあるそうで「歴史的な資料です」とのこと。そしてゴージャスな宝石やブランドもののドレスの展示も。テレビのレポーターが何度も値段について聞いていましたが「ご想像にお任せします」と優雅に微笑むデヴィ夫人。なぜか神田うの氏が値段を知っているようで、「もう億なんかじゃ足りないですよ」とのこと。118カラットのエメラルドとか、43カラットのダイヤモンドとかもあるそうで、素人には想像もつきません。「松屋さんは高い保険料を払われてると思います」と、おっしゃるデヴィ夫人。いつも口角が上がっていて、それも若さを保つポイントでしょうか。レポーターに恋愛について聞かれて「恋は大事だと思いますよ。ほのかに心を浮き立たせてくれる人が絶えずいるのは良いことです」と、生涯現役感を漂わせました。この美貌でこのスタイルだったら4、50歳年下でもいけるのではないでしょうか。
「スカルノ大統領とは恋というより命をかけての愛ですから」と語っていましたが、もしかしたらスカルノ大統領の方が熱烈に恋していたのかもしれません。ラブレターが何通も展示されていて、もちろんメールもない時代で手書きなのですが何度もLOVEという単語が出てきました。
「9月の初めにジャカルタに来てください、愛しの人よ! たくさんのキスを」(1959年7月)
「正気と不正気の間で私があなたを求めているものだと」
「私の愛を、私の心も、私の愛情を、私の全てを、多くのキスを贈ります」(1962年1月)
「I love you, yes, LOVE you!(とても愛してる、とてもとても)」(1962年3月)
「愛は、空を突き抜け、海の上を飛びながら、私の中から輝きながら、四方に放たれているのです。ですから、物理的には離れ離れであっても、私の心と魂はいつでもあなたに触れているのです」(1962年4月)
「私には心の底より愛している妻ラトナ・サリ・デヴィがいる。彼女が亡くなったら、私の墓の中に埋めよ。私の望みは、彼女と永遠に、共にあることなのである」(1962年6月に書かれた遺言)
一緒の墓に入りたいという言葉から約8年後にスカルノ大統領は天に召されましたが、デヴィ夫人は50年経っても全然お元気です。
会場の構成は、デヴィ夫人の邸宅に招かれたようなリビング風のスペースから始まり、波乱の人生ストーリーが写真とともに展開するコーナーや、ドレスや靴、宝石などのコーナー、デヴィ夫人がコレクションしている芸術品の展示、日舞やフラメンコなど多才な趣味のコーナー、そしてデヴィ夫人の絵画もたくさん展示されていて見どころが多いです。東郷青児や棟方志功、マリー・ローランサンなど有名な画家の作品もありました。夫人は画家になるのが夢で、芸大出身の女流画家について習ったこともあるというだけあってかなりの描写力。なんでもできすぎるデヴィ夫人のポテンシャルに驚かされます。伝説であり人智を超えた存在でもあるデヴィ夫人が日本にいらっしゃるうちは、日本はまだ大丈夫だと希望を抱きました。もはや国民的魔よけのようなお方です。歴史的な人物と同じ時代に生きることができた幸運を実感できる展示でした。