2022.04.17

上野リチのピースフルなデザインの多幸感 #75

今回の展示ではじめて上野リチを知った不勉強な筆者で恐縮ですが、三菱一号館美術館での「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」の会場に入った瞬間、その世界観に心を掴まれました。平日の夕方、多くの女性客でかなり混雑していて、人気を実感。

名字が上野さんですが、上野リチはウィーン生まれで本名はフェリーツェ・リックス。建築家の上野伊三郎と結婚したことで上野姓になります。ウィーンと京都を行き来しながら、テキスタイルやプロダクトデザインを多岐に渡って手がけました。今回開催されたのは彼女の活動を包括する回顧展です。

ウィーンの裕福なユダヤ系実業家の家に生まれたリチ。少女時代の写真を見ると質の良い服と靴にパラソルを持った完璧なファッションで、やはり裕福でいいものに囲まれた環境がセンスを育むのでは?と思わされます。学校へは二頭立ての馬車で通い、朝食はホテルのレストランで食べていたというのでかなりのお嬢様です。

19歳でウィーン工芸学校に入学。在学時からファッション展に出品したりして頭角を現します。卒業後は工房のデザイナーだった教授に声をかけられ、当時アート系の学生の憧れだったウィーン工房に入ります。

ウィーン工芸学校の授業の資料も展示されていました。「自然物および日用品のデッサン授業法」では、ロブスターを、赤と黒のコントラストで描いたバージョン、点描バージョン、平面的なタッチ、と数パターンで展開していて、生徒の表現の可能性を広げる授業法だと感じ入りました。

上野リチのピースフルなデザインの多幸感 の画像_1

工芸学校の先進的な授業と、生来のセンスの良さで才能を開花させた上野リチ。展示会場には彼女がデザインした壁紙やテキスタイル作品が多数展示されていました。花や植物の図が多くて、囲まれていると幸せ感が。それぞれ額に入れられていると、デザインというよりアート作品です。素朴な花が絶妙なバランスで配置された「野の花」、多種多様な花が配置され、潜在的に多様性の意識が高まりそうな「6月の花」、茶色バックにシダ状の葉っぱが存在感を放つ「苔の花」……彼女の花の絵を見ると、きっと実家の庭はよく手入れされ美しい季節の花が咲き乱れていたのだと、推測されます。庭とは無縁で、花屋を素通りするような生活では、こんなデザインは発想できません。

リチはテキスタイル以外にも才能を炸裂。持ち手のストライプが素敵なリキュールグラスも素敵でした。「花器図案」には、山や森に建物や船が描かれているのが独創的です。後年、リチは京都の美大で教鞭を執っていたのですが、その時に生徒に「上手な模倣よりも、下手な独創を!」と教えていたそうです。リチの作品には独創性が渦巻いていて、想像力の無限さを感じさせます。

会場には妹のキティ・リックスによる花瓶や陶器も展示されていて、姉と同じく色彩センスが抜群ながら、さらにかわいらしい少女のままのピュアさを感じさせる作品の数々でした。

上野リチのピースフルなデザインの多幸感 の画像_2
展示会場のフォトスポット。右側の「野菜」では、びっしり描かれた野菜を見ると、潜在的に野菜を食べなければ、と思わされます。

リチの作品に変化が現れるのは1924年に上野伊三郎と出会い、1925年に結婚した頃です。1926年に33歳で初来日。「東京」「九州」「日本」など、日本の風土をイメージしたテキスタイルを作成。色合いが暗めの作品もあって、慣れない日本の風習に内心戸惑ったり緊張されてたりしていたのでは?と勝手に心配。でも、上野伊三郎と親密になったエピソードは素敵でした。

オーストリアのヨーゼフ・ホフマン建築事務所に在籍していた上野伊三郎がパーティで日本から送られてきた海苔を皆に振る舞ったそうです。すると海苔をはじめて食べた人が吐き出したり喉に詰まらせたりで大騒動に。気の毒に思ったリチが上野伊三郎に優しくしたのが、2人が交流するきっかけだったそうです。リチの育ちの良さや優しさを感じる話です。

夫とのコラボも展示されていました。伊三郎が設計した住居の壁紙をリチが担当することも。京都の「スターバー」ではリチは天井壁画をデザイン。銀のバックに草花が描かれていました。また満州に滞在時、リチが描いた風景の絵に伊三郎が詩を添えた作品もありました。「軟らかき夏の風は 野 野 遠き野近き野を撫で行く」と、独特のリズム感。色合いの美しい絵に、伊三郎の整った文字が書かれていて、知性とセンスが高次元で融合しています。円満だった関係が窺えます。

上野リチのピースフルなデザインの多幸感 の画像_3
ショップにはトートバッグなど素敵すぎる品々が。それ、どこの?と羨ましがられそうなデザインです。

時々夫とコラボはしても、リチ単独の作品が圧倒的に多くて、女性として自立していて素晴らしいです。あらゆるものを素敵にデザインするリチの魔法。七宝飾箱、テーブルクロス、ブローチ、錦織、飾りボタン、ショール、シガレットケース、灰皿(当時、タバコは自立した女性の象徴)、マッチ箱カバー、こけし、クラブの壁紙、etc.……。ひとりマリメッコ状態です。引き受けた仕事は完璧にこなすプロ意識にも感銘を受けました。

彼女のピースフルなデザインや絵を見て感じたのは、アウトラインがないか、極力細い線で描かれている、ということ。境界線がないことで、モチーフが空間で溶け合い、“全てが一体”というワンネス的な思想や、許容量の大きさを感じます。他者との間に境界線を作らない、オープンマインドでピースフルなエネルギーが見る人の心を潜在的に癒してくれるのかもしれません。

「上野リチ ウィーンから来たデザイン・ファンタジー展」

期間:~ 5⽉15⽇(⽇)*展⽰替えあり
時間:10:00~18:00 (入館は閉館30分前まで)
(祝⽇を除く⾦曜と会期最終週平⽇、第2⽔曜⽇は21:00まで)

休:月曜日 ※ただし4⽉25⽇、5⽉2⽇、5⽉9⽇は開館

※開催日時などにつきましては、新型コロナウイルス感染症の状況により変更の可能性もあるので、公式HPなどでチェックしてください。

会場:三菱一号館美術館
東京都千代田区丸の内2-6-2
https://mimt.jp/lizzi/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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