ジュアン・ミロは1893年、スペインのカタルーニャ州で生まれました。中流家庭で育ち、美術学校でデッサンを学んでいましたが、今も昔も親は子どもに手堅い職に就いてもらいたいと思うもの。父の勧めで商業学校に通い、バルセロナの薬局に会計係として雇われます。しかし、自分の本当にやりたい仕事ではなかったため、ストレスでうつ病と腸チフスを患い、仕事の「囚人」のようだと両親に訴えます。その結果、両親から画家となる許可を得て、本格的に美術の道へ。人生に無駄なことはないという観点から見ると、会計士として数字や記号に取り組んだ経験が、もしかしたら他の芸術家にはできない記号的な表現に発展したのかもしれない、とも思えます。
スペインのカタルーニャ州の農村、モンロッチの風景を描いた「モンロッチの橋」。子ども時代のミロが見た忘れられない原風景です。
カタルーニャの村モンロッチの農園で療養したミロ。ミロの家族が農家を所有していたので、ミロはモンロッチの自然に親しみ、風景画をたくさん描きました。ミロにとって第二の故郷です。今回展示されていた、モンロッチの風景画は、大地の躍動感あふれるエネルギーと、異次元のような色使いが不思議で美しく、ミロの別の面を見たようです。
キュビスム的な手法で描かれた「自画像」は、ピカソの手に渡り生涯大切に保管されたそうです。
1920年、初めてパリを訪れたミロはアトリエを構え、シュルレアリスムの画家や詩人たちと交流するように。中でもひとまわりほど年上の、同郷出身のピカソとは気が合い、友情が育まれました。ミロの実家とピカソの実家が近く、母親同士が友だちという縁もありました。ピカソは若いミロにさまざまな助言を与えただけでなく、ミロの「自画像」を譲り受け、ずっと大切に保管していたそうです。この展覧会には、ピカソへのリスペクトを感じさせる、キュビスム的な手法で描かれたミロの「自画像」も展示されていました。
「絵画=詩」シリーズ「おお!あの人やっちゃったのね」は、走り書きのフランス語がアクセント。S字が優雅に並んでいます。
1925年頃から、ミロは「夢の絵画」と呼ばれるシリーズを制作。絵に「夢の進行」を表す「記号」として、動的な線が描かれるようになります。ミロの作風として有名な、太くてしっかりした線ではなく、細い線で描かれていて詩的なイメージ。「私の作品は画家が曲をつけた詩のようなものかもしれない」と語っていたミロは、新たな表現として絵画と詩を融合させていました。今回展示された「絵画=詩」シリーズの、「おお!あの人やっちゃったのね」は、優雅で詩的な曲線とフランス語のセリフが描かれていますが、何をやったかというと、「おなら」だという意外な事実が。おならをこんな詩的に表現できるのはミロだけです。
1920年代に、伝統的な「絵画を暗殺」したいと不穏な発言もしていたミロですが、「夢の絵画」で描かれた、ミロの白昼夢から出てきた奇妙な生き物たちはかわいくて癒されます。
「オランダの室内1」は、オランダ旅行のあとに描かれた作品。主役はリュート奏者です。
「星座」シリーズの「明けの明星」。戦時中、現実逃避したいというミロの欲求が垣間見えます。
1936年にスペイン内戦が勃発したのに影響を受け、ミロはダークな背景に怪物のような存在を描いた作品に取り組みます。1939年には第二次世界大戦が開戦。パリを離れたミロはノルマンディー地方の小さな村に避難し、名作「星座」シリーズを制作。
夜明けの空を思わせる美しい背景に、曲線が踊るように描かれている「明けの明星」、ミロにとって重要なモチーフを大胆で繊細な線で描いた「女と鳥」、ブルーの背景と曲線の神秘的なハーモニーに引き込まれる「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」の3点が展示。躍動感が呼び起こされ、大変な時代や社会情勢の中でも生きる気力がわいてくる絵画です。
ミロの絵画によく出てくる「鳥、星、女、梯子」のモチーフは、現実逃避させてくれて、ユートピアに連れていってくれるものの象徴だったのでしょう。「女」といってもピカソのように派手な女性関係ではなく堅実な夫婦関係だったようです。願望や煩悩も作品に昇華していたのかもしれません。
プリミティブなタッチで癒されるミロの作品を観ていると、「3000年後に私の絵を見た人が、私が絵画だけでなく、人間の精神を解放する手助けもしたことを理解してくれればと思う」というミロの晩年の言葉がよぎります。今ミロの絵を観て、なんとなく気持ちが軽くなった、という体感や効果の理由が、遠い未来に検証されているのかもしれません。
1940年代に、若い頃からの友人の陶芸作家との共同作業で作られた作品。「壺」(左)「女」「女」(中、右) ミロの手の温かみを感じます。
1947年にミロは初めてアメリカを訪れ、若い作家とも交流し、刺激を得ます。版画の技術も磨いて、ミロの評価はアメリカでも高まりました。陶芸や彫刻などアウトプットの幅も広がります。1956年に、マジョルカ島に積年の夢であった広いアトリエが完成。余裕が生まれたのか作品もより自由で大胆でピュアになっていっているようです。極太の線で描かれたワイルドな「自画像」や、見る者への謎かけのような「螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ」、視覚による「音」を表現した「白地の歌」など……。ミロのタイトルのセンスにも驚かされます。昨今、AIに作品タイトルを付けさせる人もいると聞きますが、ミロのセンスはAIでは再現不可能です。
マジョルカ島の理想的なアトリエで制作された絵画。「白地の歌」(右)、「鳥たちの目覚め1」(左) 線と色の斑点の配置が絶妙です。
「太陽の前の人物」の、カンヴァスに飛び散るように描かれた丸や三角などの図形が、日本の禅の思想に通じているようです。
1960年代のミロは達観の境地に近付いていったのでしょう。日本の画僧が描いた「◯△□」で宇宙を描いた作品に着想を受け、絵の具を飛び散らせる勢いで力強く◯や△を描いた絵画を制作。70代、80代になっても年齢を感じさせないどころか、よりパワフルに。70代後半には「以前にも増してトランス状態で仕事をするようになり、ここ最近はほとんど常にそうなんです。私の絵画はますます身振り的になっていると思います」という言葉を残しています。「私が夢を見るのは仕事をしているとき。目覚めているときです」とも言っていて、トランス状態になりながら潜在意識にアクセスして描いていたのでしょう。観賞者も、ミロの作品に対峙することで、潜在意識につながれそうです。
「火花に引き寄せられる文字と数字(III)」(右)、と「火花に引き寄せられる文字と数字(V)」(左)は、絵画の詩的な性格を感じさせる作品。背景の色に引き込まれます。
広いアトリエで思いきり筆を振るった「花火 I II III」。ミロの心の中でも喜びの花火が上がっていたことでしょう。
「花火 I II III」は、大きな筆で絵の具をほとばしらせ、花火を表現。ほぼ黒一色ですが華やかさがあり、黒の濃淡も美しいです。「絵画を暗殺」と言ってきたミロですが、ここに来てカンヴァスに火をつけたり、ナイフで切り取ったり、といった激しい手法で、絵画の本質を追究していきます。
「焼かれたカンヴァス2」は、炎によってできた穴や隙間が芸術的。炎とのコラボレーションです。
「焼かれたカンヴァス2」は、カンヴァスに絵を垂らして、踏みつけ、切り刻み、火をつけるといった制作過程で描かれています。常に挑戦し続ける姿勢が表れています。「私は焦がしたカンヴァスや紙の物質性に潜む美を誕生させた。その誕生こそが私の興味の対象だったのだ」と、記録映像でミロは語っています。芸術作品の脱神聖化について考えていたミロですが、燃えて穴が開いた絵画はよりCOOLでカリスマ感が漂っています。
10代の頃、合わない会計の仕事をしていたときはストレスで病気にもなったミロですが、90歳まで長生きしてパワフルに制作し、芸術家人生を全うしました。迷いのない線で描かれたミロの絵画は、魂の進む方向に導いてくれる羅針盤のようです。
ミロ展 Joan Miró
期間:~2025年7月6日(日)
時間:09:30~17:30 金曜20:00まで(入館は30分前まで)
休:月、5月7日(水)※4月28日(月)、5月5日(月・祝)は開室
会場:東京都美術館 企画展示室
東京都台東区上野公園8−36
https://miro2025.exhibit.jp/