"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
久しぶりにママ友たちと会ったときのことである。そのうちの一人が、パートナーががんの診断を受けたと言った。
「そうだったんだ……」
「できることがあったら何でも言ってね」
驚いたり、励ましたりする私たちのほうを見て、彼女は言った。
「それが、ちょっと昨日気まずいことがあってね……」
彼女の話はこうだった。パートナーのがんは進行していて、亡くなる可能性がまったくないとは言えない。欧州の他国出身の移民である彼女は、英国で人が亡くなったとき、遺族がどのような法的手続きをしなければならないのか知識がない。それで、パートナーが診断を受けたあと、ネットでこっそり調べていたらしい。
そんな彼女は、ゆうべ、居間のテーブルで、職場から持ち帰った仕事をしていた。途中で紅茶が飲みたくなってキッチンに立ち、戻ってきたら、パートナーが彼女の顔を見るなり居間から出ていき、それ以来まともに口をきいてくれないらしい。
テーブルのラップトップには、彼女が調べものをしていたネットのページが開きっぱなしになっていて、そこにはまったく関係のない葬儀業者や棺桶メーカーの広告が載っていたという。
「私はまだ葬儀や棺桶のことなんて考えてもなかったのに、アルゴリズムが先走って、頼みもしないのに、どんどんそういう広告を出してくる……」
と彼女は言った。確かにこれは気まずいだろう。「もうそんなことまで調べているのか」とパートナーは衝撃を受けたかもしれないが、ラップトップを開けっぱなしにして紅茶を淹れにいった彼女が軽率だったわけでもない。だって彼女ではなく、アルゴリズムが勝手に広告を出していたのだから。
最近、こうしたアルゴリズム先走り問題をよく耳にする。中でも、妊娠中の女性のあいだでアルゴリズムの害悪が問題になっていることを知ったのは英紙『ガーディアン』の記事を読んだときだった。前述のママ友だけでなく、われわれは、自分の近しい人や自分自身の身に何かが起こるたびにすぐネットで調べる。妊娠もその例外ではない。むしろ、まだ周囲の人々に明かしていない場合など、ネットは唯一の相談相手になり得る。そうすると、アルゴリズムは家族や友人、かかりつけの医者よりも先にユーザーが妊娠していることを察知し、関連コンテンツを流してくることになる。本当に役立つ情報ならいいが、ソーシャルメディアのフィードがみるみるうちにダークなコンテンツを流し始め、妊娠中の女性の不安や恐怖心を掻き立てているという。
記事を書いたジャーナリストのキャスリン・ウィーラーは、妊娠初期にアルゴリズムに妊娠を嗅ぎつけられ(と書くのも妙な表現だが)、24時間以内にソーシャルメディアのフィードの変化を感じたそうだ。妊娠検査薬を撮影している女性たちの動画がどんどん上がってきたという。だが、その初期のおめでたいムードのコンテンツはどんどん恐ろしいものになっていった。
妊娠中の女性が恐れていることを次々と流し始めたからだ。流産や、赤ん坊の心拍がないと知らされた女性の動画、出生時の赤ん坊の外傷、臨死体験を撮影した女性の動画まであったという。彼女が妊娠22週目のとき、妊娠23週で死産した女性が亡くなった赤ん坊を抱いている動画が流れてきたときには、もうだめだと思ったという。
TikTokには「流産」のタグがついた動画が30万本以上あり、「流産したと知ったときのライブ動画」のキャプションがついた動画は、約50万回再生されていたと彼女は伝える。妊娠や出産などまったく関係のない生活を送っている人々なら、これらの動画を見て「ああ、こんな不運な目に遭ったんだな」と思い、涙したり、励ましのメッセージを送ったりするかもしれない。従来、このような事象はあまり人前で話さないものだったから、流産や死産について自ら語っている人々の勇気を称賛し、誰もがカムアウトできる社会にすべきだと考える人たちもいるだろう。しかし、もし自分がいま妊娠の当事者で、このような動画ばかりどんどん流れてきたら、わけもなく心配になったり、繊細な人なら精神的に追い詰められてしまったりするのではないか。
ホラーじみた話だが、アルゴリズムはユーザー一人ひとりの心配事やライフスタイルを知っていて、テーラーメイドの不安の材料を送りつけてくる。そのコンテンツにこちらが反応すると、「おお、ここが泣きどころか」と学習して、さらにピンポイントで恐れていることを流してくるようになる。「ありふれた不安が、どんどん過激になるコンテンツの集中砲火で、かつてないほど高められている。これが2025年の妊娠とマタニティだ」とキャスリン・ウィーラーも書いている通りだ。
アルゴリズムの先走りは、明るい方向ではなく、暗い方向に向かいがちだ。これはなぜだろう。それは、不安や恐怖心が、人間の「もっと知りたい」「もっと見たい」という気持ちを駆り立てるからだ。だからユーザーを長時間プラットフォームに留め置くことができ、プラットフォーム企業の収益につながる。逆に、アルゴリズムが「大丈夫だよ」と人々を安心させる動画ばかり流したら、みんな楽な気持ちになってスマホを手放し寝てしまう。収益がユーザーの「エンゲージメント」にかかっている業界では、これでは商売にならない。
現代は「不安の時代」だと耳にすることがある。その「不安」が、プラットフォーム企業が開発した仕組みによってつくり出され、どんどん増幅されているとしたらどうだろう。「内戦」だの「崩壊」だの、極端な言葉ばかりをネット記事で見かけるようになってきたのも、その影響かもしれないのだ。
「なんとなく最近、不安で」というシスターたちには、デジタルフットプリントを利用され、必要以上にダークな気分になっていないか、考えてみてほしい。アルゴリズムには他者への想像力(エンパシー)はない。が、他人に言えないことまでシスターたちの情報を知っている。自分の足もとをおぼつかないものにされないためにも、ネット上の足跡に気をつけよう。
ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。本連載をまとめた『SISTER“FOOT”EMPATHY』(集英社)が好評発売中。