"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
未成年女性の性的人身売買事件で起訴され、勾留中の2019年に自殺したジェフリー・エプスタインに関連する300万ページ以上の文書が公開されて大騒ぎになっている。英国では、アンドリュー元王子(「元首相」「元大統領」はよく使う表現だが、「元王子」は珍しいな、とふと思う)との関係がより詳細に明らかになったり、マンデルソン前駐米大使がエプスタインに英政府の機密情報を漏洩していた疑惑が発覚したりして、首相の進退問題がささやかれるほどの大ごとになった。
「世紀のスキャンダル」と表現している政治誌もある。政治家が国家の機密文書をエプスタインに渡したり、彼から金銭を受け取ったりしていたことが大々的に報道された途端、「世紀の」スキャンダルになるわけだ。しかし、エプスタイン事件とはそもそも、夥しい数の女性や少女たちの人身売買や性的虐待が発覚したことから始まったのではなかったか。女性や少女に対する犯罪は「世紀の」と呼ぶほどの事件ではなかったのかとふと考えてしまう。
新たなエプスタイン文書の公開は、確かに陰謀論が現実になったかのような、世界を回している権力者たちの密接な関係や腐敗の構図を明らかにしている。しかし、そのことにばかり焦点があたってしまっていないだろうか。これらの文書は、政界や財界、メディア、テック界、王室、学会などの有力な男性たちが、女性についてどんなふうに話し、考えているのかということをあぶり出した重要な資料でもあるのだ。政治やビジネスや金銭が絡んでくると、スキャンダルとして格上げされて大騒動になるのに、女性や少女に対するひどい犯罪の詳細が示されているだけなら、連日報道したり、ディベートのネタにされたりする値はないもののようだ。
前述したマンデルソン前駐米大使とエプスタインのメールでのやり取りにこんなものがある。
「自由になった気分はどうだい?」
「彼女はフレッシュで、引き締まっていて、クリーミーだ」
「ノーティー・ボーイ(いけない子)」
少女たちへの性犯罪で服役し、出所してきたばかりの大富豪に「いけない子」と書き送る政治家の、このセンスと常識。これをジョークとして面白がって笑うカルチャーが、有力な男性たちの世界にはあるらしい。
エプスタインに女性を口説く相談をしていた学者もいる。米国の元財務長官で、ハーバード大学の学長も務めたことのある経済学者のラリー・サマーズが、若い経済学者の女性と性的関係になりたくて、エプスタインにメールでアドバイスを求めていた。中国出身だというこの女性を彼らは「Peril」と呼んでいるが、これは19世紀にアジア系移民を差別的に呼んだ「Yellow Peril(黄禍論)」から来ているのではという見方もある。
「未成年の少女に対する凶悪な搾取」と言ってエプスタインがカリブの島で行なっていたことを批判し、島に誘われたことはあるが断ったと主張していたイーロン・マスクも、「あなたの島で、最もワイルドなパーティが開かれるのは、どの日や夜ですか?」とエプスタインにメールで尋ねて、実際には行く気満々だったことがわかっている。
ここにあったのは、いまで言うマノスフィアそのものだ。世界を動かしている男性たちがこうなのだから、そりゃあ地べたに影響が下りてくるのは当然だろう。そう納得せずにはいられないミソジニーがあり、女性を人とは見なしていないらしい圧倒的優越感と、ティーンの少年たちの間にありがちな「ワルぶり」文化だ。女性を品定めし、差別し、性的対象としてしか見ないような言動を周囲に示し、それが本物の男でもあるようなゆがんだ羽根の広げ方(彼らが孔雀なら、の話だが)をする少年たちが増えているのは、政財界からメディア、テック界まで、彼らが憧れるような成功者たちの世界がそういう文化を持っているからだ。少なくとも、エプスタイン文書を見ているとそんな気がしてくる。
横暴で、残酷で、ひどいことをして女性を傷つければ傷つけるほど「かっこいい」ことになるらしい界隈文化。それはいま、ネットの世界を中心に充満していて、匿名のSNSの書き込みやAI動画から、フェミニズムの至らない点を論じているらしい著述家の文章にまでその片鱗が見られる。これは右派も左派も、富裕層も低所得層もまったく関係ない。共通してそこにあるのは女性蔑視のベースだ。#MeToo運動が立ち上がったとき、女性に告発されそうな有力な男性たちが、エプスタインにアドバイスを求めて連絡を取っていたという。未成年への性犯罪で服役したことのある人物に、どんな助言を求めていたのだろう。
それなのに、エプスタイン事件は、女性や少女たちへの性暴力の問題としてではなく、金や政治や権力や陰謀の物語として「世紀のスキャンダル」になった。問題のすり替えというのは言いすぎかもしれないが、それ自体が社会の何かを表しているように思える。
エプスタイン文書で名前が言及され、批判を受けているビル・ゲイツの元配偶者が、最近この問題について質問されて、「それらの質問に答えるべきなのは彼らであり、私ではありません。そして私は、そこにあったすべての汚物から逃れられてとても幸せです」と答えた。男性たちがやらかした問題だという点はそうであるとして、少女や女性への性的虐待や人身売買のネットワークを「汚物」と表現したのは驚きだ。たぶん、女性の側にも「汚物」と関わりたくない感覚があり、社会全体にそうした風潮があるから、エプスタインとその仲間たちは少女や女性たちへの犯罪を続けることができたのかもしれない。
この問題が世に出る発端となった、被害に遭った女性たちの側に、シスターたちは立たなければならないと思う。中傷され、バッシングを受けても、「あの権力者の男性たちが私たちを辱め続けた」と主張して引かなかった女性たちがいたから明るみに出た事件だということをまず思い出そう。いまだ謎に包まれ、多くの部分が米政権に黒塗りにされたこの文書の真相を今後明らかにできるのは、立ち上がった女性たちのシスターフッドだけかもしれないのだから。
ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。本連載をまとめた『SISTER“FOOT”EMPATHY』(集英社)が好評発売中。
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