2018.10.06

ハーレムとブロンクスで生まれた“ヒップホップ”は、いかにして世界の音楽になったのか

ヒップホップのカルチャーがニューヨークじゅうに広がりはじめると、それに伴い街はあらゆる意味で変容していった


 1981年のバレンタインデー。人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』に出演したミュージシャンたちの中で、デボラ・ハリーはいちばんのスター扱いだった。当時、ニューヨークのバワリー通りにあるCBGBクラブなどを中心に音楽の才能が数多く生まれていた。そんなダウンタウン・マンハッタンの音楽シーンを代表するポップシンガーのひとりとして、デボラはシングル曲のヒットをいくつも飛ばしていた。彼女のバンド「ブロンディ」の『ラプチャー』は1981年にヒットチャートの1位に輝いた。

この曲は、ほとんどのアメリカ人たちが不思議な現象、もしくは熱狂的な流行ととらえていたアップタウンの音楽文化に捧げられた歌だった(当時のアメリカ人たちが、その頃のアップタウンの音楽に関する知識を多少でもかじっていればの話だが)。『ラプチャー』の歌詞の中には、気鋭の影響力あるニューヨークのミュージシャンの名前がいくつか出てくる。そのひとりがグランドマスター・フラッシュだ。DJの先駆者である彼は、「グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブ」というグループを1976年に結成した。

画像: グランドマスター・フラッシュが使ったターンテーブル。彼と彼のグループ、「グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイブ」は、1982年発売のシングル曲『ザ・メッセージ』によって音楽業界の主流に食い込んだ最初のヒップホップ体現者だ NATIONALMUSEUM OF AMERICAN HISTORY, SMITHSONIAN INSTITUTION

グランドマスター・フラッシュが使ったターンテーブル。彼と彼のグループ、「グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブ」は、1982年発売のシングル曲『ザ・メッセージ』によって音楽業界の主流に食い込んだ最初のヒップホップ体現者だ NATIONALMUSEUM OF AMERICAN HISTORY, SMITHSONIAN INSTITUTION

サウス・ブロンクスで開かれていたハウスパーティを通じて音楽シーンに登場した彼らは、社会問題を真っ向から取り上げたラップ讃歌『ザ・メッセージ』で1982年にヒットチャートのトップ100にランクインした。さらにもうひとり、ブルックリンを拠点とするグラフィティ・アーティストのファブ・ファイブ・フレディの名もデボラの曲に登場する。彼はストリート・アーティストと商業アートの世界、そしてダウンタウンのクラブという異なる世界をつなぐ存在だった。「ブロンディ」のデボラと、同バンドのギタリストであるクリス・スタインの強い勧めで、『サタデー・ナイト・ライブ』はブロンクスの「ファンキー・フォー・プラス・ワン」(4人の男性ラッパーと女性MCの先駆者であるシャロック)を番組に招き、彼らはシングル曲『ザッツ・ザ・ジョイント』を夜の番組の最後を飾る曲として披露した。デボラが歌った『ラプチャー』のラップ調の歌詞は、多くの人にとってヒップホップの入門編に類した音楽となった。だが、若いニューヨーカーたちがここ何年かのあいだ、公園や地下鉄や校庭ですでに体感してきた音楽が実際にはどんなものなのか、全国ネットのテレビ視聴者に初めて実際の音で伝えたのは「ファンキー・フォー・プラス・ワン」だった。

「ヒップホップ」という包括的な言葉で形容されはじめたばかりだったこのカルチャーは、1981年から’83年頃にかけて、もともとの発祥地であるブロンクスとハーレム以外の地域へと広がり、台頭していった。初期のヒップホップは、ニューヨークのその他の音楽文化と触れあい対話していく中で、その影響力を拡大していったのだ。「ファンキー・フォー・プラス・ワン」が1980年にリリースした『ザッツ・ザ・ジョイント』は、ヒップホップ特有の言語がいかにその文化を後押しし、前進させたかを示す好例だ。“ザ・ジョイント”とは、ワクワクうれしくなるものという意味で、この12インチのシングル曲がリリースされる数年前から巷で使われていたスラングだ(スパイク・リーが今も彼の映画を「スパイク・リー・ジョイント」というレーベルで呼んでいるのは、70年代のブルックリンで育った彼のルーツを思わせる)。『ザッツ・ザ・ジョイント』はまた、別の側面でも非常に重要な意味をもつ。

それはニューヨークのスラングをより広い世界に向けて紹介し、ラップのレコードの“お約束”の言葉にしてしまったという点だ。その最たる例は、「fresh」(高く評価されているという意味)や「stoopid」(同情的な意味で「バカだな」)、「def」(「クールだ」)そして、定番の「dope」(「イカしてる」「ドラッグ」など複数の意味がある)といったものだ。これらの言葉はストリートから生まれ、レコードの歌詞や広告コピーになり、日常生活でも使われるようになった。『ザッツ・ザ・ジョイント』のようなヒップホップのレコードは文字どおり、人々の話し方そのものをリミックスしたのだ。ヒップホップが、ポップカルチャーの覇権を握るための長い道のりとは?

SOURCE:「How It Changed ―― Music, Language, Downtown ― and White PeopleBy T JAPAN New York Times Style Magazine BY NELSON GEORGE, TRANSLATED BY NELSON GEORGE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO AUGUST 21, 2018

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