かつて「性格俳優」は、あくまで助演という扱いにすぎなかった。しかし、今注目されている新しい世代の脇役たちは、目まぐるしく変化するハリウッドの中で、欠くべからざる存在となっている
「個人的な質問をしてもいいか?」。2015年に製作された映画『ワイルド・ギャンブル』の冒頭、ライアン・レイノルズが演じる一匹オオカミのカーティスは、ベン・メンデルソーン演じるポーカーマニアのジェリーに尋ねる。「お前はいくら借金してる?」「相当な額だ」とジェリー。「誰から?」とカーティスが聞く。
ジェリーは周りを見回し、バーの方を弱々しく指して「みんなだ」とささやく。このセリフを口にしながら、メンデルソーンは小さく誇らしげな笑みを、ヒリヒリした険しい表情へと変化させる――まるで伏せておくべきだった秘密をもらしてしまったというように。それはここ数年、映画で演じられた中で最も印象的な8秒間のひとつだろう。この俳優はたったひと言で、演じている人物の苦悩に満ちた世界へ観客を引き込むことに成功したのだ。
俳優というのは当然、誰もが役(キャラクター)を演じるわけだが、そのうちのほんの一部だけが「性格俳優(キャラクター・アクター)」と呼ばれる。これにはいい意味も悪い意味も含まれるため、役者がほかの役者を説明するときにこの言葉を使うことはほとんどないが、それでも一世紀以上も生き残っている言葉だ。
もともとは19世紀の演劇評論において、リアルなメイクを施し、俳優がだれかもわからないほど完全に役になりきる役者を意味していた。1930年代になるとハリウッドでその意味が変化し、特殊な役柄ばかりを演じるエンターテイナーを指すようになった。カサカサの肌をした偏屈な年寄りを演じたウォルター・ブレナンや、叔父のような威厳のある人物をよく演じたワード・ボンドといった俳優たちだ。ニューヨークにあるフィルム・フォーラムでレパートリー・プログラミング・ディレクターを務めるブルース・ゴールドスタインは、「多くの性格俳優はヴォードヴィル(寄席)や演劇の中でその原型を作り上げた」と言う。「ハリウッドは多くの映画を製作していたから、性格俳優はある種の記号として重宝したんだ。つまり、状況や人物を説明するようなセリフを少なく済ませるためにね。それもあって、あの時代の映画は快活な印象を与えるのさ」
また、これらの性格俳優たちはごく一般的な役柄、あるいはただのストック・キャラクター(よくある端役)にさえ人間性を吹き込んできた。「彼らの中には、具体的な何かが存在する」と、評論家のギルバート・セルデスは1934年にエスクァイア誌に掲載されたエッセイ『The Itsy-Bitsy Actors(ちっぽけな俳優たち)』で記している。「カリスマ性のある主演俳優とは違って、性格俳優は無礼だったり、乱暴だったり、皮肉で、残忍で、人をあざけるような人間にもなれる。彼らは、観衆が日ごろ感じていることを代弁してくれる存在なのだ」
そんな彼らが注目されないはずはない。ウォルター・ブレナンは1936年から1940年のあいだにアカデミー助演男優賞を3回も受賞。これは誰の追随も許さない偉業となっている。1980年代までに、性格俳優の定義はまたもや変化した。今度は、有名ではないがおなじみの役者、例えばジョン・ポリトやヴィンセント・スキャヴェリ、ザンダー・バークレーといった脇役たちも含むようになった(彼らの名前に聞き覚えがないのなら、顔写真を“ググる”ことをおすすめする)。長年演じ続ければ、ときに性格俳優も人々の記憶に残ることができる。白髪まじりの変わり者を演じたことで知られるハリー・ディーン・スタントンが去年の9月に亡くなったとき、その死を惜しむ声が多くあがったのもその例だ。(その他、注目の「性格俳優」をチェックする)
SOURCE:「The New Generation of Character Actors」By T JAPAN New York Times Style Magazine BY MAUREEN DOWD, PHOTOGRAPHS BY JAKE MICHAELS, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS) DECEMBER 29, 2017
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