21世紀に生きる家族が、12世紀のオーストリアの城に移り住むとき、時代とスタイルが衝突し、新しいものが生まれる
> 光陰の矢の先にあるもの<後編>――12世紀オーストリアの城に現代のキュレーターが移り住んだら
PHOTOGRAPH BY SIMON WATSON
ボローニャで過ごした子ども時代、キュレーターのアリス・ストリ・リヒテンシュタインは、ルキノ・ヴィスコンティの1963年の映画『山猫』のワンシーンに心奪われていた。貴族の若い男、タンクレディが、彼の一族が所有する城にいったいいくつの部屋があるのかと聞かれたときに、こう答えるのだ。「誰も知らないんだ。僕の伯父ですら知らない」。そしてこう続ける。「伯父はすべての部屋が把握できてしまうような城は、住むには及ばないと言うんだ」。
それから20年あまりが過ぎた2000年代の初頭、彼女はのちに夫となるアルフレッド・リヒテンシュタインとともに、オーストリア東部の丘陵地帯にある彼の先祖代々の家、ホレネック城を初めて訪ねた。そこで彼女は、まったく同じ質問を彼にぶつけてみた。「僕もすべての部屋に入ったことはないと思うな」と彼は答えた。一族が200年近くにわたって所有してきたこの城を、彼が26歳のときに相続したにもかかわらず(ちなみに、部屋数の合計は52室だ)。
ホレネック城の中の、ほとんど使われていない歴史豊かな部屋やその調度品は、驚くほどよい状態で保存されている。たとえば、天井にあしらわれたバロック様式の漆喰の模様から、18世紀の中国の屛風や壺。さらに19世紀のオーストリア製の椅子や、プリンセス・ヘンリエッテ・フォン・リヒテンシュタインの肖像画まで
現在45歳のアルフレッドは、幼い頃から、ホレネック城がおとぎ話の舞台のような場所だと知っていた。ディズニーランドが現実になったようなものだと。ルネサンス様式の中庭のあるこの城は、アベル・フォン・ホレネックによって建てられ、1550年に改築された。素晴らしく豪華なボールルームの壁や天井には、1750年にフィリップ・カール・ラウプマンがフレスコ画を描き、バロック様式のチャペルは、現在、毎週日曜日に地域住民に公開されている。廊下には彼の先祖の肖像画がずらりと並び、書斎のアーチ型の天井には、30世代をさかのぼる家系図がフレスコ画として描かれている。この城の近くで育ったアルフレッドにとって、ホレネックは切っても切れない一族の絆であり、大人になって、この城の手入れをしないなどということは、一族としての義務の放棄を意味し、決して考えられないことだった。
だが、彼の39歳の妻は「11年間はたっぷりこの場所に抗い続けてきた」と語る。2014年にこの郊外の城に引っ越してくるまで、彼女はまったく疑問をはさむ余地がないほど、都会の生活を満喫していた。イギリスの寄宿学校に通い、ミラノにある大学に進んだのち、彼女は毎年開かれるミラノ市の家具フェアの展示制作を手がけはじめた。その後、ミラノにあるデザインスタジオのアトリエ・ビアジェティや、オンライン販売サイトのYOOX、さらにトリエンナーレデザイン美術館を顧客として仕事をするようになった。アルフレッドに出会った頃、彼女はバルセロナの大学院に通い、ワンベッドルームのアパートメントを借りて住んでいた。「田舎の城に住むなんて、考えてもいなかった」と彼女が語るように、夫婦はホレネックから50分ほど離れたグラーツに住むことで互いの妥協点を見いだした。グラーツには国際空港もひとつある。彼女は当初、城でときどき週末を過ごせばいいと考えていた。しかし、ヨーロッパじゅうを拠点とした彼女のキャリアと3人の幼い子どもたちの世話、さらに2軒の家の維持をすべて同時に行おうとするのは、無理だとすぐに気づいた。結局、グラーツに10年ほど住んだあと、一家は城に移り住むことにしたのだった。(荒れ放題だったホレネック城で真っ先に夫婦が取り掛かったことは?)
SOURCE:「Time's Arrow」By T JAPAN New York Times Style Magazine BY TOM DELAVAN, PHOTOGRAPHS BY SIMON WATSON, TRANSLATED BY MIHO NAGANO SEPTEMBER 10, 2018
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