「マンガの神様」手塚治虫が1970年代前半に生み出した異色作品『ばるぼら』が、手塚治虫の実子である手塚眞の手によって映画化された。撮影監督は、ウォン・カーウァイ作品で知られるクリストファー・ドイルだ。
日本・ドイツ・イギリスの合作により生まれた幻想的な映像美に彩られたアート・シネマの主役を演じるのは稲垣吾郎と二階堂ふみ。異常性欲に悩む小説家・美倉洋介(稲垣)は、アルコールにおぼれるフーテンの少女・ばるぼら(二階堂)と出会ったことをきっかけに、新たな小説への創作意欲が泉のように湧き出す──そんな、芸術家とミューズのような関係を演じたふたりに訊いた。
――おふたりは『ばるぼら』が初共演作となりますが、それまでお互いにどういう印象を持っていましたか?
稲垣さん(以下敬称略) 『ガマの油』(2009年)がデビュー作ですよね?
二階堂さん(以下敬称略) そうなんです。作品を紹介してくださってましたよね?
稲垣 そう。『SmaSTATION!!』で僕がやらせてもらっていた「ゴローのムービージャッジ」っていうコーナーで『ガマの油』を取り上げた時に、ふみちゃんのことをたくさん喋ってるんですよね(笑)。港での別れのシーンに衝撃を受けて。『ガマの油』の役所(広司)さん、『ヒミズ』の園(子温)さんと、好きな監督の作品に出られているっていうこともあって、すごく素敵な女優さんだなってずっと思ってました。撮影中はばるぼらにしか見えてなかったんですけど、こうやって取材とかで話させてもらって、歳取った人の発言みたいで恥ずかしいんですけど(笑)、自分が26歳の時はこんなにしっかりしてなかったなって思います。周りのせかされるペースに翻弄されずに、1個1個丁寧に考えて、ちゃんと自分のペースでお仕事をされている方。僕はどんどん喋りながらリズムを作っちゃうタイプで、タレントとして悪い癖だと思ってるんですけど(笑)、そうじゃなくて。
――二階堂さんの稲垣さんの印象というと?
二階堂 謎でした(笑)。特に自分が高校生の時に拝見した『十三人の刺客』(2010年)の役が印象的で、すごい役者さんだなって思ってました。あんなに残酷な役を演じられる方はどんな方なんだろうなって。一方で、私が物心ついた頃から、ずっとトップで活躍されている方で。歌を歌ってらっしゃったり、バラエティでコントをやられてたり、映画の評論も読ませていただいたこともありますし……だから、勝手にもう知ってる気持ちになってしまっているのが不思議です(笑)。実際今回ご一緒させてもらって、稲垣さんの文学的な空気や聡明さが美倉っていうキャラクターにマッチしているだけじゃなくて、より血となり骨となって立体的になって、だからこそすごく素敵な映画になったと思いました。
――『ばるぼら』の物語の中で一番共感した部分というと?
稲垣 美倉が求められるものと自分のやりたいもののはざまですごく悩んでいる様は、わからなくはないですね。70年代当時の手塚先生自身のお気持ちも反映されてる作品だと思うんですけど。僕は、何十年も大衆娯楽というのを意識して活動してきて……特にグループで活動していたので、このポジションでいなきゃいけないんだろうなっていう想いと、こういうこともやってみたいなっていう想いとの戦いがありました。そういう葛藤があった上でできあがった大企業みたいなものだったのかもしれません。今の自分はそれがあったからこそ。だから、わかるところもありますね。でも美倉の、ばるぼらみたいなミューズが現れて自分を変えてくれたらっていう願望は勝手だなとは思いますけど(笑)。ただ、そういう幻想は大なり小なり誰でも持っているものだと思いますね。
二階堂 私はばるぼらの幻なのか現実なのかわからないキャラクターもあって、今回自意識を置いて演じていたので共感というと難しいんですけど。でも、美倉さんみたいに特別な才能を持って生まれてきた人がその才能によって苦しむ姿って、どこか羨ましくもあって。稲垣さんがおっしゃった、誰にでもある心の中の願望、欲みたいなものを解放できたらそれはそれで楽だと思うし。ただ、原作が描かれた時代背景も大きいと思うんですよね。70年代ってすごくカオスだったんだろうなって、当時の映像作品とかを観ると思うんです。今より自由だったんじゃないかなって。現代だとなかなか生まれてこないような題材の作品なんじゃないかなと思っています。
稲垣 80年代も90年代も、特にこういう芸術表現の世界では、今より全然自由な空気があったよね。『ばるぼら』の連載が始まった73年は僕が生まれた年なんですけど、この時に手塚先生は、『ばるぼら』だけでなく少年漫画も描かれてたわけだから、今だったらその少年漫画を読んでる子供の保護者とかから『ばるぼら』に対して抗議があったかもしれないよね。
二階堂 許容範囲が徐々に狭くなっているということなんですかね? それとも、昔はスマホもなかったし、情報を遮断しようと思えば遮断できたってところも大きいんでしょうか?
稲垣 やっぱりネットが大きいよね。昔はカオスだったけれど、観たくなければ観なければいいわけだし。情報が今みたいに広がらないから、同調圧力みたいなものもなかったしね
――『ばるぼら』では芸術家の苦悩が描かれていますが、おふたりとも役者業のみならず、多彩な表現活動をされています。美倉のようにスランプに陥るような時期は経験されていますか?
稲垣 僕はゼロから物を作ることはしていないので、美倉の産みの苦しみはわからないんですけど、スランプは誰でもあるとは思います。でも役者って、迷ってることが魅力的に映ったりする仕事でもあるんですよね。自信があると、酔って自信満々の顔になっちゃうから。ちょっと不安な感じを大切にしてるところが僕はありますね。
――もしインスピレーションが鈍っていると感じたら、どういうことをして回復させるんですか?
稲垣 若い時の自分と仲良くする(笑)。若い時の自分って、すごく研ぎ澄まされている感じがしているので、昔好きだった作品に触れるとかね。昔書いたエッセイとか読むと、今より良かったりするんだよね。この業界に長くいると、どんどん凝り固まってきてしまう。ルーティンになってる感じを壊したい時には、自分の若い時の感性を信じます。趣味とか“良いな”と思った感覚って結局変わってないんですよね。『ばるぼら』の手塚眞監督もクリストファー・ドイルも、自分の美意識の原体験になっている芸術家の中のひとりですし。だから今回ご一緒できたのは、夢みたいな時間でしたね。
二階堂 私はスランプを感じられるほど、まだ経験を積めてないのかなという気はします。でも、やればやるほど、“おもしろい”って思える回数が少なくなってくるのかなって想像はしていて。毎回違う役をやってるはずなんですけど、なんとなくこなす瞬間が多くなってきたりするのかなと……だから、そうはなりたくないなと思いながらやっています。
――二階堂さんにとって、何かを得られるミューズ的な存在というと?
二階堂 動物ですね。人間も動物なんですけど、人間ほど弱い生き物はいないなと思います。私は犬と猫とフェレットと暮らしているんですけど、野生動物も含めて、彼らのほうが圧倒的にいろんなことの答えを知ってる気がしていて。助けられるし、得られるものがたくさんある。特に自粛期間中にそう思いました。人間は知らなすぎる、“自分は何者でもないんだ”って思うことが大事なのかなと気付かされました。
『ばるぼら』
11月20日(金)よりシネマート新宿、ユーロスペースほか全国公開
https://barbara-themovie.com/
© 2019『ばるぼら』製作委員会
出演:稲垣吾郎 二階堂ふみ
渋川清彦 石橋静河 美波 大谷亮介 片山萌美 ISSAY /渡辺えり
監督・編集:手塚眞 原作:手塚治虫 撮影監督:クリストファー・ドイル
配給:イオンエンターテイメント
photography:Hiroki Sugiura(foto) interview&text:Kaori Komatsu
<Goro Inagaki> hair&make_up:Junko Kaneda Styling:Ayano Kurosawa
<Fumi Nikaido> hair&make_up:Mariko Adachi Styling:Eri Takayama
<Fumi Nikaido>ジャケット¥56,000 パンツ¥39,000(共にロキト/ アルピニスム/03-6416-8845) ブーツ¥17,800(イエロ 03-6804-8415) 他スタイリスト私物 <Goro Inagaki>ジャケット ¥300,000-シャツ ¥180,000-ベルト 参考商品パンツ ¥60,000-ブーツ ¥135,000 (すべてサンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ (サンローラン クライアントサービス:0120-95-2746)