価値観が刻々と変化する激動の時代。大きな波にもまれながらも、逆境に立ち向かい、日々を生きる私たちの傍らにいたのは"SHERO"の存在だ。ささやかな希望の灯りを胸にたたえ、未来を力強く見据える姿がそこにはあった。やわらかな光で世界を照らす、新しい"SHERO"の肖像を文筆家・佐久間裕美子とテキストレーター・はらだ有彩が鮮やかに描き出す。
静かに闘志を燃やしながら、日々を懸命に生きる"SHERO"は私たちのすぐそばにいた。テキストレーター・はらだ有彩が描くのは、体形も人種も異なる4人の女性。彼女たちが掲げる希望の灯りとともに、今歩き始めよう。
SHEROはあなたのそばに Text by Yumiko Sakuma
女性のロールモデルが足りない──そう書いたことがある。初めて自分が女であるという事実に向き合うつもりで書いた『ピンヒールははかない』の中のことだった。自分が育つ過程で受け取ったメッセージは、女性に生まれた場合、人生の選択肢は二つしかないということだ。器量が平均以上であればお嫁にもらってもらい(もらうが2回)、幸せな結婚をして、子どもを産んで、家庭を守る。器量が抜群によければ「玉の輿」の可能性だってあるかもしれない。頭がよければ、または頑張れば、キャリアを目指すことができる。でもそれは一番幸せな道ではない。中学時代、成績がえらくよかった隣の席の子に「大人になったら何になる?」と聞いたら、「カンリョウと結婚する」という答えが返ってきた。カンリョウって何? 母親に聞くと説明に困っていた。そういう環境に育ったから、選択肢が二つしか与えられない女に生まれたことを、スタート地点ですでに負けた、ということなのだと考えた。そして、その他の道を示してくれるロールモデルは、自分が立っていた場所からは見えなかった。
ちょうど同じ頃、自分はポップカルチャーにアメリカを発見し、「アメリカに行く」を目標にすることに熱中した。大学を卒業したら何とかしてアメリカに行くのだと決めていたが、勉強したいテーマと指導教授に巡り合い、「あなたのような人は海外のほうがのびのびできるでしょうね」という言葉にさらに背中を押されて、渡米を決めた。長いポストバブル時代の幕開け、新卒採用が一気に枯渇して「超氷河期」という言葉が生まれた頃だ。学業では男性より優秀だったはずの女性たちが、形だけの総合職や一般職に甘んじるケースはゴロゴロあったけれど、仕事が見つかるだけありがたいと思え、という時代だったから、個人の悔しさは棚上げされ、社会というものは厳しいものなのだということで処理された。
アメリカで2年間勉強をし、ニューヨークで働き始めると、自分の世界には仕事のできるまぶしい女性はいくらでもいた。だからうかつなことにジェンダーの非対称性には気が回らなかった。自分は好きな仕事をして、食べることができていたし、フリーライターとして独立してからは、自分の人生を自分で設計できる立場を獲得したのだ、とすら思っていた。
おや?と思ったのは、自分が子どもを持つべきかどうかを考える年齢になり、自分のまわりの女性について書くようになってからだ。子どもを持たないという決断をしたときに、子どもを持たない女性が、いつも悲しい存在として描かれていることに気がついた。あのマドンナでさえ、どれだけ大きなスタジアムを観客で埋めても、どれだけレコードを売っても、男がいるかどうか、子どもを育てているかでジャッジされ、常に疲れた顔や醜い顔を待ち構えるパパラッチに追われている。おかしい、何かがおかしい。
2016年アメリカ大統領選挙の最中に、候補だったドナルド・トランプが「有名だったら何をしても許される。(中略)女性をプッシーでつかむことだって」と笑う音源が流出したときに、それが単なる「ロッカールームの戯言」と処理され、トランプを阻む結果にならなかったことは、自分の中のフェミニストを覚醒させた。女性として、アジア人として、地獄のような4年間、女性が、移民が、マイノリティが、銃規制を求める母親たちが、LGBTQコミュニティが、白人至上主義のアジェンダを推進するのに立ち上がって、抵抗戦線を張る中、そのリーダーの多くが女性だった。
その4年間、SHEROという言葉を耳にすることが増えた。見回してみると、女性のヒーローたちは、社会のすみずみにいた。女性のロールモデルがいなかったわけではない、ただ見えなかったのだ。私の目に見えていた「世の中」というものは、画一的な女性像を描いてきたメディアや男性が支配する社会が描いてきた絵だったから。男性と同じように、またはそれ以上に仕事をしても、外見や笑顔で評価され、物の言い方を「トーンポリス」され、また家事や育児の圧倒的大半を負担しながら、少しずつ女性の社会進出を進めてきた現場の女性たちの苦しみや葛藤が見えなかったなんて、なんとうかつだったことか。
自分が子どもを持たないという決断をした理由は一つではないけれど、その頃、毎朝見ていた光景の影響は小さくなかった。坂の上にある保育園の真上に住んでいた。朝、7時台になると、スーツにハイヒールをびしっと決めた女性たちが、ベビーカーを押して坂を上がってくる。その様相から、金融業界だろうかとか、弁護士かなと想像したりした。男たちと肩を並べたり、競争する1日に向かう前に、子どもを保育園に送り届ける。夕方のお迎えだって、圧倒的に女性が多かった。こんなことは、自分には到底できない、そう決め込んだのだった。
自分は女性の役割をできない、そう思ったわけだけれど、その役割に苦しんでいる女性たちがどれだけいるかまでは想像できなかった。働く女性も、専業主婦も、どこかのタイミングで決断を迫られる、男性に生まれなければ、迫られないはずの決断を。
パンデミックのおかげで、自分の生活は、いわゆるエッセンシャル・ワーカーと言われる人たちの支えで成り立っていることが明確に理解できた。うちに郵便を届けてくれる人も、近所のファームで野菜を売っている人たちも、二度、PCR検査を受けたとき、対応してくれた人も女性である。ニュースで見る医療関係者にも多くの女性の姿があった。新しい視点で見たら、世の中はSHEROにあふれていた。あいにく、パンデミックで最初に仕事を失うのは女性で、最後に復職できるのも女性なのだと、統計が教えてくれた。
この原稿を書く数日前、ジョージア州で、アジア人の女性6人を含む8人が死亡する連続銃撃事件が起きた。アメリカに暮らすアジア人、特に女性たちは、今まで感じたことのない恐怖を感じている。事件の翌日、郵便局に用事があって出かけるのに、足がすくみそうになった。アメリカに暮らして24年間、そんな気持ちになったのは初めてのことだ。勇気を持って出かけてみたら、郵便局のカウンターの向こうに、アジア系の女性が働いていた。そうだ、この人も、SHEROだ。その姿を見た瞬間に涙腺が崩壊しそうになった。
私たちは長いこと、女の敵は女なのだと言われてきた。男性が支配する社会に女性が入れる場所は限られていて、自分の立場を得るためには競い合わなければならないのだと。今、それは違うのだということがわかる。自分の世界にいるSHEROたちを大切にすること。それこそが女性が生きづらい社会を変えるのだと思えるようになった。
Yumiko Sakuma
文筆家。1998年よりニューヨーク在住。2003年の独立後、カルチャーからファッション、政治問題まで幅広いジャンルをテーマに執筆活動をする。著書に『ピンヒールははかない』(幻冬舎)、『Weの市民革命』(朝日出版社)ほか多数。
Arisa Haradaテキスト、テキスタイル、イラストをつくる「テキストレーター」として活動中。著書に『日本のヤバい女の子』(柏書房)シリーズ、『百女百様』(内外出版社)。4月にフィクションにおける女性同士の関係を掘り下げる『女ともだち』(大和書房)を刊行。
SOURCE:SPUR 2021年6月号「YOU ARE MY NEW SHERO」
text: Yumiko Sakuma illustration: Arisa Harada