担当キュレーターが語る〝モードの帝王〟の歴史的業績
第2章のフロアを背景にした野宮さん。奥に見えるボーダーの「カクテル・セーター・ドレス」と名付けられた作品は1966年春夏オートクチュールコレクションで発表された。スパンコールがキラキラと光る。「1960年生まれの私が子どもの頃、ファッションが好きだった母親がミニスカートやサファリ・ルック風の服を着ていたのを覚えています。サンローランは70年代のイメージが強い気がしますが、私は60年代に発表された服のほうが好き」
イヴ・サンローラン美術館パリの協力を得て、東京の国立新美術館で行われている『イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル』。写真や映像でしか見たことのない、ファッション史でエポックメイキングとなったあの服や、オートクチュールで作られた貴重な一点一点をじっくり観察することを重視した、まさに服好き、モード好きのための展覧会になっている。キュレーションを行なった小野寺奈津さんは「回顧展という形ではありますが、作品を年代順ではなく、12の章ごとにテーマを設け、イヴ・サンローランが生涯で作り上げたスタイルを俯瞰できる展示構成になっています」と語る。
展示は一つのランウェイショーを見るような順序で組み立てられている。第0章の「ある才能の誕生」を経て、第1章の「1962年 初となるオートクチュールコレクション」でメゾンのデザイナーとして歩み始め、現実のクチュールショーでウエディングドレスがフィナーレを飾るのに倣って、第10章の「花嫁たち」で終盤へと向かう。その間には、各地域や民族の衣装からインスパイアされた作品で見せる第4章「想像上の旅」や、古代や中世などヨーロッパの数々の時代の装いを着想源にした第5章「服飾の歴史」、熱心に手がけた舞台美術や衣装を紹介する第7章や第8章「舞台芸術」も含まれる。しかし最大の注目は第1章や、第2章「イヴ・サンローランのスタイル アイコニックな作品」、そして第9章「アーティストへのオマージュ」だろう。
「第1章ではフロアの中央にランウェイを作って、’62 年のファーストコレクションを再現するような見せ方をしています。先頭のピーコートとプリーツ入りのシャンタンパンツのルックは、この後何十年と続くサンローランのスタイルを象徴するもの。展示している7体は、マネキンの手の表情がすべて異なります。パリの美術館スタッフとともに配置し、まるでモデルがランウェイ上を歩いているかのような臨場感を意識しました」
広々としたフロアにアイコニックな作品が並ぶ第2章で、特に引き寄せられるのは、60〜70年代のサファリ・ジャケットやタキシード、ジャンプスーツ、トレンチコートといった、後にサンローランの代名詞となる歴史的なアイテムだ。
「1968年のサファリ・ジャケットは雑誌で発表されたもの。胸もとをレースアップにして女性用にアレンジされています。当時はサファリ・ジャケットはまだ女性がおしゃれのために着るものとしては認知されていなかったのです。タキシードもオートクチュールでの発表時は思っていたような反応は得られませんでした。ところが1966年から始めたプレタポルテのブランド、サンローラン リヴ・ゴーシュで普及版として発売すると、爆発的人気を得ました。このようにサンローランが、それまで男性服として作られていたものを女性服に改良し、ワードローブとして普遍的なものに変えたことは、その後のファッション史や私たちの日常においても非常に大きな功績だと考えます」
また、サンローランといえばアートをモチーフにした服、特にピート・モンドリアンの作品から着想したカクテルドレスは有名だ。ポップな60年代ファッションを代表する服といわれ、コピーもたくさん作られたが、もとは顧客の求めに応じて仕立てられた。第9章ではほかにアンリ・マティスやジョルジュ・ブラックなどのアート作品からインスピレーションを受けた服が展示されている。
「第1章のフロアに〝流行は移り変わるが、スタイルは永遠である〟という言葉が出てきます。デビューから一貫しているのはメンズ服、民族衣装、アートなど、すでにあるものから着想し、自分の中で再解釈して新たなものを生み出す手法。それが時を超えるサンローランのスタイルを完成させたのだ思います」
2002年の引退会見で「ファッションとは女性を美しく見せるだけではなく、女性に安心感と自信を与えるもの」と語り、女性に寄り添う精神を強く持っていた偉大なクチュリエ。
「世の中の女性たちが流行に踊らされない、これさえ着ておけば大丈夫という、スタンダードのような服を作ってあげたい、とのコメントも残しています。パンタロンを普及させたのも、男性優位な時代に、女はこうあるべきという社会規範で抑圧されていた、当時の女の人を解放したいという考えがあったからではと思います。サンローランは女性の社会進出を、ファッションで導くような先駆的存在だったのではないでしょうか」
1962年 初となるオートクチュールコレクション
21歳でディオールのチーフデザイナーに抜擢され、熱狂的な人気を獲得したサンローラン。しかし徴兵され、失意のうちに帰国。その後パートナーのピエール・ベルジェの協力を得て自分の名前を冠したオートクチュールメゾンを設立。第1章は最初のコレクションショーをイメージしている。先頭のルックはなんとピーコート。屈強な船乗りたちの作業着をエレガントにアレンジした。ボトムスもパンツという、当時としては斬新だったが、大きな称賛を浴びた。「今はレディースでも定番のピーコートがこの頃から広まったと聞くと感慨深いものがあります。そしてシルエットがゆったりしていてエレガント。ボタンにも目がいきました。すごく手が込んでいてアクセサリーみたい」と野宮さん。
イヴ・サンローランのスタイル アイコニックな作品
第2章はメンズ服から着想したものやエレガントなドレスなど、キャリアの中で何度も再構築されたキーアイテムを、あえて年代の順序に関係なく展示。たとえばサファリ・ジャケットは1968年に作られたものと、2000年発表のものとを見比べられる。また今日ではレディースでも定番になったジャンプスーツやトレンチコートが、現代の目で見てもまったく古びていないことに驚く。「スモーキング・ジャケットのウエストをシェイプしたり、肩幅を調整していたり、袖を細くしたりと、男性のものと思われていたアイテムを女性の服にするのに細かく工夫を凝らしているのがわかります。そういうアレンジが逆にフェミニンな雰囲気を引き出している気がしました」
好奇心のキャビネットジュエリー
壁面のボックスにジュエリーの一点一点が収められ、宝石の飾り棚のようになっている第6章。並んでいるのはすべてコスチュームジュエリー。サンローランは衣服だけではなく、アクセサリーや帽子など、小物を加えてルックが完成するという考えの持ち主だった。だからアクセサリーは重要な要素の一つ。「大胆なデザインのものが多いのですが、全部可愛い。そして品がある。シンプルなドレスに大ぶりのジュエリーを合わせると引き立つということを、これまでの章の展示を見て思いました。黒のタートルネックニットにつけても素敵。それだけで雰囲気が一変しそうです」。デザインはミューズの一人であり協力者だったルル・ド・ラ・ファレーズが考案に加わり、サンローランと職人のつなぎ役となった。
アーティストへのオマージュ
マティスやボナール、ゴッホなどアーティストとの強いつながりを感じていたサンローランは、アート作品を解釈し、布に置き換えたような衣服を制作。第9章ではそれらを見ることができる。目玉は1965年に世に出た有名なモンドリアン・ドレス。
「これは、私にとってのサンローランを象徴する、一番好きな時代の重要なピース。その本物を今回見られてとても感激です。正面、サイド、後ろからとじっくり観察して、素材感を確認し、横にも黒いラインが入っていることを初めて知りました。できることなら着てみたい……!」
作品をそのまま活かしたデザインは、できるだけ平面になるよう、クチュールの優れたテクニックで、生地と生地の縫い合わせをフラットに仕上げている。平面の作品を人が着て立体の服になることで、躍動感を生み出す。