『ツィゴイネルワイゼン』などの映像美で国際的に評価される鈴木清順監督作品。ミューズともいえる俳優の大楠道代さんが、撮影の記憶、清順美学の一端を担った衣装についての秘話や自身のモード愛を語る。
80〜90年代に公開された『ツィゴイネルワイゼン』『』『夢二』の鈴木清順監督〝浪漫三部作〟。大正ロマンのムードに満ち、爛熟した色彩あふれる独特の映像美は〝清順美学〟と呼ばれ、今でも映画界に影響を与え続けている。三作品すべてに出演した大楠道代さんは、最初監督の撮影方法に面食らったという。
「とにかくシチュエーションがめちゃくちゃなのね。台本はあるけれど、ほとんど即興で撮っていくんです。その日の朝、急に『水の上を歩いてください』と言われたり、清順さんから『大楠さんはこういうときは何をしますか?』と聞かれて、適当に『花火とか……』と答えると、お座敷で花火をすることになったりね」
『陽炎座』で共演した松田優作は困惑していたのか、夜ホテルの部屋で荒れているような音が聞こえてきたという。
「優作さんは真面目な役者さんだったから、なぜこれがこうなるんだろうと悩まれたはずです。監督がとんでもないことを言い出しても私がヘラヘラしていたら、『道代ちゃんは清順さんから何かヒントをもらっているんだろう』と言われたのを覚えています。どんな映画になるのか撮っているときはわかりませんでしたが、その場その場で撮影したものを清順さんが映画にしていったんだと思います」
清順美学は世界中の映画人、たとえばウォン・カーウァイやデイミアン・チャゼルなどの監督の創作意欲を刺激した。
「近年だとパク・チャヌク監督の『お嬢さん』('16)を観て、これは清順さんの色だ、とすぐにわかって、パンフレットを読むと、監督は清順映画に傾倒していると書かれていて、やっぱりと思いました」
『ツィゴイネルワイゼン』への出演は、監督から長い巻紙の手紙で依頼を受け、すぐに決めた。その手紙には、好きなようにやってください、と書かれていた。
「私は監督の手法にはすぐに慣れて、とても楽にできました。OKを出したあとに清順さんが『大楠さん、さっきのは何ですか?』と聞きにいらしたこともありましたね。もう衣装合わせの段階から、いろいろな希望を話していましたし、やりたいことは全部できたからすごく楽しかった。低予算でも、とても贅沢な映画になっているのはうれしいことです」
印象的だった衣装も、予算がなかったために実はほとんどが大楠さんの私服。そうでない場合でも着たいものを準備した。ドット柄のワンピースにパールネックレス、クロコダイルのハンドバッグ、ローウエストで切り替えたワンピース、和装では花柄の着物に赤い帯。インパクトのあるたくさんの衣装も、清順映画の美意識を担う重要な一要素になっている。
「大谷直子さんと私と、キャラクターの全然違う女性が二人登場するのに、同じような衣装では変でしょう。だから自分の思うイメージを伝えたら、衣装部には合う服がなかった。私は服が好きだから、当時アンティークの服などたくさん持っていましたので、その中から自分で選びました。あとDCブランドのひとつ、ピンクハウスの展示会で見たワンピースが映画のイメージに合いそうだったので、買ってからウエスト位置などを20年代風に手直しして着用したと思います」
気づいたらファッションが大好きになっていた大楠さん。まだプレタポルテがあまり普及しておらず、服を手に入れるにはオーダーメイドか家庭洋裁が主流の時代。幼少期は連れて行かれた仕立屋さんで色の好みを聞かれると、必ず黒と答え、それ以外は拒否。その頃から装うことへのこだわりは強かったという。60年代から役者の仕事をする中で、服好きが高じて、海外ブランドやヴィンテージの服を手に入れ始めた。似合う服やときめく小物を求めて、ロンドンやパリでポートベローやクリニャンクールを探索。
「昔、パリのカンボン通りのシャネルに立ち寄ったときに、これからフロアでショーをするというので見せてもらったことがあります。クチュールだから、イネス・ド・ラ・フレサンジュとか、モデルが番号札を持って歩き、顧客がオーダーするシステム。招待客は一見地味なのですが、カルティエの総ビジューのパンテールをさらっと身につけているような人々で、暗い客席でとにかくジュエリーがびっくりするほど輝いていました」
60年代はミニスカート、70年代はパンタロンにサボを履いてヒッピースタイルと、トレンドやムーヴメントはひと通り経験。昔買ったものが今ではマイ・ヴィンテージとなり、再び袖を通すこともある。ミックスコーディネートが好きだから、ヴィンテージと新作、ブランドミックス、トレンドと定番を組み合わせるなど、現代の解釈で着崩しているという。
「フェンディのレオパード柄コート、シャネルのスーツ、ジョン・ガリアーノのドレス……。クローゼットにはさまざまな時代の服が並んでいます。ジャン=ポール・ゴルチエ時代のエルメスも好きだったから何枚かありますね。アライアはずっと買い続けているブランドのひとつ。あの広げると円になるボディコンドレスも持っていたはず。服が大好きだから、もしも手放すときは二束三文で買われていくのは絶対嫌。服に失礼だと思う。似合う人や、衣装部とか、役立つところに貰われていくことを切に望みます」
1964年に日活にスカウトされ『風と樹と空と』(’64)でデビュー。翌年大映と契約し数々の作品に出演。フリーとなり、鈴木清順ほか『顔』(’00)の阪本順治作品、浪漫三部作の製作を務めた荒戸源次郎や豊田利晃の作品にも出演。