アートやファッションと、境界を超えたつながりと広がりを見せる工芸の世界。その中心にいる陶芸家・桑田卓郎さんの、創作のインスピレーションとは? 岐阜県多治見にあるアトリエを訪ね、自身のクリエーションと、陶芸の町の魅力を聞いた
1981年広島県生まれ。京都嵯峨芸術大学短期大学部卒業。陶芸家・財満進さんに師事後、2007年に多治見市陶磁器意匠研究所修了。世界各地で展覧会を開催し、シカゴ美術館などの美術館に作品が収蔵されている。18年、ロエベクラフトプライズ特別賞を受賞。
焼き物の町、多治見で制作するということ
ここは、岐阜県南部に位置する多治見市。古い民家に囲まれるようにして、桑田卓郎さんのアトリエはある。以前から多治見を拠点に、陶器の表現の枠を超えて制作活動をしてきた桑田さんだが、このアトリエを構えたのは5年ほど前のこと。その広大な建物は、もとは日に5000個も飯茶碗を量産する工場だった。元工場の骨組みを活かし、桑田さん自らデザインに関わり大改造。最近、屋外にレンガ積みの薪窯を新たに設け、現在は庭というよりも〝森〟をつくる工事の真っ最中だ。
多治見市の周辺地域はかつて「美濃の国」と呼ばれ、陶製に適した土や水、焼成に必要な木といった資源に恵まれた豊かな風土がある。古くから日常生活で人々が使用する陶磁器を量産する歴史が育まれ、土地の名に由来する「美濃焼」は、現在も私たちが日々手にする器の多くを占めている。中でも多治見市はタイル産業の町としても知られ、今も通りを歩けば、色とりどりのタイル装飾を見つけることができる。
陶芸家・財満進さんのもとで修業を積んだのち、多治見市陶磁器意匠研究所で学んだ桑田さんにとって、この地に制作拠点を持つのは自然の成り行きでもあったという。
「一時期はこのあたりにも多くの工場があったのですが、近年は安価に量産できる海外へ工場が移ってしまい、著しく減ってしまいました。多治見も過疎化が進み、子どもは減って、高齢者の多い町になりました。僕もここでずっと制作していると思うところがあって。町おこしじゃないですけど、制作活動を通して何かできることはないか、と考えているところなんですよ」と、桑田さんは教えてくれた。
伝統を取り入れながら新たな表現を探して
アトリエの内部へと案内してもらうと、ニューヨークのギャラリーでの個展に向けて制作中だという巨大な作品群が次々と目に飛び込んできた。ぽってりとしたカップケーキのような形が愛らしく、ドレスのような華やかさ。そんなカラフルな陶器のオブジェが並ぶアトリエの光景は、まるで現代美術館のよう。でも、しばらく眺めていると、どの作品の原型も、茶碗や何かの器なのかもしれない、と感じられてくる。
「粘土をこねてくっつけたような指跡や、焼いたときにできる釉薬の縮れやヒビなどは、焼き物の世界では伝統的な技法や表現なんです。そういった歴史を引用しながら、普通だったら使わないようなピンク色の釉薬を独自に作ったり、分厚く垂れるほど釉薬をかけたり、新しい形に変化させていくイメージで作っています。洋服にたとえるなら、生地の色や素材、パターンや模様を考えることに似ているのかもしれませんね」
そう桑田さんが話すように、見たこともないほどどろりと垂れた厚みのある釉薬は、彼の作品の特徴のひとつだ。焼き物は窯から出すまで完成形がわからないとよく言われるが、桑田さんは「予想しなかったようなことが起きて、作品としては出せないこともあるけれど、アイデアの原点が見つかることもある」と、偶然性の魅力を楽しむ。一方で、「ちょうどそこ」という形や模様に釉薬が冷え固まるように計算してもいる(そのためには熱の伝わり方が重要になるため、電気窯も特注だ)。
「一見、偶然そのような色になっているように見えるものも、たとえば釉薬が垂れたときにマーブル模様になったら面白いなと、窯から出したときの状態を予想しながら釉薬をかけているんです。でも、最初から自分の中で決めすぎてしまっては面白くない。素焼きしたあとに少し時間をおいて、形を見ながらテクスチャーを変えたり、色は水色がいいかな、黄色がいいかな……とアイデアが変化していったりもするんですよ」
現在、世界の現代アート界から引っ張りだこの彼だが、「陶芸というプロセスからなるべく客観的に要素をピックアップするようにしています。『こういうものが作りたいんだ!』というスタンスではなく、その時々で仕事をする方々の思いや考えに寄り添いながら。かと言って、『これを作って』と言われた通りに制作するわけでもないんですけどね」と、彼ならではの思想がにじむ。
使える器の面白さと焼き物の可能性
大型作品のインパクトに圧倒されながらアトリエの奥へと進んでいくと、今度は対照的に、カップのような茶碗のような、小さなオブジェにも見えるものが、工程ごとに分けられ大量に整列していた。「このあたりに並んでいるのは、いわゆる〝クラフト〟と呼ばれる器ですね」と、桑田さん。
「カップ型の器は10年くらい続けているシリーズです。今から20年ほど前、量産の技術を学びたいと思って多治見市陶磁器意匠研究所という職業訓練校のような機関で勉強したのですが、そのときに自分で作った型が、今もカップの原型になっているんですよ」
当時一人暮らしをしていた桑田さんが、自分でも一番使いやすいカップのサイズや形を求めて作ったのが始まりだそう。「初めは、僕も食べていかなくてはならないから、まずは売ることが必要で。ただ、20年ほど前は今のように現代美術を扱うギャラリーも少なかったし、伝統的な器店にオブジェ的な器を持って行っても価値はなかったので、もう少し日常で使いやすいものを作っていましたね」
そして、今につながる分厚い釉薬をかける方法も、その頃に実験的に始めたという、彼の原点ともいえるカップである。この原型をもとに、デコラティブにしたり、釉薬の垂らし方を変えたり、色を変化させたり、さまざまなパターンが生まれてきた。
アートやクラフトがファッションと接近する今、ファッションの流行に制作が直接影響を受けることはないが、「驚くほど進化して成熟したファッション業界を思えば、焼き物ももっといろんな可能性が広がっていると思う。そういう意味では刺激をもらっていますね」と、新たな技法を使った制作にも精力的。最近取り組んでいるという、鋳造という金属加工の技術を使った新作を見せてくれた。器を焼く際に釉薬がめくれて起こる現象を、鋳造を用いて大型の作品で表現した作品だ。金属には、美術史における彫刻像の象徴とも言えるブロンズ素材を使ったものもあり、まさに、クラフトとアートが融合したような作品である。そこには、現代アート界では〝クラフト〟と呼ばれることもあり、クラフト界では〝アート〟と呼ばれることもあるという桑田さんのアイロニーが、ちょっぴり込められているようにも感じた。
最後に、今後の夢を聞いてみる。「僕はアアルトの家具が好きで1930年代や50年代のものを集めているんですが、今もずっとリプロダクトされ続けているのはすごいこと。僕も40歳を過ぎていつか自分がいなくなることを意識するようになって、多治見という量産の歴史を持つ町で、僕の陶器が後世でリプロダクトされる。そんな原型を作ることができたらうれしいですね」
桑田さんに聞く、多治見の歩き方
多治見は、人や文化がつながって、新しい工芸を生み出してきた場所。町を盛り上げていきたいと語る桑田さんが、おすすめスポットを案内!
岐阜県現代陶芸美術館
「アール・ヌーボーや、昭和の陶芸を代表する作品が多く揃う場所。コレクションの質が高く、よく訪れています。磯崎新さんの建築も素晴らしく、見ごたえ十分です」。近現代の陶芸をテーマに、世界各地から収集。所蔵品を中心に展示を企画しており、陶芸体験も実施している。現在は一時的に修理中だが、普段は桑田さんの作品もパブリックスペースに展示されている。6月8日(土)からは、リサ・ラーソン展を開催予定。焼き物の世界の奥深さに触れてみて。
梅園菓子舗
「老舗の菓子店。僕が"かいらぎ"と呼ばれる陶芸を始めるきっかけとなった人物である、荒川豊蔵が手がけた絵や書が熨斗に使われているんです。どら焼きが大好きで、しょっちゅう買いに行きます」。大正5年に創業し、客足がひっきりなしの人気店。名物のどら焼きは、あんこに刻んだ栗が入っており、深みのある味わいがクセになる。生地との間にはバターをしのばせ、ほどよい塩気とまろやかな食感が特徴だ。
多治見市モザイクタイルミュージアム
「僕のアトリエがある笠原は、タイルの生産で有名。焼き物をする者から見ても楽しめる企画展が実施されます。何より、藤森照信さんの建築は必見です」。日本中から集めたモザイクタイルを展示。古いものは幕末期にまで遡る。常設展と、年間4回の企画展を開催。6月は「あらいぐまラスカル」で知られる永見夏子さんのイラスト作品とタイルの展覧会だ。一片は工業製品でも、つなぎ合わせることで新たな表現を生み出すという、タイルのダイナミックな魅力を感じたい。
だいどこ やぶれ傘
「創作陶器から若手の作品まで、選び抜かれた器でごはんをいただく贅沢な場所。何よりママの人柄が最高! 話している間に、いつの間にか一緒に飲んでいることもよくあります(笑)。陶芸家の仲間と一緒によく訪れる、定番の場所です」。50歳を過ぎてからお店を開いたという女将を中心に、旧知の仲の女性たちが切り盛りする居酒屋。いつも常連でにぎわい、多治見の町で長年愛されてきた名店だ。無添加かつ旬の食材にこだわった料理は逸品。決まったメニューはなく、20種類以上が日替わりで並ぶ。