二宮和也と60分。著書『独断と偏見』記者会見1万字レポート!(前編)「肩書きではなく、“言葉”で語りたかった」 #独断と偏見 #二宮和也

40代を迎えた今、二宮和也が初めて“新書”というかたちで、あえて〈文字だけ〉の表現に挑んだ。四字熟語を出発点に、ビジネス論から人づきあいの流儀、会話術から死生観にいたるまで――100の問いに一問一答で向き合いながら、エンターテイナーとして、そして一人の生活者としての思考が静かに語られていく。「独断と偏見」に満ちた自由な言葉たちは、読み手の心を映す鏡のように響いてくる。今、なぜ“言葉”なのか。そして、その奥にあるものとは。記者会見で語った全ての内容を1万字をこえてレポートする。

40代を迎えた今、二宮和也が初めて“新書”というかたちで、あえて〈文字だけ〉の表現に挑んだ。四字熟語を出発点に、ビジネス論から人づきあいの流儀、会話術から死生観にいたるまで――100の問いに一問一答で向き合いながら、エンターテイナーとして、そして一人の生活者としての思考が静かに語られていく。「独断と偏見」に満ちた自由な言葉たちは、読み手の心を映す鏡のように響いてくる。今、なぜ“言葉”なのか。そして、その奥にあるものとは。記者会見で語った全ての内容を1万字をこえてレポートする。

「あなたの言葉の本を作らせて欲しい」 独立直後に届いた一通のメールから始まった、新書の企画

二宮和也と60分。著書『独断と偏見』記者の画像_1

——二宮さんが前事務所に所属されていたときには、絶対に伺えなかったタブーといえるテーマが最初から始まり、全体に詰まっていて、ドキドキしながら読ませてもらいました。二宮さんは、動画をはじめいろんな媒体でご自身の発信をされていますが、文字だけでご自身の今の現在地を表現された理由を改めて聞かせてください。

僕が独立をして、HPのお問合せフォームというのを作ったところ、(編集者)野呂さんからメールが来て、「もう死ぬかもしれないので、本を作らせて欲しい」というところから始まりでした。野呂さん、何か変なこと言っているなと思って、いろいろ話を聞いたら、病気になってしまった、と。先が見え始めてきた中で、自分で考えてきたことでいうと、『あなたの言葉をよく思い出すし、それが励みになって頑張ってこられたというのが、すごくたくさんいろんな場面であったので、これをお守りとして一冊にしたい』ということがきっかけでした。なので、僕自身が自分の言葉に力が宿っているとか、何か誰かを動かすとかということは考えてもなかったので、僕も「はぁ」という感じだったんですけど、野呂さんのことをすごく信じていたので、やってみるかという形で、今回1年間かけて、1ヶ月に1問、四字熟語を一つ考えようということになりました。

——著書に「新書を出そうという話が来て、悩んだけど、言葉に責任を持つきっかけをもらったと思って、この世界にやってきた」というふうに書いてありました。今、新書を出された、ご自身の気持ちを聞かせてください。

この新書が世の中に出てから、感じる部分の方が多いのかなというふうには思ってますね。これがまだ世の中に出ていない状態なので(記者会見は発売日前)。手に取っていただいた人にとって、どこがしっくり来るのかが見えてきた段階で、「そういうことなんだ」というのが、ようやく自分の中で合致してくるのかな。


そんなふうに考えているし、感じているところなので、今は本当にこうやって取材をしていただいているのも、実際こうやって(取材前に)読んでいただいた方々が、こうやって面と向かって感想を言ってくれると、(この先質問を)あまり聞かれたくないなというふうに思っています(笑)。世の中の声を受け止めるというのは、こんな感じなんだなって今すごく感じています(笑)。


——本書の中にも、肩書きがないというふうに、書かれていたところがあると思うんですけど、今、新たな著者という肩書きが、増えたなという実感は?

そんなだいそれたことは、自分の中では考えなかったですね。著者としてというよりかは、一人の人間として、らしい言葉をちゃんと出せるようにということくらいしか考えてなかったかもしれないです。

——文字だけで展開する世界ということで、「本質と違う伝わり方は嫌だから、そのまんまな言葉を載せてしまいがちだけど、でも尖りたい」という文中の言葉も印象的でした。ご自身で出来上がったものをご覧になったときは、どんな塩梅だったと思いますか?

一冊になって、それこそ直したいところを直したし、もっと分かりやすいようにした、というのはありました。だけれど、いつもみたいに編集の方に最後をまとめていただくという作業が、今回はなかったので、わりとダイレクトに(そのままの)言葉が届いたらいいなというのは、思うところですね。

「黒ペンじゃなくて色ペンで」から始まった、初めての“本作り”

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photo:Sai

——ご自身で本を作るにあたって、かなり直されたとおっしゃっていましたが、それって具体的にどういう作業だったのか教えてください。インタビューを受けて話した言葉が、どのように本の形になるのか、その工程について教えていただけますか。

一番最初に言われたのは、「黒ペンで書かないでください」って(笑)。で、色ペンを買いに行きました。基本的には、まず「このニュアンスはこうしてほしい」という部分を書き換える作業。それから「この一文で言ってることは、本当はもっとこういう内容なんだよな」っていうところを、ガラッと書き換えるパターン。さらに、「この章の始まりと終わりを、自分で全部書きたい」というパターンもあって。それは追加の取材も受けて、やっていきました。

あと、「ここでは“僕”って言ってるけど、こっちでは“俺”ってなってるけど、統一しますか?」って聞かれて、「いや、ここで“僕”が出てるってことは、何かあるはずなんだ」って考えるんです。読んでて分かんないけど、直感的に「何か意味があるはず」と思うので、「ここで“俺”って言ってるのは、たぶん違うニュアンスを言いたかったんだろうな」って探りながら、「ああ、こういうことかもな」っていうのをノートに書いて、それを使う、みたいなことを、3回くらい繰り返していきました。

——そういった作業は、新しい体験でしたか? それとも、これまでも似たようなことをされてきた感覚ですか?

新しい体験でしたね。雑誌の仕事では文章に関わってきたけど、正直、恥ずかしながら“本がどうやって出来ていくのか”って、ちゃんと分かってなかったんですよ。連載までしてるくせに(笑)。でも、今回こうして「一緒に作りませんか」って言ってもらえたので、「せっかくなら作り方をちゃんと見てみよう」と思えた。関わってみることで、「自分らしさ」みたいなもの――生々しいって言うとちょっと語弊があるけど、言葉の“純度”が高めなものになったんじゃないかなって思っています。

「性格悪すぎないかと思って(笑)」 迷いの末に選んだタイトル『独断と偏見』

——タイトルについて、最初は『百問一途』という候補だったけど、最終的に出来上がったものに対して『独断と偏見』に決められたとのことですが、改めてこのタイトルに決めた理由を教えてください。

最初にいただいたタイトルのままで読み進めていったんですけど、あまりにも独断と偏見が過ぎて、タイトルが合致していない感じがしたなというのが、僕の読み終えた後の感想だったんですね。なので、独断と偏見か、と(笑)。すでにいろいろ決まりかけていたんですけど、一旦度外視して、「『独断と偏見』にしてみたいんだけど」って言ったら、「……頑張りますっ」という感じで(笑)。結果、『独断と偏見』になって、非常に読みやすくなったと思います。普遍的な質問ばかりではなく、やはりパーソナルであったりとか、自身がどうかっていうので答えたから。ということになってくると、そこはあくまで独断になってしまう。一般論として答えているものはなかったので、この人の考えはこうなんだなっていう。それは世の中的には偏見に聞こえるかもしれないけど、っていう内容のものを直さずそのままに、自分の言葉として載せることで、タイトルがこうなっちゃった感じです。

——『独断と偏見』というタイトル以外に候補はありましたか?

一択でした。自分でもすごい独断と偏見だと思ったので(笑)。連載をまとめた『二宮和也のIt [一途]』の発売が昨年11月で、新書の取材を始めたのは昨年の4月なんです。この新書は『It [一途]』の派生というか、続きというか、その流れで始まっています。最初はそれで理解したんですけど、読み終えた後、『百問一途』というタイトルで出すには、性格悪すぎないかと思って(笑)。で、こういうタイトルになりました。

嵐の再始動と新書発売、重なったのは“偶然”だった

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——ダイレクトに伝えたかったというお言葉があったんですが、終盤、嵐のことや事務所のことが書かれています。特に、嵐について、去年の12月の時点で、嵐のことは考えてないと。また、会いたい人という問いにジャニー氏と答えて、誠心誠意謝ってほしいと。このタイミングでこういった発言をした意図はありますか?

基本的には、僕の中に“中長期的な計画”ってあまりないんです。僕自身、今考えても「なぜこのタイミングなんだろう?」っていう感じで、嵐が活動を再開している。誰かが決めたタイミングではないんですよね。なんか、「もうやるかな」みたいな感じで集まって、再開してるんです。そこに明確な理由があったわけじゃなくて。

この新書も、1年かけて、6月の誕生日、発売日が6月17日なんですけど、じゃあ「誕生日に出そうよ」っていう話があって。それしかなかったんですよ。で、それを決めて、そこに向けて動いたら、なんか……こっちからすると「勝手に嵐が再開した」みたいな(笑)。まあ、びっくりはしましたけど。

でも仮に、今こうやってこの話をしてるときに嵐が再開していたとしても、たぶん、同じことを言ってたと思います。やっぱり、それは変わらないというか。今、「じゃあ何をどうするのか?」って聞かれても、またみんなで会って話をして、「本当にどうしていくか」「コンサートをどうやってやるのか」「どんな形で」「どんなタイミングで」「どこで、いつやるのか」――そういうのを、本当に今みんなで話してる状態なんですよね。だから、タイミングがたまたま重なっちゃっただけで。狙ってたわけじゃないし、そんなつもりもなかった。「なんか、そんなことになっちゃった」っていう感じです。

また、活動が再開していたとしても、「謝ってもらいたい」っていう気持ちは、あまり変わらないかなって思ってます。もっと極端な話をすれば、向こうの事務所に在籍していたときでも、そこを変えさせるつもりはなかったし、普通に書いていたことなんですよね。なので、特別に“今だから”ってことでもなかったと思います。

「謝ってほしいと思った」 名前を出した理由と、その裏側にある感情

——10章でジャニー氏の名前を出されたというのが、非常に衝撃でした。ジャニー氏の名前を出さないですとか、事務所の問題に触れないという選択肢たちもあったと思います。今回なぜあえてジャニー氏の名前を出して、その問題について言及されたのでしょうか。

僕もそこまで深く考えてはいなかったと言いますか、会いたい人はいますか、と言われたんですよね。僕、基本的に会いたい人って、この世に存在していない人が多くて、でも、その存在していたらどこかで会えるんじゃないかと思っていたので、誰だろうかなと考えたとき、やはりこの本を作るきっかけとまでは言いませんけど、大元にやっぱりいる人なので、あの人がそうやって人様に迷惑をかけずに、生活してくれていれば、僕が所属していた事務所はなくならなかったし、僕がこういう道を辿ることもなかっただろうし。でも、あの人、何も言わないんですよね。なんだかなぁ、って。僕はずっと、世間様で言われているようなこととはまた別の軸で、彼にはそう思っていたので。「謝られたことがないな」と思ったので、「謝ってもらおう」というふうに話したんだと思います。

僕自身、生きていたときから、喧嘩もするし、言い合いもするし、けっこう自由に発言していたタイプだったので、それが出てきたんじゃないかなと思います。もっと言えば、これは僕の完全な偏見なんですけど、「そうしてもらいたい」って思っていた人は、他にもいっぱいいたんじゃないかな、と思ってます。“言えない人”もいるだろうし、“言いたくない人”もいると思う。僕は、自分自身については、この話はそこまでセンシティブではなかったから。だったら、「出てきたら謝ってほしいな」っていうことを、質問のベースとして答えさせてもらおう、って。そういう形で、お答えしたんだと思います。

——ありえない話ですけれども、もし実際に会えたとして、「謝ってほしい」と伝えたら、ジャニー氏はどんな反応を返すと思いますか?

謝るんじゃないですか。全員というか、謝る人には謝ってもらいたいですし、そういうある種のピュアさがあったからこそ、人が集まり大きくなった会社、タレントだと思います。僕はちょっと今、変な形で所属しているんですけど、そういう自由さを与えてくれた人、そういう社風だと思うので。謝ってもらいたいですし、そういって、世間様で言われている問題に対しても、それは謝っていただきたいと思っているし、それは多分みんなそうじゃないかな、というふうに考えています。僕はどちらかというと、役職だ、位だどうこうではなく、一対一の人間として謝ってほしいですね。その後、位とか役職として、対応するということは、もちろんですけれども、その前に全部外した状態で、一対一でそういう話ができたらな、というのは。もちろん亡くなっているので実現しませんが、そういう意味合いはありました。

「純度の高い言葉」が出せたのは、 信頼する編集者との時間があったから

——ここまで話せたのは、信頼する編集の方だったというのはあるのでしょうか。

そうですね。1年間その話をして出来上がっている本なんですけど、まあ、その前からずっと、もう十何年も一緒に連載やってきたんですけど、やっていく中で、野呂さんとの関係というのは、着実にできていたものですし、野呂さんが聞きたいことっていうのは、もちろん野呂さんが聞きたいことでもあるけど、そのフィルターを通して、後ろに何人もの人たちが聞きたい人たちとして待機していると思うと、割と一般的にマイルド化するよりかは純度高めの方が分かっていただけるんじゃないかなという考えはありました。

——今回野呂さんの1通のメールから、素敵な一冊が出来上がったということで、それは本当にすごいことだと思いますし、幸せなことだと思います。お二人の信頼関係があったからこそだと思うのですが、二宮さんにとって“信頼できる編集者や記者の条件”とは? 情熱なのか、距離感なのか……。 

距離感は大事ですね。それは思っています。面白がって話しかけてくる人よりも、最近どうですか?って聞いてくれるような方のほうが、僕は信頼できます。それにお仕事を通じてつきあいが生まれたときに、その人が自分のフィールドで、どういうものを書いているのか、どういうふうに物事を捉えているのかっていうのは、こちら側もあとから追えるじゃないですか。なので、それを見たときに、「あ、この人、誠実にこの仕事に向き合ってるんだな」とか、「こういうふうに考えているんだな」っていうのが見えると、「あ、いい人だな」って、自然と信頼できるようになるんですよね。あと、現場に何度も来てくださるような方だと、それはそれで、ある種のなじみみたいなものになっていくというか。そうやって繰り返し会っていく中で、少しずつ信頼につながっていくと感じていますね

想像以上に踏み込んだ。 けれど“新書だからこそ”伝わったこと

——本を読み進めていくうちに、二宮さんは「言葉の重さ」をよくご存じだからこそ、これまでマスコミの前で詳しく語ることはされなかったのかな、と感じました。だからこそ今回、ご自身が考えていることを、これだけ人に見せるということについて躊躇はなかったのでしょうか。

ここまで載るとは思っていなかったんですよね。聞いてくる四字熟語のワードもそうですし、そこに付随してくる設問もそうでしたけど、その温度感を見て、「ああ、こういう温度感で聞かれてるんだな」って。だったら、それに合わせた温度感で返したほうがいいかな、というふうに考えていた部分はあります。それで、結果的にこういう形に仕上がったのが、この新書なんですけど、でもなんかこう新書だからこそ、理解度を深めてもらえたというか。たとえば、これが1ページずつ撮り下ろしの二宮和也がいて、写真がずらっと並んでいたら、逆にそれが邪魔だったんじゃないかな、って思うんですよ。新書ならではというか、新書だからこそ、言葉だけで立体化していくということを、野呂さんはたぶん考えて出してくださったと思うので。それが、うまくできたんじゃないかなって、僕は思ってます。

——二宮さんの中で、新書で出すというのは強いこだわりの一つではあったのでしょうか。


僕の生活している層というか、ゾーンというものが、割と文字ベースと言いますか。人と会話をすることもそうですし、それこそ台本一つとしても、文字で情報を常に取られていた人生でしたし、もっと言えばインスタグラムよりも、Xだし。そういう生活をずっとしていたので、選択肢として、写真集を出すとか、そういうことよりかは、文字ベースと言われて、しっくり来るところはありました。

——言葉として残すからこそ、これだけは絶対に守ろうと思ったことや、これはやらないようにしようとか決めたことがあったら教えてください。

僕は人間としてそんなにいい人間ではないので、特に野呂さんとの関係値があると、結構悪口みたいなのが出てきたりするんですけど(笑)、それは書かないでおこうとか、そういうことは考えてました。悪口書くのやめよう、みたいなのはありましたけど、二人でその質問に対して話していく中で比較対象として出てくる人はいたので、そのことを喋っているとき、比較対象を抜いたときに、どういった表現ができるんだろうとか、そういったものを考えながらやっていました。

質問されて初めて気づいた、“自分の中にあった言葉”

——二宮さんにとっては、たくさん質問されることで、自分の中にあった言葉を深掘りしたり、何かを出そうで出なかった言葉を思いかけずに見つけたということがあったかもしれません。改めて自分でこんなことを思っているのか、こういう言葉を、こういう気持ちを大事にしているのかと感じたフレーズだったり、思いはありましたか?

これはもう、僕自身もちょっとびっくりしたんですけど、「あ、自分ってこんなことを喋ってたんだ」っていうのが、第一印象でした。ただ、言っていること自体は、なんとなく昔からあまり変わっていないのかな、って思いましたね。それこそ、何回もいろんな場で言ったことがあるようなフレーズもありましたし、テレビとか、これまでにも使ってきた言葉もあったし。

逆に、今回初めて読んだなって思うものもあって。でも、その二つがかけ離れているのかって言われると、そうでもなくて。その先にあったり、手前にある言葉だったり、一本のラインみたいなものは、捉えていってるんだな、って思えたんですよね。

それこそ、「芝居を教える・教えない」みたいな話があって、そこで“上手い下手”について触れてるところがあるんですけど、あれを読んで、「へぇ~」って思いました。なるほどな、って。そうだよな、って。で、よく見たら「俺だな」って自分が言ってる。そっかそっか、って、新鮮な感じで読み進めていけました。なんとなく思っていたことを、なんとなく言っていて、それをまとめていくなかで、「上手い下手の話は、ああ、これは言えて妙だな」って、自分でも思いましたし。言語化できたのかな、っていう感覚はありました。

——やりとりする中で、自分にとって大事なことを発見できた実感もありましたか?

そうですね。整理がついたと言いますか。長年、言いたくて言えなかったとか、環境が違って言えなかったとか、そういうことではなくて、聞かれたことによって、自分の言葉でちゃんと整理することができた、という印象です。

動画でもなくSNSでもなく、“文字”を選んだ理由

——今それこそ動画ですとか、いろんな形で、思いを、表現することが可能になっている中で、文字、文章という形で伝えることのメリットやデメリットなど意識したことがあれば教えてください。

メリット、デメリットは、考えてはなかったですね。いろいろある選択肢の中の一つとして、文字ベースがあっていいんじゃないかな、というふうに思ったんですけど、一つの物事に対して語っていることが多いので、一冊の本になっている方が伝わるんじゃないかな、というふうに思っていたのが、メリットの一つかなと。デメリットでいうと、何でしょうね。四字熟語の漢字が小さくて読めないとか(笑)。魑魅魍魎とか。今の時代結構便利だし、いろんな情報が取れる時代になってきているけれども、そういうのを削ぎ落として、言葉と対峙するというのは、贅沢な時間ですし。それがある種の、乾きを癒す日常になるんじゃないかなって思います。本として読める実感を得ているということ自体が、今言ったような贅沢につながると思っているので、それの一つのアイテムになればいいな、というふうに思います。

僕がそうではあるんですけど、紙をめくらないと、いまいち言葉が入ってこないというか。いや、デジタルが悪いって言ったわけではなくて、めくるときに、初めてインプットできるというか、言葉が入ってくる感じがするので、この本というものは、それがいいかな、というふうに感じてました。なんかデジタル版がでたらごめんなさい(笑)。

——本で読んでいて、二宮さんのその発言はどういう表情でどういう声色で、どういうテンションでおっしゃってるんだろうというのが、気になりまして。結構赤裸々な内容なので。

めちゃくちゃ偉そうにしてましたね。なんで野呂さんはこんなことも分かんないんだと思いながら、話してるところもありますし。ただ本当に、今時珍しい情景ですね。僕はそういうタイプと言いますか。分かんない人は分かんなくていいとか、っていうことはあんまりなくて、何で分かんないのかをまず言ってくれって言っているので。じゃないと、何が分かんないと分かんないと言うのか、分かんないんですよ。ほら、もう分からなくなっちゃった(笑)。だから、野呂さんが僕が言ったことに対して、はてなな顔をしてるので、例えばA、B、Cで迷っているときに、Aでも迷っているのか、Bで迷っているのか、Cで迷っているのか分からないから、何で迷っているのか教えてくれって話をして、ここですってなったことを砕いていって、分かりやすくしているんですけど、この人が言ってたことはこういうことなんだっていうのを分かるまでずっと言っていました。まあなんかもう、そういうところはお説教みたいな感じです、野呂さんに対して(笑)。


記者会見1万字レポート後編はこちらから>



集英社新書『独断と偏見』2025年6月17日発売 ¥1,100 新書判/192ページ
二宮和也による初めての〈新書〉。あえて文字だけの表現に挑戦。
40代になった著者二宮が、これまで考えてきたこと、いま考えていること――。

俳優やアーティストとしての表現のみならず、二宮和也が発信する独創的な言葉の力には定評があります。その最新の〈哲学〉を言語化すべく、10の四字熟語をテーマに計100の問いと向きあいました。ビジネス論から人づきあいの流儀、会話術から死生観にいたるまで、「独断と偏見」にもとづいて縦横無尽に語りおろします。エンターテイナーとしての思考が明かされると同時に、実生活に役立つ働きかたの極意や現代を生きぬく知恵が凝縮。世代や性別を問わず、どのページを開いても人生のヒントが見つかる新しい形のバイブル的一冊。発売日は著者の42歳の誕生日。

【著者プロフィール】二宮和也(にのみや かずなり)
1983年6月17日生まれ、東京都出身。1999年、アイドルグループ「嵐」のメンバーとしてデビュー。映画やドラマ、バラエティ、CMなど幅広く活躍。最近の主な出演作品に映画『ラーゲリより愛を込めて』『アナログ』『8番出口』、ドラマ『ブラックペアン』シリーズなど。2016年、映画『母と暮せば』で第39回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。近著に『二宮和也のIt[一途]』(集英社)がある。

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