アリ・アスター Interview 「アートは、鏡のように現実を映す」
『エディントンへようこそ』
コロナ禍、ロックダウン中の町で保安官(ホアキン・フェニックス)と市長(ペドロ・パスカル)の対立が激化。保安官の妻(エマ・ストーン)はカルト指導者にハマり、若者たちはデモを始める。住民は嘘と怒りにたきつけられ大混乱に。政治的立場全方向を風刺するブラック・コメディ。(公開中)
恐怖、不安、パニック、トラウマ。アリ・アスターの映画は、これまでも現代人のネガティブな心理をビビッドに捉えていた。それは超自然的な力を帯びて映画的に表現されていたが、新作『エディントンへようこそ』では社会的現象としてリアルに描かれる。舞台はコロナ禍のニューメキシコ州の町。疫病を怖がる気持ちや選挙戦のディスり合いが人々をのみこみ、コミュニティを壊してしまうのだ。ドーバー ストリート マーケット ギンザのイベントに登壇した監督が、本作の意図を語った。
「とてもアメリカ的な映画ですが、現時点で普遍的だとも思います。『エディントンへようこそ』の登場人物はみんなネットの中で生きていて、それは私たち全員にとっての現状なので。この時代のミアズマ(瘴気、悪い空気、毒気)についての映画なんですよ」
確かに過去のアメリカの話というより、実感するのは今誰もが抱える不安。その原因がインターネットで、そこから吸収するものがドラッグのように人々の頭を占めている。
「アメリカで『エディントンへようこそ』は評価が真っ二つに分かれたんです。そう意図したものでもあるんですが、私としては不可解な映画であってほしいし、私自身の政治性もよくわからない映画であってほしい。ある主張を支持する映画では一方的ですから。その先にある状況を語っているんですよ。主張を押しつけ合うようないがみ合いの中で途方に暮れている人々の物語だし、結局のところ、いがみ合いは罠で、誰も気づかないところで起きている大きな状況から人々の注意をそらすものなんです」
ではずばり、アリ・アスター監督が考えるその先の展望とは?
「現時点で、私たちは橋の上にいると思います。橋の片側では何かが崩れつつあり、もしくは崩れ去ってしまった。もう片側からは新しいものが迫ってきている。その新しいものが私にはとても恐ろしく思えるんですが、はっきり何かはわからない。歴史を振り返ると、予想通りのことは起きませんよね。だから個人的に、これから向かう方向が私はとにかく怖い。アメリカでは、まだその物語は書かれていません。ただ2024年の大統領選挙のストーリーはすでに書かれていて、私たちはアメリカという国が直面しているものを実感しています。だから、2020年という過去を舞台にした作品を作ったんですよ。今では何もかも動きが速くて、ニュースのサイクルなんて目が回りそう。全部を受け止め、理解するなんて無理で、そこからこの絶望感が生まれている。すべてがトゥー・マッチで、圧倒されてしまうわけです。哲学者、ヘーゲルによる〝時代精神〟という言葉を思い出しますが、誰もがそうした今の世界のあり方に翻弄され、逃れられない。そして現代の世界の精神は病んでいるんです」
そうした社会を描くことで、映画は人々に何を与えることができるのだろうか。
「アートには処方箋的なものもあって、答えを提示します。たとえ超楽観的な、お気楽な答えでも。また別のアートは鏡のように現実を映し出し、そこには解決策はない。『エディントンへようこそ』への批判を聞くと、見終わったあと不完全燃焼というか、満足できないものが残る、と。私にしてみればそれは正しい反応なんです。それが現状で、私自身途方に暮れているし、ほとんどの人が『この状況は間違っている』と感じていると思う。だから、私が求めているのはそうした体験を描き出すアート。何よりも、自分自身の孤独感を減らしてくれるようなアートですね。この映画を観た人が、少しでも『自分はひとりじゃない』と感じてくれれば、と思います。それにここでは最後に、『私たちはこのままの方向に進みたいのか?』という疑問が投げかけられているんですよ」