2024.08.15

【パラアスリートが見つめる未来 vol.06】車いすバスケットボール/鳥海連志さん

限界を決めず、プロアスリートとして挑戦を続けていきたい

SPUR9月号 鳥海連志

車いすを使った激しい攻防とスマートなプレーが繰り広げられる車いすバスケットボールは、パラスポーツの花形競技。17歳でリオ2016パラリンピックの日本代表としてチーム最年少で出場して以来、競技の第一線を走り続けている鳥海連志さん。車いすバスケットボールとの出合いは、中学1年生のときだ。

「初めて競技用の車いすに乗ってプレーしたとき、スピード感や激しい打ち合いに圧倒されました。車いす同士がぶつかって転倒することは当たり前。障がいがありながらも、こんなに激しい闘志を感じるスポーツがあることを知り、やってみたくなりました。いい意味でカルチャーショックを受けましたね。それまで幼少期からいろんなスポーツを遊び感覚で楽しんでいましたが、プレーヤーとして本気で活躍できる競技を見つけたうれしさもあったのかも。何よりも周りの人が車いすをうまく乗りこなしていることがすごく悔しくて、まずはこのチームの中で一番強くなろうとその日に思いました」

現在、鳥海選手は所属するチームのプレーヤー兼アシスタントコーチとしてさらなる高みを目指し、日々トレーニングと指導に奮闘している。

「2024年の天皇杯で2連覇を達成しましたが、試合の内容には納得していませんでした。それからチームのスタイルや練習メニューをガラッと変えて、今はしっかりと基盤を作り上げている段階です。圧倒的に強いチームで、1年後の天皇杯は3連覇したいと思っています。僕のプレーヤーとしての強みは、ほかの仲間4人に合わせて役割を変えられるところ。ミドルポインター(障がいの度合いがやや重いクラス)ですが、昔から限界を決めず、何でもできると思ってやっていたからこそ磨けた強みだと思います」

SPUR9月号 鳥海連志
©長田洋平/アフロスポーツ

そんな彼は、2023年にプロアスリートへの転向を決断した。車いすバスケットボール界では、二人目だ。

「競技に専念することには変わりありませんが、プレーで表現する以外に、行動や発言に責任を持ち、より自分らしく、多角的に挑戦していきたい。その一つが主催している『Push Up』という車いすバスケットボールの3×3の大会。日常生活に溶け込んだ身近なスポーツとして認知度を高めることが目的です。この活動を続けることで、車いす自体に親近感を持ってもらいたいです。また、プロとしての活動を通し、子どもたちに車いすバスケットボールで人生が豊かになることを伝えていければいいなと思っています」

限界を設けず、まい進する彼が、今後どのような場へと活躍を広げるのか、期待せずにはいられない。

「パラスポーツという枠を超えて、鳥海すごいなと。人としてかっこいいと思われるような存在になりたい」

鳥海連志プロフィール画像
鳥海連志

ちょうかい れんし●1999年2月2日、長崎県生まれ。生まれながらに両手足に障がいがあり、3歳で両下肢を切断。中学1年生で車いすバスケットボールを始める。2016年の高校在学時、チーム最年少としてリオ2016パラリンピックに出場。その後も日本代表の主軸として活躍を続け、東京2020パラリンピックでは、チームを大会史上初の銀メダルの獲得に導き、個人としては大会MVPを受賞。2023年10月よりプロアスリートに転向し、現在は神奈川VANGUARDSに所属する。

鳥海さんを読み解く3つのS

Society

現在、年に4回ほど実施している「Push Up」は、過去に千葉や横浜で開催しました。今後は主要都市以外にもいろんな場所でやりたいと思っています。歩いていたら街中で車いすバスケットボールをやっている人に出会えるくらい、フラットなものとして伝えていきたいです。

Sleep

コンディションを整えるために、日中に仮眠を取るようにしています。多くのアスリートも取り入れているそうで、僕は20分がちょうどよくてスッキリしますね。適切な長さの昼寝をすることで、疲労感を軽減でき、パフォーマンスの向上を実感しています。

Smile

シューティング練習やウエイトトレーニングにしても、チームメイトに声をかけてやるようにしています。誰かと一緒にトレーニングに励むことで張り合いも出て、頑張れるので。同じチームの高松義伸選手とはプライベートでも仲がよく、公私ともに彼の存在は大きいですね。

 

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