『乙嫁語り』 緻密に描き込まれた絵と物語に震える長編【マンガ編集者のおすすめ】

林士平の推しマンガ道

「これから読む人がうらやましい!」と林士平さんを昂らせる『乙嫁語り』。何度も読みたい、開くたびに心が震える、宝物のような作品を推す!

まるで工芸品のような美の充実っぷり! 緻密に描き込まれた絵と物語に震える長編

『乙嫁語り』 森 薫 著

『乙嫁語り』 森 薫 著
KADOKAWA 青騎士コミックス  既刊15巻・各792円

「森薫先生といえば、人間の手がこれを描いているのか……と気が遠くなるほど高密度な絵が印象的です。描きたいところまで描く。先生が愛するものを、愛してる!と叫びながらマンガにしている。『エマ』や『シャーリー』の頃から変わらない。むしろさらに進化していて最高です。絵の素晴らしさは言わずもがなですが、それぞれのキャラクターも魅力的。ストーリーや演出を含めた全体の構成がとても美しく、エンタメ性に満ちています」

『乙嫁語り』 森 薫 著
Ⓒ森薫/KADOKAWA

アミルが嫁いだエイホン家に代々伝わる紋様。ひとつひとつに人や出来事の記憶が結びついている。(2巻p.148〜p.149より)

世界最大の湖であるカスピ海を西に、大国ロシアを北に見る19世紀後半の中央アジアを舞台に、2008年から連載が続く『乙嫁語り』。12歳のカルルクのもとへ嫁いだ20歳のアミル、未亡人タラス、双子の姉妹ライラとレイリ、嫁入り準備をするパリヤ……この作品において“美しいお嫁さん”を意味する「乙嫁」たち。さまざまな地域に暮らす彼女たちと、その家族や友人、文化を異にする共同体が登場。ユーラシア文化に興味を持ち、旅を続ける英国人スミスの観察と記録によって、彼らの暮らしが描かれていく。

『乙嫁語り』 森 薫 著
Ⓒ森薫/KADOKAWA

遊牧民や移牧民の暮らしの描写に、森先生の動物愛が炸裂! アミルの家族のもとで鍛錬を積むカルルクが騎馬鷹狩猟に出る一話。(10巻p.64〜p.65より)

「結婚にまつわるテーマ設定がうまい! 祝いのための食事、衣装、持参金、相続、客人をもてなす文化など、地域の伝統的な風習がたっぷり描かれます。冒頭から何度か登場するアミルとカルルク夫婦のような年の差婚もあるし、恋愛、女性同士の婚姻にも似た姉妹妻という関係、違う部族や共同体との結びつきのための婚姻もある。

家父長制の強い時代や地域でもあるので、僕らが思い描くような自由恋愛による結婚とは違う点もたくさんあります。決められたルールのもと続いている制度でありながら、結婚には人々の喜びが詰まっている、と読めるのは森先生の温かい目線と熱い筆致があってこそです。

それにしても、歴史の記述が多くは残っていないであろう市井の人々の暮らしを、どうしたらこんなに生き生きと描けるんでしょう。どんな言語でどんな資料を読んで、どうやって取材をされているのか……森薫という作家の想像力を支えているものについても知りたくなってしまいます」

『乙嫁語り』 森 薫 著
Ⓒ森薫/KADOKAWA

双子の姉妹ライラとレイリは、幼なじみの兄弟と結婚する。長時間の結婚式を抜け出して歌い踊る4人。(5巻p.73より)

そんな群像劇を彩るのが、布、刺しゅう、針仕事、工芸品の圧倒的な描写だ。

「身につけるもの、床に敷くもの、眠るときにかけるものまで、生活の空間に置かれる布や刺しゅうを女性たちが自分の手で作る。嫁入り道具も長い時間をかけて準備するんですね。アミルの婚家で代々縫われてきた布が披露される場面が2巻にあります。母、祖母、曽祖母、さらにさかのぼった先祖が考案し、受け継いできた数々の柄。布を広げ、女性たちがそれを眺めながら昔語りをするのですが、恐ろしいほどに緻密な描写に目を奪われます。これはもう、僕らが着ている衣服とは別物ですよね」

《ふんだんに刺繍の施された布は 時に貨幣以上の価値を持つ 作り手の社会的地位と帰属を表し その人となりを物語る 特別な1枚は特に念入りに仕上げられ 受け継がれるその家独自の紋様には 気が遠くなるほどの時間と手間と そして思いと祈りが込められている》とは、作中のスミスによる記録。

「こんなふうにして、夫や子ども、家族への愛情が、伝統や家の歴史と一緒に織り込まれて手渡されていったんですね。『乙嫁語り』を開くたびに、読んでいるこちらまで宝物をもらったような気持ちになります」

林士平プロフィール画像
マンガ編集者林士平

マンガ編集者。「少年ジャンプ+」の人気作品、新連載や読切も担当。『ぐびちび』『セイレーンは君に歌わない』『FIRE BALL!』『おぼろとまち』など担当作の単行本化も続々。「『森薫拾遺集』も愛読しています」

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