さらなる高みを目指して、 逆境をも突き進む! 車いすバスケットボール/財満いずみさん【パラアスリートが見つめる未来 vol.15】

SPUR6月号 財満いずみ 車いすバスケットボール

17歳のときに初選出されて以来、車いすバスケットボール女子日本代表の貴重なローポインター(障がいの度合いが重いクラス)として遺憾なく力を発揮している、財満いずみさん。そんな彼女がバスケットボールに出合ったのは、小学4年生の頃だった。

「一つ年上の姉の影響を受けて、ミニバスケットボールを始めました。でも、1年もしないうちに先天性の病気が進行し、手術をすることに。その結果、下肢の運動機能を失い、小学6年生から車いすでの生活を余儀なくされました。すぐには車いすでの生活を受け入れることはできなかったです」

当時、複雑な思いを抱える中でもバスケットボールから離れることはしなかった。

「中学ではバスケ部のマネージャーをしていました。その頃に『リアル』というマンガを読んで、車いすバスケの存在を知りました。そして、地元で開催された車いすバスケの大会を観て、やってみようと。車いす生活になってできないことが増えた中で、逆にできることが見つかり、すぐにのめり込んでいきました。やっぱり私はバスケが好きなんだ、と実感しました」

いざやってみると激しいぶつかり合いで転倒も多く、想像以上にハード。競技用車いすを乗りこなすことも容易ではなかった。

「障がいの程度によって、腹筋や背筋を使える選手もいますが、私はほぼ腕のみ。思うように体を使えるまでには、かなり時間がかかりました。最近では、腹筋の上の筋肉を少し動かせることがわかり、トレーナーさんと一緒に鍛えています。この2、3年で改めて競技に対する探究心が増して、面白さを日々感じています」

SPUR6月号 財満いずみ 車いすバスケットボール

そうして数多くの試合を経てパワーアップした彼女は、さらにストイックなマインドに。

「東京2020パラリンピックで先輩が戦う中、ベンチから声を出すことしかできず……。 次こそは私たちがメダルを取り、先輩にかけてあげたいという思いに」

さらなる競技力の向上のため、2022年から男性選手で構成される埼玉ライオンズに移籍した。

「こてんぱんにしてもらえる環境に身を置き、仕事やプライベート、人生のすべてを競技に捧げてきました。正直、しんどい時間もありました。パリパラリンピックでは結果こそ出なかったけど、得たものはすごく大きく、選んだ道は正しかったと感じました。障がいを完全に受け入れられたわけではないですが、車いすバスケで高みを目指したり、取材してもらえたり、車いすでの生活を通して広がった世界があります。そんなとき、今まで心折れずに前進し、逆境を選んできてよかったと思えるようになりました」

財満いずみプロフィール画像
財満いずみ

ざいま いずみ●1996年12月4日、山口県生まれ。生まれつき背骨が曲がる脊椎側弯症を患い、その手術の後遺症が原因で小学6年生から車いす生活となる。バスケ部のマネージャーを経て、中学2年時に車いすバスケットボールを始め、2014年の世界選手権で日本代表に選出。東京2020パラリンピックから2大会連続で日本女子代表として出場を果たす。株式会社IHIに所属し、女子チームのWing、男子チームの埼玉ライオンズで練習を積んでいる。

財満さんを読み解く3つのS

Smile

同じチームに所属する古川諒選手にいつも笑わせてもらっています。たとえば、ネガティブな話をしたあとに「ところで……」と異なる話題をすぐに振ってくれて、面白い話で笑顔にしてくれるんです。悩み事も相談しやすいユーモアあふれる先輩から元気をもらっています!

Sleep

遠征先でも快眠できるタイプなんですが、​​寝る直前に練習の振り返り動画を見てしまうと、熱くなって寝られなくなることも(笑)。なので、最近は夜に動画を見ることは控えて、しっかり8時間ほど睡眠時間を確保し、朝起きてから確認するようにしています。

Society

東京2020パラリンピック以降、街中で手助けをしていただけることが増えました。手の届かない商品を取ってもらったり、声をかけてもらったり。車いすユーザーを身近に思ってもらえているのかもしれません。生活がしやすくなり、ありがたいなと感じています。

 

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