車いす陸上界のトップランナー・鈴木朋樹さん。まだ得ぬ色のメダルを目指して

パラアスリートが見つめる未来 vol.23

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車いす陸上/鈴木朋樹さん「強みを伸ばし、まだ得ぬ色のメダルを目指す」

SPUR2月号 鈴木朋樹 車いす陸上

鈴木朋樹選手は、トラックレースを軸にキャリアを築きながら、近年はマラソンにも挑み続ける国内のトップランナーだ。

「生後8カ月で交通事故に遭い、物心がついたときにはすでに車いす生活に。地元にはパラスポーツに取り組める環境がなかったのですが、両親が見つけてくれたのが横浜の車いすスポーツクラブでした。月2回、往復4時間の送り迎えをしてもらっていました。それが陸上競技との出合いです」

着実に力をつけ、中学では日本代表としてアジアの舞台に立つまでに成長。しかし高校では、通学事情から競技を中断することに。

「熱が冷めたわけではなく、向き合える環境がなかった。でも高校3年で進路を考えたとき、“自分の原点は陸上だ”と改めて思い、大学で競技を再開。パラリンピックを見据えていました」

SPUR2月号 鈴木朋樹 車いす陸上

写真:長田洋平/アフロスポーツ

現在はトラックの中距離やマラソンで結果を残している鈴木選手だが、陸上を始めた当初は100mからだったという。

「自分の適性を感じ、中距離・マラソンへ移行しました。距離が長い分、後半に追い上げる余白がある。それが好きなんです。ただ、同じ陸上競技でもトラックとロードでは感覚がまったく違います。アスファルトの道路はタイヤが転がりやすく、トラックはゴムなので負荷がかかる。最近はどちらも高速域を維持する力が求められ、ベーススピードが高くないと話にならなくなってきています」

極限のスピードの中で競い合うレースは、常に恐怖と隣り合わせ。

「ボストンマラソンの下りは時速80㎞ほど出て、体感は100㎞超え。競技用の車いすは三輪なので、少しでも操作を誤ると転倒しますし、骨折で済めばまだいいほうです。転倒経験があると、どうしても怖さからブレーキをかけたくなることもあります。そんなときは“自分のラインを走れていれば大丈夫”と言い聞かせながら、走っていますね」

パリ2024パラリンピックで悲願のメダルを手にした今、競技そのものを未来につなぐ使命感も抱く。現役として走りながら、若手を集めた自主合宿も続けている。

「同じ空間で練習すると、若手は一気に伸びるんですよ。自分もそうやって育ててもらったので、次の世代に返したい。自分だけ強くても、先が続かないので。“鈴木朋樹みたいになりたい”と思われる存在でいたいです」

そしてロサンゼルス2028パラリンピックを見据える。

「残るメダルは金か銀。自分の強みを飛び抜けさせないといけない。でも焦らずに、階段を一段ずつ上っていきたいです。やるべきことを積み重ねていけば、きっと近づけると思っています」

鈴木朋樹プロフィール画像
鈴木朋樹

すずき ともき●1994年6月14日、千葉県生まれ。生後8カ月の頃に交通事故で脊髄を損傷し、車いすユーザーに。両親のすすめで、中学から本格的に車いす陸上競技を開始。T54クラスで中距離からマラソンまで幅広く挑戦し、東京2020パラリンピックは、4×100ユニバーサルリレー、パリ2024パラリンピックではマラソンで銅メダルを獲得。2025年の東京マラソンでは1時間19分14秒の大会新記録で優勝を飾る。トヨタ自動車に所属。

鈴木さんを読み解く3つのS

Smile

遠征続きの日常を離れ、日本にいられる週末は、妻や友人とキャンプに行く時間が至福。現地のスーパーで買った食材を焚き火で調理して味わうと、格別なんです。自然の中でデジタルデトックスでき、リフレッシュした気持ちで競技に専念することができています。

Sleep

普段から夜9時前に就寝し、9〜10時間しっかり眠るのがルーティンです。自分の体に合うマットレスや、睡眠の質を高めるといわれるメラトニンを含むタルトチェリーのドリンクを摂り、寝る2時間前からブルーライトを避けるなど、入眠環境にもこだわっています。

Society

幼い頃から障がいがあってもここまでこられたのは、スポーツの力のおかげだと思います。大会やメディアを通じて、僕のように挑戦する子どもが一人でも増え、どんな世界でも生きていけると知ってもらえたらうれしい。それが自分の歩みの意味につながっています。

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