デフ水泳・茨隆太郎さん。さらなる高みを目指し、6度目のデフリンピックへ

パラアスリートが見つめる未来 最終回

パラアスリートが見つめる未来 最終回

デフ水泳/茨隆太郎さん「さらなる高みを目指し、6度目のデフリンピックへ」

SPUR3月号 デフ水泳の茨隆太郎さん

15歳で初めてデフリンピックに出場してから16年。競泳男子の日本代表として臨んだ5度目の大会は、茨隆太郎選手にとって、東京で迎える初の自国開催だった。

「掲げていた目標は、金メダルを6つとることと、累計メダル数で日本人最多を更新することでした。結果は金3、銀3、銅1の計7個。金メダルの数は目標に届かなかった悔しさはありますが、メダル数は通算26個と記録を更新できて、素直にうれしかったです」

東京での開催決定から本番までの3年間は、決して平坦な道のりではなかった。

「実は、2022年のブラジルデフリンピックが終わったあと、年齢や体力のことも考えて競技を続けるか悩んだんです。でも、次は日本で開催されると決まった瞬間に引退は撤回しました。これまでお世話になった方々に、いい泳ぎを見せたいという気持ちが強くあって。ただ、5度目の挑戦はこれまでで一番プレッシャーを感じた大会でもありましたね。思うようにいかない時期もあり、そのたびに監督やコーチと話し合って、今できることを一つずつやるしかないと自分に言い聞かせていました」

デフ水泳の茨隆太郎選手

写真:岸田 修

会場は江東区の東京アクアティクスセンター。試合で何度も泳いできた見慣れたプールだが、まったく違って見えたという。

「会場は同じなのに、観客の多さや熱気で空気が違いました。日本代表として立っているという意識もあって、いつも以上に緊張もしましたが、自分の力に変えられたと思います。客席で家族や友人、学生時代から支えてきてくれた人たちが見守る中、泳ぎを通して感謝を伝えられた感覚がありました。すごく特別な体験でした」

彼が泳ぎ続けてこられた理由を振り返ると、幼い頃に出会った指導者の存在に行き着く。

「練習メニューを紙に書いて渡してくれたり、みんなで話した内容を後から伝えてくれたり。あのとき親身になってもらえなかったら、ここまで競技を続けてこられなかったと思います。一方で今も、教え方がわからないという理由で、聞こえない子どもたちが習い事を断られてしまう現実があります。筆談でもスマホを使っても、口の動きをゆっくり見せるだけでもいい。教え方やサポートの方法はいくらでもあると思っています」

4年に一度の大舞台を終えた直後でも、視線はすでに次へ向く。

「目標はデフリンピック6大会連続出場。その先にはメダル獲得と、7大会連続出場も見据えています。さらに、聞こえる人たちの最高峰である日本選手権水泳競技大会の標準記録突破にも挑み続けたい。競技を続けていき、自分の泳ぎや経験で、誰かの背中を押す存在になれたらうれしいです」

茨隆太郎プロフィール画像
茨隆太郎

いばら りゅうたろう●1994年2月14日、東京都生まれ。3歳で先天性感音難聴と診断される。両親のすすめで3歳から水泳を始め、小学6年生頃から本格的に競技に取り組む。着実に実力をつけ、15歳で2009年台北デフリンピックに初出場し、200メートル背泳ぎで優勝。以降、2025年までに5大会連続でデフリンピックに出場し、通算26個のメダルを獲得。SMBC日興証券株式会社に所属。

茨さんを読み解く3つのS

Smile

練習でどんなに疲れて帰宅しても、2歳の息子の笑顔を見ると癒やされます。週に一度のオフは、妻と息子と外へ出かけて、旅やドライブを楽しむようにしています。トレーニングから少し距離を置くことで、また前向きに競技に取り組むことができます。

Sleep

早朝と夜の練習が続くので、夜にまとまって眠れる時間は短め。そのため昼寝も取り入れる工夫をして、1日トータルで7〜8時間は寝ることができるように。就寝前の30分は、ストレッチをしながら体の調子を確認。それが翌日のいい動きにつながっていると思います。

Society

日本代表として16年間活動する中で、競技環境は少しずつ整ってきたと思います。それは、先輩たちが切り拓いてきた道があったからこそ。次は自分がロールモデルとしてより高みを目指し、聞こえない子どもたちが夢を追えるよう選択肢を広げていきたいです。

スポーツに関する記事はこちら