2015.08.04

夏服と「さようならコロンバス」 

 朝、袖を通したばかりのシャツが駅に着く頃には汗でぐっしょり。この猛暑には、そろそろ本気で怒ったほうがいい。昔から夏は暑いに決まってると思ってるかもしれませんが、それは違います。日本の夏がこんなに過酷になったのは1994年から。
 1994年より前に最高気温が35度を超える「猛暑日」はそれほど多くありませんでした。小学校の夏休み、虫を採りまくっていたときも暑かった。中高生の夏、炎天下のグラウンドでボールを追っていたときも暑かった。しかし今にしてみれば当時の気温はたいしたことなく、日本の夏はのんびりウォーミングアップしていた程度。でも1994年は違った。きっちりアップを仕上げた夏は、1994年に突如フルスロットルで暑さを発揮。東京は最高気温39.1度、47日間ぶっ通しで熱帯夜が続くという観測史上2番目の暑さ。その後も夏は勢いを緩める気配もなく、以来20年間、猛暑年ではないのは3年ぽっち。1994年を境に日本の夏は確実におかしくなってしまいました。

 そんな1994年の夏、自分はどんな服を着ていたのか。実はスーツを着込んでネクタイをきっちり締め、汗ダクダクで街を歩いていたのです。当時は大学四年生で、出版社を回って就職活動中。リクルートスーツはネイビーの三つボタン段返り。シャツは白のレギュラーカラー、ネクタイはレジメンタルとソリッド系を数本。ファッション的に攻めた部分はまったくないものの、少しでも上等に見えるよう、毎日エアコンのない下宿でスーツやシャツにスチームアイロンをかけ、靴もピカピカに磨いていました。
 就職活動のかたわら読んだのがフィリップ・ロスの小説『さようならコロンバス』。この本を手に取った理由は、当時第一志望の会社だった集英社の文庫だったから。そして、暑い夏の話だったから。プールで偶然出会った可愛い女の子に電話をかける主人公。彼女とつきあい出して、夏の間中楽しんで、でも何かしっくりこない。やがて決定的にもめて…、というお決まりのコース。調子に乗ったカップルの軽率さは、当時の若い自分にとってさえ読んでてイライラするもんでしたが、やはり彼らはあっという間に別れてしまう。うん、俺は最初からそうなると思ってたよ!と小気味いい気分を覚えつつ、最後にはシャツの背中に汗がにじんでいくようにじんわり広がる失恋の苦みを追体験してしまう…… そんな青春恋愛小説。
 この本は映画化もされていて、女優アリ・マッグローが水着からサマードレスまで、可愛い夏服を代わる代わる着ています。フェイバリットスタイルは、オックスフォードシャツ&ショートパンツが全身白のテニスルック。シャツのサイジングはゆったりめ、袖のロールアップはけっして「無造作」ではなく、肘の上の位置まで丁寧に折り返している。プチブルの娘というキャラクターにぴったりで素敵です。

 さて、とびきり暑かった1994年の夏から20年以上が経ちました。最近、夏によく着るのはスタンドカラーのシャツ。写真の二枚はパリのマレにあるLEMAIREのショップで買ったもの。白はカフタン風ロングシャツ。グレーは衿が取り外しできるクレリックタイプ。着ていて楽なスタンドカラーは大好きで、これらの他にもスーツ用にロイヤルオックスフォード地とブロード地のスタンドカラーシャツを、それぞれオーダーで誂えました。襟がないからネクタイもボウタイも結べない。だから涼しくっていい。就職活動中の殊勝な気持ちはどこへやら。毎日アイロンや靴ブラシと格闘することもなく、完全に猛暑に屈する形で、エフォートレスな、要するにちょっとダラケた夏服にすっかり甘えてしまっています。

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