川久保玲と山本耀司に先んじること10年、世界のファッションの常識を覆し、デヴィッド・ボウイとともにグラムロックの美意識を形づくったデザイナー。山本寛斎のクリエーションが今、改めて注目されている。
日本のファッションデザインについて語るとき、山本寛斎の名前はすぐに出てくるわけではない。ヤマモトと言えば、最初に思い浮かぶデザイナーはヨウジだ。山本耀司は、コムデギャルソンの川久保玲とともに80年代初期のパリで活躍し、西洋の着こなしの概念をひっくり返したことで知られている。
だが、最初にそれをやったのは寛斎だった(紛らわしさを避けるためだろう、彼は名字の「山本」よりもファーストネームの「寛斎」で呼び習わされることが多い)。彼がロンドンでショーを開催したのは1971年。川久保玲のコムデギャルソンや、もうひとりの山本であるヨウジヤマモトのパリデビューよりちょうど10年早かった。そして、過剰ともいえる色とプリント、アジアのアートからの引用といった彼一流の美学は、今日のデザイナーたちに多大な影響を及ぼしている。
寛斎の名前を知らない人でも、彼のつくった服は見たことがあるはずだ。ほかでもない、デヴィッド・ボウイが着ている姿で。ざらついた化学繊維や高光沢のシルクを使い、違和感のある色使いで不協和音を奏でる彼の服は、けばけばしく、不快な気分にさせられるほど。構築的でアブストラクト・アートのようなシルエット(実用性など知ったことか!)は、スタジアム・ライブのステージで着たら映えそうだ。それこそが、最初にボウイを魅了したそもそものポイントなのだろう。1972年の『ジギー・スターダスト』ツアーから、ウィメンズウェアのコマーシャルラインとして発表された寛斎の服を着始めたボウイは、その後、彼にステージ用衣装の制作を依頼するようになった。
山本寛斎は、グラムロックの美意識を形成する一助となった日本人デザイナーだ。その特徴として挙げられるのは、カラフルな色使い、強く生き生きした装飾、ドラマティックなシルエット。現在73歳の寛斎は、今でも新たなデザインを生み出しつづけている。そして彼の美学は、2017年の今、改めて新鮮に目に映る。ロンドンでの最初のショーを受けて、イギリスの『ハーパース・アンド・クイーン』誌は、1971年7月号の表紙に彼のデビュー・コレクションを使用し、誌面でも特集した。撮影は与田弘志、モデルはブリット・マグヌソンとマリー・ヘルヴィンが務めた。(続きを読む)
SOURCE:「Fashion’s Ultimate Fantasist Makes a Comeback」By T JAPAN New York Times Style Magazine
T JAPANはファッション、美容、アート、食、旅、インタビューなど、米国版『The New York Times Style Magazine』から厳選した質の高い翻訳記事と、独自の日本版記事で構成。知的好奇心に富み、成熟したライフスタイルを求める読者のみなさまの、「こんな雑誌が欲しかった」という声におこたえする、読みごたえある上質な誌面とウェブコンテンツをお届けします。