今、ファッションを通じてウクライナのためにできること

今回のパリ・ファッションウイークで最も感動を呼んだのは、言うまでもなくバレンシアガのショーでした。3月6日、パリ郊外ブルジェの会場に向かう道中、フランスやスイスのジャーナリスト仲間と@demnagram(デムナのサポーターのアカウント)の最新投稿を見て、デムナが一時はショーのキャンセルも考えたこと、しかし「自分の一部を無意味で無情なエゴの戦争の犠牲にすることはもうできない 」という思いからショーを決行することにした経緯を知り、緊張しながら会場に到着しました。

ジョージア出身のデムナは、実は30年前に今のウクライ人のように、ロシア軍の攻撃によって祖国を追われ(1993年のアブハジア戦争)、避難するために歩き続けるという経験をしています。そして“歓迎されない難民”としてのトラウマが、この機に蒸し返されて大きな苦痛を感じている。しかも10歳あまりの彼がやっと落ち着いて2年間を過ごしたのは、外でもないウクライナ南部のオデッサ。今季、多数のメゾンがウクライナへの道徳的、経済的サポートを示していますが、個人的な経験と痛切な思いから表現されたデムナのショーが、何にも代え難いのは明白でした。

一歩入ると、真っ暗な会場から浮かび上がったのは、青と黄色。ウクライナ国旗色のオーバーサイズTシャツが、各シートに置かれていたのでした。30分ほど遅れてショーが始まると、まずは暗闇の中、デムナによるウクライナ語での詩の朗読。前世紀に第一次、二次大戦を生き抜いたウクライナの作家、オレクサンダー・オレスによる詩について特に翻訳は発表されませんでしたが、ちょうど隣に座っていたウクライナ語もわかるロシア人の友人によると、ウクライナ国民に「強くあれ、愛を信じよ」、と呼びかける言葉だったそう。そしていきなり360度の円形状の会場にライトがともされると、客席とランウェイを区切る防護ガラススクリーンの向こうは、真っ白の雪景色。ドヴォルザークの哀愁漂うピアノ曲が響き渡る中、(人口の)吹雪に向かって歩を進めるのは、ゴミ袋(実はレザーの新作バッグ)を持ったモデルたちです。見る者の涙を誘う演出の中、ウエストにはベルト代わりにBalenciagaのロゴのガムテープを巻いたコートをはじめ、ワードローブの新しいアイディアも見え隠れ。最後は閃光がきらめくと再び会場は暗闇に戻り、フィナーレもデムナの挨拶もなく、ショーは終わりを遂げました。

一方、私のウクライナ人の友人たちはキエフで、街に残っている人々のために救援物資を配るボランティア活動を続けています。中でも、コロナ禍以前はパリのファッションウィークでショーを開いていたアントン・ベリンスキーは、彼のベストセラーだった祖国のパスポートと「Free Ukraine」と言うメッセージがプリントされたTシャツを、032cとのコラボで増産。売り上げは100%、Deutsches Rotes Kreuz、Nothilife Ukraine、そしてVoices of Children といった3つの機関に寄付されます。しかしこのTシャツは売り切れになってしまったため、オープン・ソースといってオリジナルデザインのための持ち込み画像も受付中。私は彼とは時々連絡を取り合っているのですが、レジスタンスのためのバラクラバ、保温アンダーウエア、ジャケットなどのラインも企画し、資金集めに奔走中だとか。また爆撃による煙が野原の向こうにくすぶる様子を収めた彼の写真は、カメラマンの友人ニキタ・セレダのプリントと共に、neuworkshopなるリサーチ団体のサイトでチャリティ販売中。(3月31まで。詳細はサイトにて)。ファッションという表現方法やネットワークがあるからこそできることは、まだまだありそう!アンテナを張って、自分にあった方法でウクライナを支援し続けましょう。

Text: Minako Norimatsu

 

ファッション・ジャーナリスト 乗松美奈子プロフィール画像
ファッション・ジャーナリスト 乗松美奈子

パリ在住。ファッション業界における幅広い人脈を生かしたインタビューやライフスタイルルポなどに定評が。私服スタイルも人気。
https://www.instagram.com/minakoparis/

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