正真正銘、【エルメス】の初代バーキン バッグの秘話を教えます!
エルメスのバッグ、アイコニックな逸話
エルメスにはいくつかの逸話があります。そのひとつは、グレース・ケリーが1956年にモナコ公国に嫁いだ数ヶ月後に、オータクロア(乗馬用の鞍やブーツを入れる元祖トートバッグ)を原型とするエルメスのハンドバッグでベビーバンプを隠したこと。「ケリー・バッグ」なる命名は、それにちなんでの公妃へのオマージュでした。ケリーと並んでアイコニックなのは、言わずと知れたバーキン。ドラマ「Sex and the City」でのサマンサによる「これはバッグじゃないわ、バーキンなのよ!」との台詞に象徴されるように、バーキンにはモノとしてのバッグ以上の価値があります。ケリーよりもさらに、ダイレクトで運命的な誕生秘話故に。
ジェーン・バーキンによる、機上でのスペシャル・オーダー
1983年にパリからロンドンに向かうフライトで、ファーストクラスにアップグレードされたジェーン・バーキンの隣に座っていたのが、当時のエルメスの会長、ジャン=ルイ・デュマ氏(2006年に他界)でした。私が大好きなジャーナリスト、Luke Leichが2012年にジェーン・バーキンから直接聞いたという話によれば、この少し前にジャック・ドワイヨン(映画監督。既にセルジュ・ゲンズブールと別れていた彼女の新しいパートナーで、ルー・ドワイヨンの父)が、彼女のトレードマークであるバスケットを壊したばかり。それで別のバッグを使っていたところ、バッグから中身が散乱したのです。「あなたにはポケット付きのバッグが必要ですね」とコメントした氏に向けて彼女が漏らした言葉はこうでした。「理想のバッグをエルメスが作ってくれたら!」。
氏は自己紹介し、エルメスで彼女のニーズに見合うバッグを作ることを約束。彼女は“ケリーより大きくて、セルジュのスーツケースより小さい”サイズを希望しつつ、席の備品であるエチケットバッグに簡単に描いたスケッチを渡したのでした。翌年仕上がったボックスレザーのバッグはしなやかで、たくさんものが入る直方体、ポケット付きでセリエステッチが施され、フラップの縁はアスティカージュ(ロウどめ)と言う逸品。これを早速購入しようとブティックに出向いた彼女に、バッグと引き換えにとエルメスがリクエストしたのは、名前の使用許可でした。
無造作な使い方で年季が入った、歴代バーキン
去る7月に惜しまれつつ76歳で他界したジェーン・バーキンのスタイルでは、服や小物の無造作な扱いが魅力です。それ以降彼女が所有した、いずれも黒のカーフの5つの歴代バーキンは、シールやチャームでパーソナライズされたり、角が擦り切れていたり。俳優・シンガーとしてだけでなく、ヒューマニティの活動でも知られる彼女がバッグに貼り付けたシールは、主にユニセフや国境なき医師団など、自身が支援する慈善団体のものでした。また彼女は、エルメスから提案された名前使用のロイヤリティを慈善団体に寄付し続けたそう。バッグ自体もさまざまなチャリティに寄贈し、中には東日本大震災の援助基金になったものもありました。
ヴィンテージ・ショップ、Les Trois Marches de Catherine B
ところで、バーキン初代は今どこにあるのでしょう? 20年余り前、この余りにアイコニックなバッグの所有者となったのは、パリのカトリーヌ・ベニエ。サンジェルマン・デプレにある小さなヴィンテージショップ、Les Trois Marches de Catherine Bのオーナーです。生粋のパリジェンヌである彼女の趣味が高じてこのブティックをオープンしたのは、1994年。歴史とサヴォワフェール、メイドインフランスにこだわり、シャネルとエルメスのみを扱っています。9㎡と狭い店内のディスプレイは少数精鋭で、店頭にはバッグが30点ほど、スカーフは50〜100点。
「委託ではなく、いいと確信したものは買い取るんです。仕入れ先は主に個人なので、いつ何の機会に買ったかなど、エピソードも聞ける。だからどのバッグにも愛着があるんです」。こう語る彼女は、各アイテムの特徴やクオリティについてとても細かく語ってくれます。そんな知識をどこで得たのか、とたずねると「独学で。パッションを教えてくれる学校はないでしょう?」と、カトリーヌ。「パリス・ヒルトンからクリントン夫人までセレブの顧客もいますが、誰にも同じように接し、有名人のサインや写真を求めることはありません。デュマ氏も来たんですよ。確か1995〜96年頃です。私は誰だかわかっていなかったのですが、彼と入れ違いに入ってきた顧客が教えてくれて」と、カトリーヌは笑います。そんな彼女に運命的な出合いが訪れたのは、2000年のことでした。
初代バーキンとの、運命の出合い
「初代バーキンは、ジェーン・バーキン自身がAIDS救済チャリティのために1994年にオークションで売ったと聞いていましたから、まさかまた市場に出るとは思いもよりませんでした。ある日、パリのオークションハウスの友人からぜひ見せたいものがある、と連絡があったんです。興味本位で行ってみると、セーフティボックスから姿を見せたのは、幅35cm、金具がゴールドの幻のバーキン! JBイニシャルの刻印が明らかで、証明書付きなのはもちろんですが、ストラップ付きはこの初代だけであることを知っていたので、すぐに認識しました」。そして意志を固めたカトリーヌは、身元が割れないように電話でオークションに参加し、釣り上る値段にも食い下がってついに憧れの品を競り落としたのでした。
ミュージアム・ピースとなった初代バーキン
こうして初代バーキンを手に入れたのは、バイヤーやセラーではなく、コレクターとしてのカトリーヌ。“今後どうするかはわからない”とは言いつつ、店頭ではなく安全な秘密の場所に保管している宝物を、当面は手放す意図は無いそうです。ただし企画に賛同できれば公開のリクエストに応じることもあり、最初は入手と同じ年に、百貨店ギャラリー・ラファイエットで開かれた初のヴィンテージの展覧会に出品。続いて2014年にロンドンのリバティで展示した際には、「リアーナから専属スタイリストを通じて、いくらでも出すから買いたいとの連絡が来ましたが、丁重に断りました」と、カトリーヌは回想します。その後、2017年にはニューヨークのMoMAでの「Items: Is Fashion Modern?」展、2021年にはロンドンV&Aでの「Bags: Inside Out」展も、一般ビジターが初代バーキンを拝められる機会となりました。
バーキン・バッグ、フォーエバー!
ジェーン・バーキンは近所に住んでいたため、犬の散歩も兼ねてブティックの前をよく通っていたとか。彼女が初代バーキンの行方を知っていたかどうかは定かではありませんが、ウインドウを飾るバッグは目に入っていたはず。しかしプライバシーを重んじるカトリーヌは、バーキンについて切り出すことはありませんでした。彼女は「犬や天気について、近所付き合いのおしゃべりを時々していました。とても感じのいい人でしたね」と、故人を偲びます。ジェーン・バーキンがこの世を去っても、ミュージアム・ピースとしてのバーキンと、その伝説は永遠なのです。
Les Trois Marches de Catherine B
1, rue Guisarde 75006 Paris
パリ在住。ファッション業界における幅広い人脈を生かしたインタビューやライフスタイルルポなどに定評が。私服スタイルも人気。
https://www.instagram.com/minakoparis/