「ハンコください」というお菓子が子どもの頃にありました。クラッカーの柄にチョコレートがついていて、チョコ部分にいろいろな苗字や名前が書かれているハンコ風のお菓子。シガレットチョコのようにちょっとしたオトナ気分が味わえるという代物です。珍名に分類される自分の苗字こそありませんでしたが、幼心に「ハンコ=オトナ=カッコいい」という図式が刷り込まれたのは、このお菓子のためだと確信しています。
時は流れ、リアルな大人になり「ハンコ=業務」と図式は上書き。幼いトキメキをすっかり忘れていたのですが、この夏とてもワクワクして「ハンコください」と口にする出来事があったのです。
写真は本誌9月号でも注目の新刊として取り上げたアンソロジー『小説の家』の奥付です。著者検印にあたる部分には空白のマス目。これは何だろう?と不思議に思っていたら、出版記念のトークイベントで判明しました。
トークショー終了後にサイン会ならぬ「ハンコおし会」があり、イベントに参加した作家陣にハンコをおしてもらえるという驚きの展開が。編者の福永信さんによると、そのイベントに限らず、この本を持っている限り著者に出会ったら「ハンコください」とお願いできる仕組みなのだとか。『小説の家』は初出が「美術手帳」で、アート・ビジュアルと小説が一緒になって楽しいことをしている実験的かつユニークな本なので、ハンコおしはその内容にぴったりの試みです。
いつかバッタリ出会ったときに、こちらは本を持っていて、相手はハンコを持っている。「ハンコください」。そんな奇跡があるかないかはさておき、そのための空白を手元に置いておけるのは、なんとも魅力的だと思います。
日々、モード修行中。メンズとレディースを行ったり来たりしています。書籍担当。どうぞよろしくお願いします。