坂本龍一さんと、「音楽を聴く」こと

「音楽を聴いているようで、聴いてない」。

ここ十年ほど、そんなことばかり。今音楽をかけていたはずなのに、どんな音だったか全く思い出せない。iPhoneでどこででも気軽に音楽を流すことはできますが、何かをしながら聴くということが殆ど。諸事情でライブに行くことも滅多になくなった今、「音楽をちゃんと聴いているか」と訊かれるとあやしいものがあります。

そんな折、こんな機会がありました。坂本龍一さんのニューアルバム「async(アシンク)」をものすごくいいスピーカーで聴く。場所はワタリウム美術館。もう少しちゃんと説明すると、5.1chサラウンド仕様にミックスされたアルバムの曲を、教授おすすめのムジークエレクトロニクガイザイン製スピーカーを通して、高谷史郎さんの映像を観ながら聴くというインスタレーションです。

↑8年ぶりのオリジナルアルバム「async」。CDとアナログ盤両方あります。

ムジーク何某とは? と思い少し調べてみると、1960年に旧東ドイツの小さな村で設立された会社。「スピーカーを通して聴いていないかのように音が聴こえる」究極のスピーカーを作ることで知られています。旧東ドイツというタームに、「David Bowie is」の記憶も新しい自分はピンと来るものがありました。

とはいえ何もせずにじっと音楽を聴くなんて、ここ最近ずっとしていないし正直なところ自信がない。教授の音楽を前に失礼極まりないですが、そんな心境のままインスタレーションはスタート。ピアノやシンセサイザー、パイプオルガンが鳴らす音楽にまじってところどころ、弦のようなものをはじいたりこすったりする音、葉っぱがカサコソ言う音、詩を朗読する声が頭の右上からすると思ったら今度は左前から……といった具合で聴こえてきます。高谷さんの映像が流れていますが、映像がなくても頭の中に世界が描けるかもしれない。そんな「立体的な」音楽なのです。というか、音と向き合うのが心から楽しい。

記者会見によると「async」は、教授の「自分が心底聴きたい音がつくりたい」という試行錯誤から始まりました。まず教授は「ものの音が聴きたい」と思い立ち、色んなものを買ってきてはたたいたりこすったり。そのうち「音だけじゃダメだ」と思うに至り、「純粋に音楽を聴きたい」という気持ちがムクムクと生まれてきたそうです。子供のようにまっすぐな好奇心から生まれたクリエーションが、素敵な音体験をもたらしてくれるのかもしれません。

もう一つのポイントは、それぞれの音がバラバラなテンポで鳴っていることです。これは8年前のアルバム「Out of noise」のときから教授がトライしてきたこと。イギリスで5人のアンサンブルにバラバラのテンポで演奏してもらったところ、演奏する方は自然とテンポが”合っちゃう”のでとても大変だったけれども、「これがすごくよかった」ので、今度はオーケストラでやってみたそうです。これがまた「ぐにゃーっとなって、統率できない音の雲のような、一人ひとりが空気の粒のように独立した動きをしていてすごくよかった」とのこと。確かにじっと座って音楽を聴いているだけなのに、新しい世界で何かがキラキラとうごめいているような感覚を味わえます。

「ひとつのテンポ、ひとつのシステムに支配されずひとつひとつの音が個々に存在してほしい」という言葉に、「それは政治的なメッセージでもあるのか」という記者のツッコミが入りました。それに対し、「社会や政治を超える音楽の純粋さを守りたい」と軽やかに返した教授。そう、このインスタレーションはまさに「音楽を聴く」というピュアな楽しさをプレゼントしてくれます。ワタリウム美術館まで足を運ぶ機会のある方は、ぜひ時間をたっぷり取って堪能してみてください。

このインスタレーションを含む「坂本龍一 | 設置音楽展」のフライヤー。

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エディターNAMIKI

ジュエリー&ウォッチ担当。きらめくモノとフィギュアスケート観戦に元気をもらっています。永遠にミーハーです。

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