こちらは八雲町出身の柴崎重行さん作の木彫り熊 木彫り熊、と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか? 私は、「鮭をくわえていて、地元(ど田舎)の親戚の家の床の間に飾らている、なぞの北海道土産」くらいの印象しかありませんでした。けれど一体の熊との出会いで、その凝り固まったイメージがいっきに吹き飛びました。なんとも言えない表情と、背中を丸めたシルエット。柴崎重行さんによるそれ(写真上)は、面彫りと呼ばれる荒いタッチで掘り起こされ、デフォルメされているのに、生き生きとしている。そしてなんとも言えない哀愁を漂わせているような……。「こんな木彫り熊があったのか!」という衝撃とともに、すっかり心を奪われてしまいました。そして「もっと木彫りの熊のことを知りたい!」そんな熱がふつふつと沸いてきたのです。その熱に促されて、先日ついに北海道の八雲町にある「八雲町木彫り熊資料館」まで行ってきました! (写真上・下)八雲町木彫り熊資料館の展示より 八雲町は札幌から特急で約2時間半ほどの町。こここそが木彫り熊の発祥地なのです。木彫り熊資料館は、今ひそかにファンの間で話題の聖地。小さな資料館ですが、そこには作り手によって表情も様々な、喜怒哀楽に富んだ木彫り熊たちのワンダーランドが広がっていました……。そこで学んだことは、木彫り熊とは日本でかなり初期に導入されたペザント・アートへの取り組みの結果だったということ。農閑期の間に農民が観光客向けの民芸品を作ることで新たな産業を興すことと、「美術」という概念を農村に持ち込んで文化的な向上を目指すことを目的としたプロジェクトです。興味深いのは、その立役者となったのが尾張徳川家の徳川義親公だということ。彼がスイスで見かけたペザント・アート作品を持ち帰り、その中にあった木彫り熊を参考にしながら、八雲町で作られれるようになったそうです。八雲町は明治維新後の制度改革で生活の糧を失った尾張藩士たちの集団移住によって開拓が進められた町だった、という歴史も知ることができました。スイスから持ち帰られた様々な作品のうち、どういった経緯で最終的に木彫り熊が選ばれたのか? とか、これまで農業をやっていた人がいきなり木彫りってできたのか??など、個人的にさらに気になることもあるのですが、それはおいおい深ぼりしてみたいと思います。資料館の熊たちをじぃーーっとみてると、当時の開拓への思いや、北海道の大自然の中で暮らす楽しさや厳しさとともにあった、人々の営みがリアルな映画のシーンのように脳内に浮かんできました。 こちらは札幌国際芸術祭で企画されている札幌市資料館の展示より。柴崎さんと同じく八雲町出身で、合作も残している根本勲さんの作 ちなみに今、札幌国際芸術祭では、約200体もの木彫り熊を集めた「北海道の木彫り熊~山里稔コレクションを中心に~」展が札幌市資料館にて行われています(写真上)。八雲町まで行くのがちょっと、という方はぜひ芸術祭期間中に!こちらも必見です。 エディターASADA 主に美容担当。山登りなど自然に触れることが好き。最近は健康とかインナービューティとかいう言葉にめっぽう弱くなりました。 記事一覧を見る