ある秋の夜長、ベッドに寝転びながらファッション誌をめくる。同じページを何度もだ。大学一回生だった。雑誌に載っていたネイビーのコートに一目惚れし、明日買いにいこうと決心していたのだ。価格は55,000円。お年玉とバイト代をかき集めた。
何もついていないシンプルなシングルのコート。肩の大きさ、袖丈のバランス、腰上から微かにAラインで膝まで落ちてくるラインには、もうため息が出る。白のパンツを合わせているモデルは、めちゃめちゃカッコいい。私が着ると膝下丈になるだろうが、構うもんか。とにかくこのコートがあれば、私のワードローブは何段階もランクアップする。なんだったら、私もいきなりランクアップするかもしれない。あーっ、明日はついに私のものだ!
ふと、価格にもう一度目を移す。あれっ……なんだか以前と印象が違う。なんか、おかしいんちゃう……。「あ、これ、550,000円やん」、「ええええええーーーっ!!! ご、ご、ごじゅうごまんえん⁉」
5の後ろにゼロ4つ。やっぱり550,000円。しばらくショックの放心状態……。10分たって、ようやく解せた。「なるほど、これがファッションか……」よく見ると、今の自分にはまだ着こなせない。
それは、ジル・サンダーの比翼のコートだった。雑誌の折り目は、戻さないまま。残念な気持ちは目標に変わった。いつの日かきっと、このコートが似合う女性になろう。
あれから20年。私はまだ奮闘中。ジル・サンダーを買う余裕は無いが、20年分の出会いや経験は、それが似合う女性にまで私を近づけてくれた気がする。今ならきっと着こなせるとは、言えないけれど。ファッションが、少女の大きな目標になる証にはなった。
(京都府 40歳 sei)
※この企画は毎週日曜日20時に公開していきます。次回は6月4日(日)20時公開予定です
日本発のモード誌『SPUR』は参加型の新企画「SPUR ナショナル・ファッションストーリー・プロジェクト」を2016年4月より始動しました。このプロジェクトは、皆様のファッションにまつわるエピソードを、SPURが物語としてまとめていくものです。お寄せいただいたエピソードのうち、こちらのコーナーでご紹介させていただいた方には、同時に掲載する描き下ろしイラストをポストカードにしたものと、iTunesギフト1,500円分を差し上げます。性別や年齢は問いません。あなたのファッションとのエピソードを応募してみませんか? 詳しくは特設ページにて。