ベルギー人デザイナー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクは、アヴァンギャルドなメンズファッションの守護神だ。彼の生みだす世界は、奇異で独創的な魅力にあふれている
パリ11区のバタクラン劇場でコレクション「Wonder」が開催されたのは2019年6月末のこと。地を踏み鳴らしながら舞台に現れたのは、ゲイ用語で熊系(bears)と呼ばれる、ガッチリした体格のヒゲの濃い男たちだ。スピーカーからは、めまいがするようなエレクトロニック・ミュージックのリズムが響きわたる。熊たちは思い思いの形のヒゲを生やし、さまざまな装いで現れた。バイブレーターや雲の形のポケットがついたワイドカーゴパンツに、軽やかなクロッケ(ふくれ織)のブルーやピンクが色鮮やかなブレザー。アシッドピンクや蛍光グリーンがまぶしいPVCのポンチョとスニーカーに合わせた白のハイソックスには「bear」や「pleasure」といった言葉がプリントされている。
デザイナーのウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(彼自身、ガッチリした体つきでヒゲを生やし、シックなサンタクロースといった風貌だ)が舞台に現れ、ショーは終わったかと思いきや、じつはそこからがフィナーレだった。まず熊の一群が登場したが、それより観客の目を釘づけにしたのは、次に現れた別の熊の一団だった。“ここは俺たちの舞台”だと言わんばかりに前面にしゃしゃり出た熊たちは、クロッチに赤い“W”を刺しゅうしたブリーフだけを身につけていた。会場からは拍手が沸き起こり、ショーは幕を閉じた。
40年以上にわたって常識破りの独創的なメンズウェアをデザインしてきたヴァン・ベイレンドンク。現在62歳の彼は、80年代半ばに「アントワープ・シックス」と呼ばれたベルギー人デザイナーのグループのひとりだ。このメンバーの台頭によって、ベルギー第二の都市でしかなかったアントワープが、思いがけずモードの中心地とみなされるようになった。彼は現在、母校であるアントワープの名門校、王立芸術アカデミー・ファッション科の学科長も務めている。クレイグ・グリーン、ベルンハルト・ウィルヘルム、「ベルルッティ」のクリエイティブ・ディレクターのクリス・ヴァン・アッシュなど多くのデザイナーにとってのメンターでもある。また、これまでに同世代のさまざまなアーティストとコラボレーションも行ってきた。
「コム デ ギャルソン」の川久保玲、オーストリア出身のコンセプチュアル・アーティスト、アーウィン・ワーム、フランス人アーティストのオルラン、アイルランドのロックバンドU2、オーストラリアのインダストリアルデザイナー、マーク・ニューソンなどがその例である。
しばしば「前衛的な美学」の旗手と評されるヴァン・ベイレンドンクがキャリアをスタートさせたのは1982年、25歳のときだった。当時のヨーロッパのメンズモード界といえば一般的に、トラディショナルなツィード、ウールやコットンのスーツとセットアップしかなかった。そんななか、従来のマスキュリンでフォーマルなコードを破壊したヴァン・ベイレンドンクはまさにモード界の異端児だった。彼が王立芸術アカデミーで培ったクチュールさながらの技術にかけ合わせたのは、普通はスポーツウェア専用とされるフューチャリスティックな機能素材だ。アナーキスティックなデザインは一見、奇妙に明るくユーモラスで無邪気にさえ見えるが、そのフィルターの下にはBDSM(訳注:隷属、SMなどの異常性愛全般)やパンクカルチャーの陰うつなメタファーがちりばめられていた。
今やファッション業界は数百億ドル産業に成長し、アーティスティックな表現をする場というより、“莫大な利益をもたらす可能性のあるもの”に変わってしまった。だがヴァン・ベイレンドンクはこの時代の流れにあらがう。独創的な感性を保ち続け、妥協やコマーシャリズムとはきっちり距離をおいている。多くのメゾンのランウェイは、挑発的な政治的メッセージや、セクシュアル・フルイディティ、キンク(訳注:性倒錯的な嗜好)やクィア(訳注:セクシュアル・マイノリティの総称)といったテーマを披露する場に変わりつつある。
だが、この傾向は最近広がったものにすぎず、もともとのルーツはヴァン・ベイレンドンクのショーにあるといえるだろう。彼はファッション界の“最後のパンク”だ。妄想に満ち、常識から逸脱したクリエーションは、未来を予見していた。現在のファッションは彼がすでに切り開いた道の延長線上にあるのだ。同じようにメンズウェアのコードを転換したアメリカ人デザイナー、トム・ブラウンはこんなふうに言っている。「僕がブランドを立ち上げたのは2000年の頭。だから斬新なメンズウェアを提案するのは難しいことじゃなかった。一方で80年代の初めに、ウォルター(ヴァン・ベイレンドンク)が成し遂げたことは勇敢だったよ。ああやって新しい地平を開いた彼こそを、真のファッションの革命家と呼ぶべきだろうね。いま活躍しているデザイナーはみんな彼にインスパイアされてきたのさ」
「僕の何を知りたい?」。夕暮れのなか、ヴァン・ベイレンドンクが尋ねてきた。ここはアントワープから車で30分ほどの距離にあるザンドホーフェン村。19世紀に建てられた彼の邸宅はこの村にあり、広大な敷地は野草と老樹で覆い尽くされている。川久保玲とTシャツのコラボレーションをするために、彼はもうすぐ東京に発つそうだ。
1957年、ヴァン・ベイレンドンクは今も暮らし続けるこの小さな村で生まれた。両親は自動車修理工場とガソリンスタンドを経営しており、彼の面倒を見ていたのは主に祖母と一番上の姉だった。12歳でアントワープ南東のリールにある寄宿舎に入ったが、自分の殻にこもり、スケッチしたり日記を書いたりしていたらしい。自分が同性愛者であることに気づいたのは14歳のとき。家族に打ち明けたが大きな波風は立たなかったという。
70年代の初め、「ジギー・スターダスト」というペルソナを演じるデヴィッド・ボウイの存在を知る。羽根のように赤毛を逆立て派手なメイクをし、アンドロジナスでタイトなジャンプスーツ(山本寛斎が協力した)を着たボウイは、彼の脳天を撃ち抜くような衝撃を与えた。蛇のようなボディとスキニーパンツが目を引くイギリス人イギー・ポップ、ワイルドなヘアと太いアイラインが特徴のルー・リードも、上品でブルジョワ的な村に住む“サッカーができないティーンエイジャー”の魂を揺さぶった。彼らのおかげでヴァン・ベイレンドンクはそれまで知らなかった自分のあり方や生き方があることに気づいたのだ。(続きを読む)
SOURCE:「The Last Punk」By T JAPAN New York Times Style Magazine:JAPAN BY THESSALY LA FORCE, PHOTOGRAPHS BY MARK PECKMEZIAN, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO NOVEMBER 20, 2019
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