ヴィンテージのプロに聞く! 目利きが語る「本当は教えたくない」ブランドPart3

時を経るからこそ価値が出る服がある。ヴィンテージを知り尽くした世界中のプロに今、最も市場で注目されているブランドをリサーチ。珠玉の名品が出揃った。

Part 3 エディター成瀬浩子さんに聞くジャパン・ヴィンテージ再評価

日本にも時代を何歩も先取りしていたデザイナーたちがいた。

SHIMURA

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成瀬さんが今も大切に保管するSHIMURAのコレクション。内側に特殊な加工を施したレースのジャケットや、ディオールのニュールックを思わせるジャケットとスカート、バイアス裁ちのピンクのキャミソールドレスを合わせたマスキュリンなロングジャケットなど。90年代はこれを着てパリ&ミラノコレクションなどの海外出張にも出かけたのだそう。

「志村先生は伊東衣服研究所を経て、伊東茂平氏のもとでクチュリエとしての修業を積まれました。その後、NYでアメリカンスポーツウェアを学び、帰国後はご自身の名前で、そごうのオートクチュールとプレタポルテを手がけられました。90年代前半に取材でお目にかかる機会もあり、日本のヘリテージとも呼べる素晴らしい服をコレクションしておかなくてはと使命感に燃えていたんです(笑)。1994年にSPURで特集ページを担当したことも大切な思い出になっています」

Masaki Matsushima

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写真はヴィンテージのジャケット¥24,990/Kissmet

1985年にトキオクマガイに入社し、デザイナー熊谷登喜夫氏の逝去にともない、同社のチーフデザイナーなどを務める。’92年に独立し、パリにアトリエを構え、’95年にはプレタポルテでコレクションデビューする。

「メンズの服は端正な貴公子のようなイメージがありました。たとえ洗いをかけた素材であっても、どこか品があるんです」と成瀬さん。来日時には店舗を訪れていたというレニー・クラヴィッツのワールドツアーの衣装も手がけていた。

KISSA

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スタッフ私物

「当時、靴のデザインだけで勝負していたブランドはほとんどなく、ファッション界でも人気でしたね。デザイナーの高田喜佐さんはインタビューで“靴はファンタジー”と語っていました。ここに、彼女の思いが集約されているように思います。青山のアトリエにリースに訪れると気さくに話しかけてくださって、あの頃はデザイナーと編集者との距離も近かったように思いますね」。

布とゴム底を組み合わせた子どもの履く“ズック”が着想源に。機能美と遊び心が融合したデザインで知られた。

TOKIO KUMAGAI

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「熊谷登喜夫さんは、カステルバジャックやロジェ ヴィヴィエで経験を積んだ後、1981年にパリにギャラリーのような靴のブティックをオープン。その店は、靴好きでもある私の憧れの的でした。数年後、東京で出会ったTOKIO KUMAGAIの靴は、海外の有名ブランドにひけをとらない履き心地と軽さを両立していました」

写真は成瀬さんの私物より。白鳥のストラップが目を引く、お茶目な白いパンプスや、スエードに黒い樹脂で水玉を配したデザインなど先進的なコンセプトを持っていた。

FINAL HOME

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スタッフ私物

1994年に発表されたのはひとつのコート。「人を最後にプロテクトするのは、服になる」という思いから「HOME1」というコートが生まれた。ジップやスナップで仕切られた44個のポケットがあらゆる箇所に配置され、非常食や医療用キットなどを入れておけばこのまま避難着になるというアイデア。

「このブランドは私に“服に何ができるのか”を考えさせてくれるきっかけになりました。デザイナーの考えに共感して服を買う関係が生まれた瞬間でした」と成瀬さんは語る。

アイデアが豊富な日本ヴィンテージの底力

SPUR(以下S)成瀬さんは80年代〜90年代前半の日本ブランドのヴィンテージに注目されているとか?
成瀬(以下N)思い返してみると、その頃の国内外のファッションは黄金時代でした。特に日本では川久保玲さんや山本耀司さんの活躍に続けとばかりに、多様なブランドが生まれていたんです。
S その中から、どのようなブランドに注目すべきでしょうか?
N 自分が服を買うときはトレンドではなく、100年たってもこの服が好きでいられるかという気持ちが重要なんです。そういう視点から選んでみたのですが、私が変わらず好きなのはSHIMURA。
S ’92 年に「毎日ファッション大賞」を受賞した伝説のブランドですね!
N はい。志村雅久先生は生地の落ち感や特性などをすべて把握して、立体裁断で服を作る本当のクチュリエでした。
S 今日、成瀬さんがお持ちになられた私物のジャケットやセットアップは、現在にも通用する美しさですね。
N 志村先生はあらゆるアートに詳しく、とても先見の明を持った方。90年代初めには、これから女性が社会に出て、男性と肩を並べて活躍する時代になるということを見越してデザインされていました。
S 当時の服にしては、肩パッドがないというのも珍しい。
N あの頃はバブル期特有の肩肘はった構築的なデザインが多かったですよね。でもSHIMURAは余計なディテールを取り払っていて、今見てもシックです。
S トキオクマガイの靴はデザインがとても斬新。これ白鳥なんですね。
N 私、面白がりやなので、この人は何を考えてこのデザインにしたんだろうということにもすごく興味があって。登喜夫さんは1984年には樹脂で作られた“食べる靴”シリーズも有名。当時の日本人デザイナーにはいない、独特な発想力で気になっていたんです。
S 服も手がけられていたんですか?
N 男性服はセンシュアルで女性服はストイックなムード。ジェンダーにとらわれず、境界を超える挑戦をされていました。
S そして、そのトキオクマガイでアシスタントを務めていたのが松島正樹さん。
N マサキマツシマはメンズ仕込みのテーラリングが上手で、私が持っていたのはピンタックが入ったシャツ。松島さんはすごくディテールに凝る方で、美は細部に宿るという言葉を思い出させます。写真のジャケットはボディは麻みたいなハリのある素材、アーム部分はウールと季節感と異素材をミックス。でも、シルエットはきれいに作られていてさすがです。
S KISSAの靴は、今っぽいですね。
N 80年代、街ではオフィスで働く女性たちはみんなパンプスを履いていた印象でしたが、KISSAの靴はメンズぽくてガシガシ歩けて、おしゃれな服にも合わせられるデザインで新鮮でした。
S この靴は底がラバーで歩きやすそう。
N デザイナーの高田喜佐さんが考える靴はオリジナリティがあって、いつもワクワクさせてくれましたね。
S 最後はファイナルホームですね。
N 忘れもしない、1994年。世間がまだバブルの余韻で浮き足立っていた頃にファイナルホームがデビューする展示会に参加したんです。当時は服は着て楽しむもので、陽気な面しか見えていなかった時代。そんなムードの中発表されたこのナイロンコートは“究極の家”と名付けられた都市型サバイバルウェア。ポケットに新聞紙を詰めれば防寒着になるというコンセプトに驚きました。
S 災害の多い時代ですし、今こそ必要になってきそうですね。
N あの時代にそれだけ突き詰めて考え抜かれたコンセプトというのは、再評価されるべきなんです。このコートは当時買っておけばよかったと後悔してます。
S 機能的でスポーツウェア風のデザインとの融合という点でも、今の服みたい。
N そうなんです。ここに紹介したブランドには、共通して古くならない服の本質の強さがあります。志村先生はいつもファッションは時代を映すもので、提案する側は何歩も先を見極めないといけないと語っていました。オンリーワンのコンセプトを持っているからこそ、歳月を超えて着られる服になっていったのだと思います。そういう服をひとつずつ集めていくことで、自然と自分のスタイルができてきたんだなと感じています。

Profile
成瀬浩子●編集者・ライター。文化出版局『装苑』編集部を経て、フリーランスに。SPURの立ち上げから今日まで誌面作りに関わってきた。ファッションのみならず時計・ジュエリーの分野でもマイブームを探究中。

SOURCE:SPUR 2021年8月号「『本当は教えたくない』ブランド」
photography: Sho Ueda styling: Momoko Sasaki text: Michino Ogura cooperation: PROPS NOW TOKYO

FEATURE
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