まず、5月末から開催中の創設30周年記念展『羽花』について。展覧会はこれまで、2002年に『粒子』、’15年に『1∞ ミナカケル』、’19年からは『ミナペルホネン/皆川明 つづく』などを行なってきた。本展は、皆川さんの作品とミナ ペルホネンの服が隣り合う部屋で展示されている。
「30年の間に徐々にミナ ペルホネンとは違う世界観をアートワークで表現したいという思いが生まれてきました。デザイナーとしての自分とは少し距離を置いた、個人的なアートワークです」
ブランドの服にはこれまで続けてきた文脈があり、シリーズ化していて連載小説的。それとは反対に、アートワークはシリーズの枠はないので、短編小説のようなその時々の自己表現だという。
「出展する作品の中には、パリの版画工房『イデム パリ』で制作した石版のリトグラフが数十点あります。ここは歴史ある印刷機を用いている老舗の工房。訪れるたびに新しいシリーズを制作していて、顔と仮面とか、テキスタイルのようなシリーズとか、いろいろ作っています」
©sono (mame) リトグラフ作品《One Day the Bird Became a Butterfly》。エディション44枚のうち22枚を「イデム パリ」が、22枚を皆川が所有。この作品はSPURSHOPでも取り扱う
石版刷りはかなり古くからある技法で、使っている石はドイツの1億6千年前の石を切り出したもの。とてもなめらかで厚い平石の表面に、油分のある画材で絵を描いてから、職人たちの手によって印刷機で刷られていく。
「僕はほとんど下絵を描かず、即興で頭の中に浮かぶイメージを直接石に描いていきます。すると、膨らんでくる空想を追いかけていくような同時性が生まれるんです。それで心の中に在る風景が消えそうで壊れやすい感じと、空想が膨らんでいくような気持ちの振り子の中の抑揚が感じられる。その感覚が自分に合っています。現代の絵の制作ではデータ入稿などもあって、高精細に拡大してプリントすることもできる時代。テクノロジーを使う技術が発達するほど、石の上にライブペインティングのように描くという正反対のスタイルは、現代の可能性とアナログとの距離感が面白く、そこに魅力を感じます。さらに石板ではエディションで規定枚数を刷ったあと、二度と復元できないように、石板を削って絵を全部消してしまうんです。即興で描き、終わったら消す。データとしても残らない。そのはかなさと瞬きの世界も魅力的です」
「コータ ヨキ」にも《Knitting the Days of Autumn》などアート作品が数点飾られている
本展では石板以外にセラミック作品も展示する。その作品は陶芸家の内田鋼一さんの工房で制作してきたばかり。
「本当はお皿を作りにいったんです。そうしたら窯があまりに大きいので驚いていると、内田さんが『大きいのも作れるよ』と言う。じゃあ、人生でやったことのないほうが面白そうだと思って、幅80センチ、高さ70センチくらいある鳥を、3体作ってしまいました。作業をしている間は形をイメージして、棒状にした粘土の硬さを手で感じながら、張力と重力のバランスを考えて積み上げていきます。手に伝わるそうした重さや柔らかさみたいな感覚を感じながら、夢中になって作りました。制作中は積み上がる形を見ながら、完成のボリュームまではあと何時間かかるとか、頭の中で計算します。時間と手と粘土が鳥の姿になっていくようで、とても気持ちが高揚します」
自由に発想するクリエイティブ面と、数字に代表される実際的な面とが、皆川さんの中で常にいいバランスで合わさっていることに、これまで何度も驚かされてきた。それはアートワーク、ミナ ペルホネンでの仕事、両方に不可欠なこと。
「ロジックの部分はゲームっぽいんです。あの工場には機械が何台あって、100着分がこのくらいの期間で作れるとか、図案を描きながら計算する。時間のかかる図案とそうでないものとをうまく両立させていくというか。時間のモビールが頭の中にあって、重いのと軽いのを組み合わせていく感じです」
ものづくりの現場を残すために、この先もやっていくべきこと
©Yayoi Arimoto
30年の間に、ミナ ペルホネンといえばオリジナルのテキスタイルを使い、日本の技術が凝縮されている服、というスタイルが一般的に定着した。
「30年前に僕が服作りを始めたときは、アパレルが大量生産型に変わってファストファッションが台頭すると同時に、セレクトショップのように海外からインポートした服が並ぶお店が増え、つまり日本では服を作らなくなる時代に変化していきました。デザインをするという僕の人生で本当にやりたかったのは、丁寧で情熱のあるものづくりの現場を日本に残すこと。自分がやるべきなのはそんなブランドを長く続くようにすることだと思ったんです。それでも業界全体を見れば、生産現場は縮小しています。やはり30年では全然足りなかったのかなと力不足を感じてもいます。思い描いたところまではほど遠い感じですが、だからこそ諦めずにやっていこうという気持ちです」
ファッションの世界も大きく変化した。そのメインストリームから見ると、ミナ ペルホネンがやってきたことはやはり異色で、唯一無二の存在と言える。
「ファッション業界での常識の反対をいこうというのは、ずっと心の中にあります。たとえばセールをしないとか、短時間での大量生産や大量消費をしないとか。かつてパリでファッションショーを何シーズンかやったこともあるんです。でもやはり『僕たちの伝え方はこれじゃない』と感じてやめました。そうこうしながら試行錯誤の中で30年続いたのは興味深い結果です。難しそうなことはそれだけで面白くて、失敗しそうなことをするのが僕の性に合っている。他人のやっていないことをやろうとして、それができて自慢したいということではなくて、成功が前提にないと目先の判断をどんどんしていくしかない。それはとても好奇心と探究心が持続することなんです」
©Yayoi Arimoto パリの滞在期間で制作。この後「イデム パリ」のプリンティングディレクターと色を調整し、刷り作業に入る
ファッションブランドの枠を超えて、家具やテーブルウェアの制作、カフェの運営、食品の販売、ホテルの内装やさまざまなコラボレーションなども手がけてきた。デザインをライフスタイルの領域にまで広げて、一つのクリエーションとしてとらえるというチャレンジングな姿勢も受け取れる。
「やってみないとわからないことの連続というのは、そこで全力を出すしかない、という状況になります。予定調和ではないから。周りに負担をかけることもありますが、なるべくそういう空気のあるほうが本当の意味でのやりがいがあって楽しいと感じます。そうやって作っていると、ひらめきから予測不能なものも出てくるんです。お客さまにとっても予測不能だから『今度は何をするのだろう』と期待していただけたら嬉しいし、それにこたえ続けたいと思います」
ものづくりの現場を日本に残すこと。ブランドの根幹であるその思いは、この先も多様な形で表現されていくはずだ。
「たとえば10分で出来上がるものを大量に作るより、1日、10日、1カ月かかる仕事を発注したほうが、工場は安定して仕事があることになります。だから僕らのブランドの規模を大きくしなくても、時間や手間がかかるものを丁寧に作る。それを理解して好きになってくれる人と僕らがつながっていければ、規模は大きくならないけど、工場や職人の人は手間や情熱をかけて作る環境が生まれます。そうやって作り手と使い手の持つ時間のサイクルをゆっくりにしていく。手と情熱と時間の込められたものを世の中に出すと、大事にしようと思ってもらえます。そうすると消費もゆっくりになるわけです。しっかり作られていると、最初の持ち主が手放しても、セカンドマーケットに出され、ヴィンテージとして次の人にも愛用される。そのサイクルはものの生命を長くしてくれます。社会で大切にされる時間も長くなる。そういうことを信じて続けていくことが、ものづくりの現場を残すには大切なんだと信じています」