あれは確か、幼稚園に通っていたときのことだ。同じ組の女の子がある日トイレでこっそりと見せてくれたのが、香り玉というコロンだった。小さなガラス瓶の中に、ピンク色の粒がぎっしり詰まっていた。中を覗き込むと甘酸っぱいイチゴの香りがふわっと広がった。まるで不思議な魔法のようだった。恍惚と眺め入っていると、なんとその中身を分けてもらえることに。米粒くらいの淡いピンクの香り玉をいく粒か取り出し、そっとティッシュに包んでもらった。あのときの柔らかく幸せな感触は、今でも手の平に残っている。
だが、悪いことはできないものだ。私たちのトイレでの一連のやり取りを、終始見張っていた人物がいた。正義感の強いその子は、もらったばかりの香り玉を私から取り上げ、その場で床に全部ばらまいてしまった。「幼稚園にこんなもの持ってきていいと思ってんの?」彼女はバッサリと切り捨てた。まったくごもっともである。まだ内気だった私は何ひとつ言い返せず、ただ静かに涙を流すことしかできなかった。
もう30年以上も昔のことをまだ覚えているなんて、我ながらねちっこい性格だなと思う。でもいまだに手芸店やおもちゃ屋でカラフルなビーズのパックなどを見かけると、心の片隅に甘酸っぱい記憶がよみがえってくる。とりわけ複雑な気持ちにさせられたのが、オーレリ・ビデルマンの「Chivor」というピアス。ゴールドで縁取られたガラスのケースの中に、ルビーの粒が閉じ込められている。動くたびにサラサラと揺れる様子は幻想的で可憐で、同時に遊び心も感じるデザインだ。光をはらんで繊細に輝くルビーを見ていると、幼稚園のトイレでこっそり香り玉を分けてもらったときの光景が脳裏にすっと浮かび、ほのかにイチゴの香りがするような気さえした。
センチメンタルに浸りながらもふと思った。このピアスを身につければ、あのときティッシュに包んでもらった儚い幸せを永遠に手にすることができるのではないか。トイレから出て一瞬で奪われてしまった小さな宝物を、この歳になってようやく取り戻せるんじゃないだろうか。ひとつのジュエリーとの出合いを機に、遠い日の甘く切ない思い出がそっと動き出そうとしている。
illustration:Uca text:Eimi Hayashi