昔から物持ちが悪い。スマホは買い換えてもすぐ傷だらけにしてしまうし、ニットはしょっちゅうシミやほつれを作ってしまう。器にいたっては、どんなに大切に扱っているつもりでも、気づいたら端っこが少し欠けていたりする。この「気づいたら」というのが、ときに厄介の種になる。
明らかに自分の不注意だとわかっていれば別だが、自分がやったという確証がない場合は、夫も立派な容疑者ということになる。彼が常日頃からモノを丁寧に扱う人なら容疑者リストから外すこともできる。しかし夫婦そろってガサツとなると、いよいよどちらが犯人かわからない。夫も自分に疑いの目が向けられていることを感じると、「やってない」の一点張り。他にもいくつかの推察はできるものの、けっきょく真実は迷宮入り。そうなると後味の悪さだけが残り、本来あるべき姿を失った器を目にするたびに、家庭内に不穏な空気が漂う。
ところで、自分の行いを振り返ってみれば、これまで何度もお気に入りの器をダメにしてきた。夫に罪をなすりつける前に、まずは自省しろという話だ。いつかの機会に金継ぎに挑戦して見事に修復してみせようと、どうしても諦めのつかないものは割れた破片をそのまま残しておいた。でもその「いつか」はいつまでたっても来ない。「永遠にやらないから捨てなさい」と夫にも言い放たれ、夫婦仲まで割れてしまわないようにと、昨年末の引越しを機に思い切って処分した。
モノを捨てるとせいせいする反面、なくなったらなくなったで寂しい。「やっぱりあの割れた器、ちゃんと直しておけばよかったかも……」自分の未練がましさと行動力の乏しさに呆れた。やろうと思えばいつでもやれるのと、やりたくてもできないのとでは、想いの募り方が全然違う。断ち切るどころか、金継ぎへの憧れは強まっていく。そんな折に出合ったのが、このリングだった。
稲木ジョージ氏がクリエイティブ・ディレクターをつとめるジュエリーブランド、ミラモアの “KINTSUGIコレクション”。指につけると、イエローゴールドのラインが稲妻のように鮮烈に走る。力強くも余情を含んだ意匠には、傷ついた器に新たな命を吹き込む、あの味わい深い金の筋を思い起こさせる。
ブランド公式サイトのアイテム紹介ページには、当コレクションについてこのように綴られている。「人は誰しもがトラウマや壊れた記憶を持っています。だからこそ金継ぎのように、それをゴールドで修復し、壊れた自分も愛せるようにと願いを込めて作りました」
読んでみて、なるほど、と思った。どの角度から見ても違った表情を楽しめるこのリングには、エッジィなデザインの中にも親しみやすさがある。クラフトマンシップを駆使しながらも、最後は身につける人のさじ加減に委ねるおおらかさがある。傷の入り方は千差万別。それは隠すべきものではなく、個性として慈しむもの。作り手の真摯な思いが指先にそっと寄り添うとき、未知の美しさが引き出される。
器も人も、傷があるほど味わい深い。金継ぎを彷彿させるこのリングが、そのことを改めて気づかせてくれた。
ミラモア ジュエリー
https://milamorejewelry.com/
03-5738-7803
illustration:Uca text:Eimi Hayashi