タツノオトシゴ。その不思議な形態が龍(タツ)を連想させることから、日本では「龍の落とし子」と名付けられた。龍が生み落とした子のように見える、ということなのだろうけれど、幼い頃は「落とし子」という名前を気の毒に思った。落とし子には、身分の高い男性が正妻以外の女性に生ませた子という意味がある。なぜ、タツノオトシゴは「落とし子」でなければならないのだろう。シンプルに「タツノコ」ではダメだったのだろうか。その方がタケノコみたいで可愛いのに。仮にもし、龍との間に授かった命を誰かが海中に生み落としたのだとしたら、その親とはいったい誰なんだろう。
祖父が生きていた頃、まだ小さかった私は「おまえは橋の下で拾ってきた子だ」と会うたびにからかわれていた。今となっては懐かしい思い出だが、子どもながらに悩んでいた時期もあった。自分が父にも母にもあまり似ていないこと、妹に対しては誰もそんなふうに言わなかったこと、「そんなの冗談に決まってるでしょ」と真剣に取り合ってくれなかった母が、何かをはぐらかしているように思えたことが、余計に真実味を帯びさせた。「私は本当は誰の子なんだろう」そんなふうに真に受けてしまう無垢な少女にとって、タツノオトシゴという名前はあまりにも不憫に思えたのだった。だが大人になるにつれ、次第にそんなイメージも薄れていった。


