僕の山の先輩といえば父ですが、今回お会いしたのは写真家の石川直樹さん。20歳から、七大陸世界最高峰などの高所登山もされている大先輩です。
石川直樹(以下石) 海くんは、海という名前だけど、山が好きなの?
井之脇海(以下海) それ、よく言われます(笑)。さっそくですが、石川さんの作品には山が多いですが、やっぱり好きだから撮り始めたんですか?
石 いや、僕は、そもそも登山より旅が好きで。旅する手段として人がいないところにいろいろ行くうちに、山を登ったり撮ったりし始めたんだよね。
海 ああ……僕は、考え事をしながら登るのが好きなんですけど、山みたいに人が少なくて、情報も制限されている場所は、自分と向き合えるのがよくて。
石 うん。何人かで登っていても、歩くのはひとりだから、思考が活発になって湧き上がってくるものはあるよね。だから山って、苦しいけど楽しい。
海 えっ、苦しいことも楽しいですか?
石 本当に楽しいですよ。こんな場所が世界にあるんだと思うし、自分を見つめ直したり、発見できるのも面白い。あと、体を全部使い果たす、ゼロになる感覚とか。街では味わえないものがあるのも、惹かれてしまう理由かも。
海 僕はまだ「使い果たす」感覚は、どの分野でも体験したことがないです。
石 海くん、今24歳でしょ。僕は、エベレストに初めて登ったのが23歳。ちょうどそのぐらいって、一番体力があるときだと思うな。
海 確かに! そうかもしれません。改めて伺いたいんですが、石川さんにとって写真を撮る行為は、山登りの楽しみではあるんですか?
石 もちろん。僕は、山に限らず、自分が歩いた旅の足跡を撮って、自分だけの地図を写真で描きたいんです。だから、忘れないようにっていうのもあるけど、シークエンスで撮っていて。海くんは、写真、撮る?
海 うーん、僕は、携帯で軽く記録するくらいです。あまり撮らない。
石 僕は、ヒマラヤにも、古い蛇腹式の中判カメラとフィルムを持って上がるんだけど、ほかにそういう人がいないから、僕がやるぞ〜と思ってやってるんです。カメラを、えっちらおっちら担いでね。あと、僕のカメラは1本のフィルムで10枚くらいしか撮れない、不自由な道具だから、写ってくるものがちょっとずつ違って、自分だけの写真になるのかなと思っているんだよね。
海 実は『EVEREST』を読んでいる最中、いい意味で石川さんの姿が浮かばなかったんです。同じ目線で、旅している感覚というか。そして、読み終わったあとに高揚している自分がいて。こういう写真集には出合ったことがありません。すごく好きなのが、最後のほうに出てくる写真。もう少しで山頂なんですかね? 雪が青っぽく、光が反射して。旅の幸福感が伝わってくる。
石 多分、もうすぐ頂上で、光がふわっと差して。あ〜きれいだわ、パチッ。最後はフラフラ。何も考えられず、無心。山の麓から頂に至るまでをプロセスで編んでいるので、一緒に行ったような気分になったのかもしれないね。
海 はい。外から撮る山と山の中から撮るって違うのかなと思っていたんですが、今、伺って、そこにあまり差はなくて、旅しながらつながっているのかもと思いました。そういうたくさんの写真から選ぶ基準って、なんですか?
石 独りよがりにならないことかな。基本は時系列で編んで、第三者の目線も入れるようにしてる。海くんは映画を撮るから、動画の編集もするでしょ?
海 自分で撮るときは。初めて映画を撮ったとき、落とさなきゃいけない場面で、思い入れのあるものをまず落としました。そのほうが伝わったり、スタイリッシュだったり。客観性って大事なんですね。じゃあ、撮っているときと写真集にするとき。違う作業ですが、編むときは、どっちの感情に従いますか?
石 難しいね。でも、思い出はどうしたってにじみ出るから、事実に沿うかな。
海 映像は音も入れられるけど、写真は一枚の意味が、さらに大きいですね。
石 そうだね。光も、風も、そこに存在するもの、すべてが一期一会だから。
石川さんの「一期一会」という言葉。僕もお芝居に対してそう感じます。現場がすべて。その意味を噛みしめました。石川さん、ありがとうございました!